2016年12月6日火曜日

【句作1】勘三郎を遠く思って

いてう散り あなた踊りし所作みがく

                 ーー勘三郎を遠く思って



歌舞伎座で所作台をみがく仕事の青年が、ありし日の勘三郎を思い出している。そんな感じで作りました。
劇場は変わったけれども、所作台は変わらない。人だけが変わってしまった。

まっすぐに取れば、道成寺や鏡獅子のような当たり狂言を受け継ぐ立方の素直な気持ちにもなります。

2016年12月4日日曜日

【閑話休題59】日の入らない書庫に、一日中いる

図書館については、いつも考えをめぐらしている。自分自身については、近所の区立図書館と勤務先の大学図書館には、きわめて頻繁に行く。以前、住んでいた場所は、真砂中央図書館が至近だったし、今も巣鴨図書館が5分以内で行ける。図書館については、若い頃からヘビーユーザーだった。中央大学の講師になってからは、無料のコピーカードが、研究用に支給されたので重宝した。日の入らない書庫に、一日中いるのは、苦痛でもなんでもなく、当たり前のことだった。
60近くになってからは、新しいことを調べる機会は半減して、すでに知っていることをもう一度、調べ直すことが多い。それでも、図書館の空気を吸っているだけで、幸福感がある。図書館と共に、生きてきた実感がある。

このごろ、文芸家協会の会報で話題になっているのは、大書店でピラミッドになるようなベストセラーについてである。このようなベストセラーを何十冊か図書館が買って、順繰りにどしどし貸すと、出版社や筆者としては書店やネットでの売り上げが上がらないので、何ヶ月かしてから図書館での大量仕入をしてほしい。即時は止めてくれ。そんなルールを作って欲しいとの意見がある。
ベストセラーの売り上げがあってこそ、出版社は多額の利益が見込めない、あるいは大概、赤字になってしまうような一般書(たとえば私の書く硬い批評を集めたような本)が出せるのだという論理を、あるベストセラー作家が展開していたのには、いささか鼻白んだ。その通りかもしれないが、結局、出版はばくちで、ピラミッドだけがベストセラーの唯一の道ではない。まったく売れないと目されていた本が、意外な結果をもたらしたことも少なからずあるだろうと思う。

学校へ行きたくない、いや、行くことがいやになってしまった子供に対して、鎌倉の図書館が夏休みの終わりに呼びかけをしたのが話題になった。図書館にはさまざまな機能があって、人によって使い方はずいぶん違うと思う。資料の公開と保存、大衆化と専門化はかならずしも合致しないが、人類の長い歴史とともに歩いてきた図書館が、悪い方向にいかないように見詰め続けたいと思う。

2016年12月2日金曜日

【閑話休題58】偶然ではなく、必然のように。すみだトリフォニーホールのコンサートを終えて。


この十一月二十九日、今年の六月頃、本格的に始動した『尾上菊之助 歌舞伎とシェイクスピアの音楽』が、無事終了した。
今回は墨田区が、すみだ北斎美術館を二十二日にオープンしたこともあり、その関連企画として、歌舞伎俳優と新日本フィルハーモニーが共演する場が成立した。
今回、私は、企画監修として関わったが、歌舞伎ファン、クラッシックファンどちらにも楽しめるようにしたかった。どちらも退屈させないための手立てを考えるところからはじまった。
もっとも菊之助さんが、この十一月末にスケジュールがあくかどうかが問題だった。もし、歌舞伎座や国立劇場の出演であれば、月末ならば大丈夫なはずだが、なにしろ南座顔見世の月でもある。十一月の末日には、顔見世の幕が開くので、決定は六月までのびた。
七月にはプロコフィエフのバレエ組曲「ロメオとジュリエット」から、第二部の指揮をするマエストロ角田鋼亮さんが、どの曲を抜粋するかを決めた。それを受けて、坪内逍遙訳をベースに八月末までに上演台本をは書き上げた。十一月のはじめまでは、それぞれが構想をゆっくり練る時間となった。
舞台の直前まで、細かい手直しが続いた。一番大きな変化は、舞台稽古が終わって、翌日、一時頃に『京鹿子娘道成寺』の「鞠唄」「恋の手習」では、地方が黒ではなく、桜の裃を着けるように急遽変更になったところだ。その前に、菊五郎劇団音楽部の巳之助さんと長之介さんは、「弁天小僧」に黒の着付けで出ているので、着替えの時間を作らなけらばならなくなった。そのつなぎの台詞を書き終えたのは午後二時。こうして刻々と上演台本は変わり、周囲のスタッフに対応をお願いしなければならない。たとえば、着替えのために、下手袖に畳敷きの着替え仮スペースを設営するなど…。いずれにしても第一部に関しては、全体を指揮していく菊之助さんあってのことでた。沈着冷静、しかも舞台がよくなることを前向きに、常に考えている姿勢は見事だった。
本番が終わった。ほっとしたのか、翌日熱が出て倒れた。さらにその翌日、すみだトリフォニーホールの担当Mさんにメールで連絡を取った。
「偶然といいますか、ここまでくると当然のように、わたしも昨日は熱を出して一日寝込んでおりました(笑)お互い大事にいたしましょう」
返事が返ってきて、思わず私も吹きだした。

2016年11月12日土曜日

【劇評65】菊五郎の勘平は、過去に生きている

歌舞伎劇評 平成二十八年十一月 国立劇場 

菊五郎による五・六段目、吉右衛門による七段目の『仮名手本忠臣蔵』が出るとなれば、もう発表になった時点で、平成歌舞伎の記念碑となるべき舞台になると予想ができた。実際には、その期待にたがわぬ成果だった。ただし、今後もこの水準の公演を永遠に期待できるとは限らない。時代とともに、演者も舞台も移っていく。そんな残酷さもまた裏側に感じてしまったのは、私だけだろうか。
菊五郎の勘平は、遠くを見ていて、心がここにないかのようであった。鉄砲渡しの場、二つ玉の場、いずれもさらさらと、これまで身体にたたき込んできた型が移ろうていく。千崎弥五郎(権十郎)との偶然の出会いと、討ち入りの徒党に加わることが出来るのではという期待。猪とあやまって人を鉄砲で撃ってしまった悔悟。いずれも刻々と描写されて思いは決して軽くはない。軽くはないが、菊五郎の勘平は、今、ではなく、過去に生きているように思える。
決定的になるのは六段目。身売りをした女房お軽(菊之助)の乗った駕籠を押しとどめ、判人源六(團蔵)とお才(魁春)に詰め寄られるが、これも柳に風の様子である。さらに、義父を殺したとのであろうと、これまで穏やかだったおかや(東蔵)に怒りをぶつけられても固い殻をかぶっているかのようである。二人侍(歌六、権十郎)を迎えてからも、応接は確かである。脇はしっかりとして現実味のある芝居をしている。けれど勘平は遠くを見ている。
確かに、だれかが慎重に与市兵衛の死因を確かめれば、勘平の切腹は起こらなかった。けれども、この芝居の眼目は、父を殺してしまったという悔悟にはない。「色にふけったばっかりに」。お軽との密会で主君の大事に間に合わなかった男が、よい死に場を探している。勘平は本当のところ由良之助らの上司、朋輩に許され、徒党に加わり、討ち入りに参加できるなどとは思っていない。武士としての名分が立つ死に方と機会を探している。その悪夢のような人生の物語なのだと、菊五郎の勘平を観ていてよくわかった。
この勘平と対照的なのは、吉右衛門の由良之助ある。由良之助はいかに遊蕩に溺れようとも、今の現実を見失わない。それは、自分がいなければ仇討ちはかなわず、師直の首をあげてから、自分の本当の死に場があると核心しているからだ。その意味では、菊五郎の勘平はすでに死んでいるべき人間の物語であるのに対して、吉右衛門の由良之助は、これから死ぬべき人間の物語となっている。この五・六段目と七段目に、対照的でしかも実力に揺るぎないふたりを続けて観ることができるのは、またとない機会となった。そして、『仮名手本忠臣蔵』の本質について改めて考える機会にもなるだろう。
冒頭に『落人』。錦之助の勘平に、菊之助のお軽。これはあえていえば、ここにはいないだれかの夢の中の夢想と考えればおもしろい。二十六日まで。

2016年10月27日木曜日

【追悼】平幹二朗さんのお通夜から帰って。

 【追悼】平幹二朗さんのお通夜から帰って。

今、青山葬儀所で行われた平幹二朗さんのお通夜に出席して、帰宅したところだ。
私にとっては、平さんの仕事は、演出家蜷川幸雄さんと切り離しては考えられない。もはや伝説的になった『王女メディア』をはじめとして、『近松心中物語』『ハムレット』『テンペスト』『タンゴ・冬の終わりに』『グリークス』そしてふたたび『ハムレット』のクローディアスのような舞台が浮かびあがる、堂々たる体躯、響き渡る声がまざまざと、私たちのものだろう。そこには日本人離れした感情の振幅の大きさがあり、またそれでいて繊細な表現にもたけていた。
極大と極小、鳥と虫の目を併せ持つ蜷川演出には、なくてはならない俳優で、一時期、蜷川作品に出演しなくなった頃は、残念でならなかった。私が蜷川さんにはじめて話を伺ったとき、「平さんは紙でほんのすこし喉あたりに傷がついただけで引退を考える」と聞いた。俳優はこれほどまでに自分自身を楽器として表現に取り組むのだと驚いた。
舞台ではその存在に圧倒されるばかりであったが、『グリークス』の稽古場に毎日通ってからは、折に触れて劇場でお目にかかると、鄭重なご挨拶をいただいて恐縮した。礼を守り、他者をいたわる優しさを忘れぬ紳士だった。
青山葬儀所で行われた蜷川さんの葬儀で、平さんは弔辞を読んだ。互いに通い合う魂がこもったすばらしい言葉だった。演出家と俳優がこれほどまでに結びあい、反発しあうものなのだろうか。
いずれにしろノーサイドの笛が吹かれた。
俳優の想い出はなにより舞台の記憶である。これほどまでに綺羅星のごとく代表作に恵まれた俳優はめずらしい。今ごろは、天国の入口まで迎えに来た蜷川さんと握手していることだろう。

2016年10月8日土曜日

【ご注意】ln.isスパムに対策しました

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一応、対策は講じましたが、リンクの冒頭にln.isとある場合は、クリックしないようにお願いいたします。
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2016年10月7日金曜日

【劇評64】実直に役に取り組んだ新・芝翫襲名披露

 歌舞伎劇評 平成二十八年十月 歌舞伎座

中村橋之助改め八代目中村芝翫襲名披露を初日に観た。勘三郎、三津五郎の急逝もあって、ふたりとも同じ舞台を数多く踏んだ新・芝翫は、これからの立役を背負っていく気概に満ち満ちていた。三代続いた女方の名前を、立役中心に戻すことへの自負もあるだろう。いずれにしろ、芝翫がどこまで芸境を進めるかが、これからの歌舞伎を大きく左右するのはいうまでもない。
昼の部の襲名狂言は、『極付 幡随長兵衛』。対立する水野に菊五郎、長兵衛女房に雀右衛門がつきあう。芝翫としては世話物の当り狂言を作りたい気持がよく伝わってきた。角のとれた温和な長兵衛を造形するために、二幕目の「長兵衛内の場」が雀右衛門の支えもあって芝居になっている。反面、本来の柄や仁が善に傾くために、「水野邸座敷」になってからの気迫が薄い。凄みを感じさせ、威圧感を相手役や観客に伝播させるのがこれからの課題となるだろう。
朝幕は『初帆上成駒宝船』を芝翫の息子三人が踊る。橋之助、福之助、歌之助の三人が初々しい。橋之助が年長で舞台経験も多いだけに芯となるオーラを発している。
続いて七之助の『女暫』。松也の震齋、児太郎の女鯰が位取りを過たずに健闘している。七之助もそつなくまとめているが、暫の虚構をより大きくつかみとる覚悟が求められる。
菊之助の女猿引、児太郎のお染、松也の久松。江戸の風俗を描いた佳品。菊之助の女猿引に酸いも甘いも噛み分ける訳知りな年増の風情がでると、さらに三人の関係がふくらむだろう。
夜の部の襲名狂言は『熊谷陣屋』。新・芝翫が大切にしてきた芝翫型による上演。顔は赤っ面、藤の方の出では飛びすざる、軍扇を掲げる「平山見得」と、見どころもこなれてきた。ただ、熊谷だけが芝翫型を演じるのでは曲がない。魁春の相模、菊之助の藤の方も、この型を受けての工夫が必要になってくる。吉右衛門の義経、歌六の弥陀六が時代物を同じ舞台で重ねてきた年輪があり、圧巻。襲名の大舞台となった。
松緑の『外郎売』を見ると、七之助が大磯の虎、児太郎が化粧坂の少将を演じる時代がきたのだと感慨に耽った。歌六の工藤祐経に唯一、古怪な味がある。
玉三郎の『藤娘』でこの襲名の舞台を閉める。華麗な絵面を愉しんだ。

2016年9月6日火曜日

【劇評63】吉右衛門、自在な境地に遊ぶ『一條大蔵譚』

歌舞伎劇評 平成二十八年九月 歌舞伎座昼の部

自在な境地に遊ぶ。吉右衛門の『一條大蔵譚』は平成二十六年四月の歌舞伎座以来、二年あまりしか経過していないのにもかかわらず、ますます作為は消えて、世を厭う気分があふれでる舞台となった。
平清盛全盛の時代。「ただ楽しみは狂言、舞」と人生を作り阿呆でいくと決めた公家の話だが、まずはみどころは作り阿呆と正気の切り分けとなるのだろう。ところが、今回の舞台は、観客の笑いをとりにいかない。おおよその人生は一條長成ならずとも、演技によってなりたっている。むしろ、本音を押し殺して生きることこそが毎日だとだれもが思い定めている。この一條は鬼次郎(菊之助)とお京(梅枝)がかつては清盛のもちものであった常盤御前(魁春)の本心を改めに来たために、長年隠してきた平家への憎しみを一瞬爆発させて、元に戻る。そんな世の無常ばかりが舞台を支配していた。ニヒリズムとも違う。政治嫌悪とも違う。自分の器量をわきまえて、目に見える世を故意に霞にかえてしまった男の悲哀だけが胸に沁みる。そんな大蔵卿であった。
まず、菊之助と梅枝の出がいい。志のある若い二人、けれど仲むつまじいところを隠しきれない。茶屋の主人(橘三郎)の余計な一言もむべなるかな。大蔵卿のもとめがあり、鳴瀬(京妙)のとりなしがあり、お京が舞を踊る。端正に乱れなく舞うが、その規矩正しいありようを茶化すように、大蔵卿も舞うとなくツレていく。その風情を愉しんだ。
奥殿の塀外で鬼次郎とお京が常盤御前の様子を探った結果を話すが、ここは忠義がすべてではなく、お互いのいたわり、怖れが漂うようでありたい。
さらに奥座敷にいる常盤御前のありようが立派である。義朝とのかかわりを忘れて二度も嫁いだ常盤を鬼次郎が責める。その正しさを、あまりにも正しいありようを柳に風と受け流す。その高ぶるわけではない自然な品位が備わってきた。いずれは「吉野川」の定高を魁春で見てみたい。
忠義に燃える鬼次郎のまっすぐなありよう。真相がわかってからの恐縮。菊之助の仁と柄が生きる。また、大蔵卿が自らは果たせない平家追討を鬼次郎に託すくだり。すべてを言葉にはせず、目と目で対話するくだりが、吉右衛門菊之助の息があう。
以降の吉右衛門の素晴らしさについては冒頭に書いた。「命長成、気も長成」ののどかな調子、「ただ楽しみは」の諦念、「めでたいのう」のかげにひそむ悲哀。風流人の心に刻々とうつる心象風景が舞台上にひろがる。まさしく名人の境地であろう。
昼の部は染五郎が荒事を巧みにみせる『碁盤忠信』。又五郎、錦之助の『太刀盗人』が出た。今月は『一條大蔵譚』と『妹背山婦女庭訓』が見逃せないのは、いうまでもない。

2016年9月4日日曜日

【劇評62】吉右衛門、玉三郎の『吉野川』。観客と役者が読みを競う一幕。

 歌舞伎劇評 平成二十八年九月 歌舞伎座夜の部

めったに出ない演目であり、吉右衛門、玉三郎、染五郎、菊之助と現在考えられる理想の顔ぶれで、『妹背山婦女庭訓』の「吉野川」が上演された。両花道が静かに大判事と定高の出を待っている。本舞台中央には早瀬の吉野川。上手には背山、下手には妹山。それぞれの屋台がしつらえられており、また、竹本の床台も葵太夫、愛太夫と左右に別れての掛け合いとなる。
先ず、はじめは権力者の蘇我入鹿に反抗し今は逼塞している久我之助(染五郎)と久我之助を恋する雛鳥(菊之助)が、川にせかれて会えずにいるもどかしさが主題となる。ひな祭りの雛壇、最上段に納まる内裏雛のように、着飾ってはいるが、自由はない。久我之助の大判事、定高の太宰少弐この両家の反目が、入鹿が雛鳥を入内させよと命じたところから場が緊迫している。
久我之助と雛鳥、いずれも品良く控えめに古代の恋愛を風雅に描き出す。染五郎は文人であることの矜恃さえ見える。雛鳥は早瀬を渡りたいといいだすほどの激情を隠している。梅枝の腰元桔梗が神妙。萬太郎の腰元小菊は、この幕で唯一のチャリが求められる役だけに、もう一歩地力が必要とされるのは仕方がない。
やがて桜の枝を携えて、仮花道から大判事、本花道から定高の出となる。風格、肚、いずれも現代歌舞伎を代表する大立者ふたりであり、申し分ない。特に定高は、すでのこの時点で雛鳥を入鹿に嫁がせるつもりはなく、ついには子供たちの悲劇を予感するからこそ、自らの子雛鳥がかわいいと述懐する。つまりは、観客には肚を割らずに、けれども内面のドラマは刻々と進行している。その進み具合を役者と観客が探り合う。筋立てや結末はレパートリーシアターだけによくわかっている。とすれば、この言葉、この仕草には、どんな親の気持ちがこもっており、それが子にどのように伝わっているかを読み取る二時間となる。その一刻、一刻を上手下手に別れた屋台を交互に使って進めていく進行、この構成を巧みにあやつっていく四人の役者。これだけの顔ぶれはめったにないことなので、二度三度、味到できるといいだろう
夜の部はほかに、染五郎、松緑の『らくだ』。緊迫した二時間のあとに落語からとった喜劇で客席をなごませる。追い出しに『元禄花見踊』。総踊りとはこうあるべきと愉しませる構成はさすが。幕切れ黒地の衣裳に変わって玉三郎がはっと場を引き締める。元禄の明朗で華やかな空気をよくつかんでいた。二十五日まで。

2016年8月29日月曜日

【閑話休題57】新宿の夜 森山威男プロジェクト回想

新宿の夜
森山プロジェクト回想1


ついにたどりついた、いや、たどりつこうとしている。
森山威男さんのプロジェクトがはじまるきっかけとなったのは、もう五年以上前になるだろうか。
新宿の厚生年金会館裏、坂をだらりと下った鍋底にある『風花』で私はひとりで飲んでいた。いわずとしれた文壇バーで、かつては、今はなき中上健次が毎日のように沈んでいた。当時、このバーには「ラジカセ」という音楽機器があった。なにかの偶然で私が『ジョン・コルトレーンとジョニー・ハートマン』をカセットテープに入れて持参したところ、主人の紀久子さんがよくかけてくれた。
殴ると評判のあった中上さんが怖かったので、私は遅い時間にはあまり行かなかった。あるとき、紀久子さんが「あのテープもう一度入れてくれないかしら」というのである。聞けば中上さんが毎日のようにリクエストするので、テープが伸びてしまったという。「もちろんですよ」と当時三十代はじめだった私が請け負ったのはいうまでもない。
それから二十年以上の時がすぎた。
『風花』に行くのも、間が遠くなった。一年に一度か二度にいけばせいぜいである。それなのに、めずらしくカウンターに座っていたら、隣の額が秀でた紳士と話しはじめた。ジャズのこと、西部邁先生とここでよくお目にかかったことなど、話が弾んだ。
私はどうも人見知りする性格なのか、バーで隣り合った人と仲よくなったためしがない。それにもかかわらず、再会を約したのは、よほど話があったのだろう。
翌年の大学院の講義には、その紳士、松原隆一郎さんをゲストにお呼びした。松原さんは、小津安二郎の映画『晩秋』を題材に、日本の住環境と美意識についての興味深い話をしてくださった。ご講義の後、もちろん湯島の酒亭「しんすけ」で友好を深めたのはいうまでもない。
その場であったのか、それとも先のことだったのか。
松原さんが親しくされているドラマーの森山威男さんの話になった。フリージャズの技法について、今詳細な技術と精神を残しておかなければいけない。そんな野望が頭をもたげてきた。日を改めて、松原さんを阿佐ヶ谷のご自宅近辺に訪ねて、「ぜひ、やりましょう」となんら予算的裏付けもないのに、はじめることになった。それから間もなく、情熱さめやらぬ松原さんは、私の自宅まで詳細な打ち合わせのために来て下さった。
その後、このプロジェクトは科研費を受けて、藝大音楽学部音楽環境創造科の亀川徹さんも加わり、本格的な研究テーマとして始動することになる。
「やりましょう」
「やりましょう」
「やりましょう」
当事者の森山威男さんはじめ、多くの「やりましょう」がこだまして、ひとつのプロジェクトがはじまり、動き出す。そのまとめの時期に入って、回想をはじめた。
ところで、『ジョン・コルトレーンとジョニー・ハートマン』は、一九六三年にニューヨークで録音されている。それからもう半世紀がすぎて、さまざなまことがあった。生き残り、生き残った証を残したいと願う時期に、私もまた差しかかっている。

2016年8月26日金曜日

【劇評61】歌昇、種之助が果敢に挑む『双蝶会』の成果。

 歌舞伎劇評 平成二十八年八月 国立劇場小劇場 

今年で二回目となった双蝶会。歌昇、種之助の兄弟が、果敢に大作へと挑む勉強会である。今年は、『菅原伝授手習鑑』から「車引」と「寺子屋」。気宇壮大で、意気込みやよしというところだろう。
まずは「車引」。種之助の梅王丸、歌昇の松王丸。桜丸は梅丸が勤める。花道の出から本舞台、深編笠をかぶったやりとりから、金棒引きが出て、笠をとったあたりから、がぜん種之助のエネルギーが炸裂する。ときに力あまって声が割れたりもするが、梅王丸はまさしく荒事の役、多少の破綻などは咎めるに値しない。むしろ、全体にみなぎる力感、心にある「怒」の一文字、権威を怖れぬ稚気まで、現在、できる最高水準まで達している。
歌昇はすでに荒事に定評がある。松王丸に大きさがあり、しかも決まる型の美しさは、この役者がいずれは荒事の一翼を担う人材であると改めて証明した。
さて、「寺子屋」である。相応の中堅が演じてもなかなか一筋縄ではいかない大物である。それにもかかわらず、歌昇、種之助ともに、監修の吉右衛門に教わったことをたがわず素直にやっている。余計なことをつけたさない。役者としての野心はあるが、傲慢さがない。なのでかえって「寺子屋」の骨格が見えてきた。種之助の源蔵の出は、さすがに厳しい。絶対的な苦悩を漂わせるには、いかんせん若すぎる。それに対して首実検を控え、教え子の殺人が迫ってくるところの焦燥感がよく、忠義のために殺してもよいなどどは微塵も思っていない源蔵の苦悩がよく伝わってきた。
歌昇の松王丸も絶対的な大きさを問うては、さすがにまだ及ばない。けれども、かわりに梅枝の千代に泣くなとたしなめつつも、小太郎の立派な最期を聞いて泣き上げる件りに切迫感があった。これから機会を得て、二度、三度、いやもっと生涯を賭けて練り上げていく役なのだろう。米吉の小浪も可憐。さすがにこの座組で抜けているのは、梅枝だが、これまでのキャリアを考えると当然といえば当然だろう。けれども、こうした義太夫狂言で破綻がなく、竹本をよく聞き、丁寧に役を作っていく姿勢が、若手の見本となる。
この世代に責任と自覚が生まれるのも勉強会の効用だと思いつつ国立小劇場を後にした。来年も第三回開催が決定とのこと。八月五日、六日。頼もしい限りで嬉しく思った。

2016年8月21日日曜日

【劇評60】ブラックで、ナンセンスで、お下品なコメディ『ヒトラー、最後の 20000年』

  現代演劇劇評 平成二十八年八月 本多劇場 

ブラックで、ナンセンスで、お下品なコメディを見た。
ケラリーノ・サンドロヴィチ作・演出の『ヒトラー、最後の20000年〜ほとんど、何もない〜』は、日本人が好むコメディの範疇から大きくはずれて、独自の世界を追求している。それは、ヒトラーやアンネ・フランクも善悪で判断したりはしない。ヒトラーもユダヤ人も同様に笑いの対象とする。また、劇に教訓や暗喩、絶対に安全な大団円を求める姿勢とは無縁である。こうした悪夢のような世界を実現するには何が必要か。普通に考えるのは圧倒的な身体性で観客を感嘆させることだろう。ケラリーノ・サンドロヴィチが選んだのは、こうした観客を感嘆させる方法ではない。感嘆ではなく、顰蹙を買うことを怖れない方法を採った。
そのために、古田新太、入江雅人はじめすでに中年から老境に入りつつある老いた身体をあえてさらす。これほど美しくはない身体を観客に笑ってもらうことによって、悪夢のようなコメディを成立させる。また、劇には、成海璃子や賀来賢人のように若くて美しい俳優も登場するが、その美しさをあえて否定するようなコスチュームを着せたり、メイクを施したりする。善悪ばかりではなく、老いと若さ、美醜さえもが転覆されようとしている。笑いを追求するとは、こんな怪物と格闘することに他ならない。
その意味でこの『ヒトラー、最後の20000年』は、笑えるためのコメディの域を超えてしまっている。これはむしろ観客はどこまで、ブラックで、ナンセンスで、お下品な舞台に耐えられるか、そんな実験的な野心さえ感じられる舞台になった。
エンターティンメントが全盛の東京の演劇界にあって、これほど前衛的で実験的な舞台はあろうかといったら、うがちすぎる意見だろうか。
筋らしい筋をつくらず、観客がうっとりする台詞を書かず、舞台を美的に作り込むことを拒否する。それでも作品として成立するのは、台詞の間や立ち位置など演出の部分で、相当巧緻な操作がなされているからだ。視覚的にうっとりさせるようなスペクタクルが演劇ではない。メタファーに満ちた人生を感じさせる台詞を朗唱することが演劇ではない。ただ、微妙にしてこれでなくてはならない感覚、言葉にはならない俳優の持つニュアンスを見せる。それが演劇と演出なのだと語っていた。サブタイトルにある「〜ほとんど、何もない〜」は、謙遜で、「〜ほとんど、何でもある〜」が正しいだろう。度胸と覚悟で、かろうじて成り立たせるぎりぎりの線を追求している。
俳優の技術に注目するのもいい。犬山イヌコ、山西惇、八十田勇一、大倉孝二と絶妙のセンスを持つ俳優を集めての味わい深い舞台である。
それにしても「腹話術師」と「人形」が頻繁に登場するのは、ほぼ同時期にシアターコクーンで上演されている第七病棟の伝説的名作森田、宮沢主演の『ビニールの城』(唐十郎作、金守珍演出)を強く意識してのことだろう。
とはいえ、ここまで書いた批評を受け「『ヒトラー、最後の20000年』をもう一度観ますか、どうぞ」といわれたらどうするか。もちろん鄭重にお断りする。

2016年8月20日土曜日

【劇評59】森田剛、宮沢りえ『ビニールの城』と人間の皮膜

 現代演劇劇評 平成二十八年八月 シアターコクーン
一九八五年の初演から三十年あまりが過ぎた。石橋蓮司らの第七病棟は、浅草の六区で廃館となっていた常盤座を自らの手で改修し唐十郎の書き下ろし『ビニールの城』を上演した。その鮮烈な舞台は緑魔子、石橋の演技とともに、今も深く記憶に刻まれている。
蜷川幸雄が演出する予定だったこの舞台を引き受けたのは、新宿梁山泊の金守珍である。立ち上がる舞台を観ながら、私はタイムスリップしているような錯覚に陥っていた。少なくとも装置や衣裳など視覚的な表現については、初演の舞台を踏襲しているように思えたのである。沖積舎から八五年に刊行された同名の書籍には、多数、モノクロの写真が収録されている。終演後、確かめてみると今回の舞台が再現に近いことがよくわかった。勿論、時代が違うし、現実の作り手も変わっているから、全体に汚れがなく、きれいにしあがっているのはやむをえぬことなのだろう。また、演技体についても同じ事がいえる。特に宮沢りえの演じるモモは、猫背で前屈みな姿勢、高音を強調した発声も緑魔子をそのまま再現しているかのようだ。
台詞と音楽の関係は、当時の記憶は曖昧になっている。むしろ唐十郎の状況劇場、唐組で耳慣れた音楽の入れ方であるように思える。
こうした再現が今回なされたのは、第七病棟の記念碑的な仕事、そして唐十郎に対する金の尊敬からはじまっているのだろう。また
劇中、蜷川幸雄そっくりの俳優が登場するが、これもまた、この企画を立ち上げつつ亡くなった蜷川に対する尊敬というべきだろう。
当然のことながら、再現のはずが、俳優によって新たな血が次第に注ぎ込まれていく。やがてビニールの城とはなにかが、観客のなかに結実していく。それは水の皮膜であり、人と人を隔てる心の距離でもあった。たたえた水を揺さぶりながら、人は自分の肉体を持てあましつつ生きている。持てあました思いはまた、その皮膜を破ってあふれ出て、愛する人間へと襲いかかる。
森田剛は壊れかけた内面をよく身体化していた。宮沢りえはどうにも何らかの仕掛をはさまなければ人と関われない女の哀切があった。幕切れ近い「私はあなたが嫌いです」に象徴される「嫌い」のリフレインは、鋭さよりは絶望の深さが読み取れた。荒川良々は実直でありつつも裂かれるような心情をほとばしらせた。いずれも唐十郎の劇世界を現在に通じるかたちで甦らせたのである。六平直政と鳥山昌克が唐の演技術の体現者であるのはいうまでもない。俳優たちの演技の微細な肌理を味わうことができた。
演出の外形は初演に習うが、劇が進むうちに俳優は自分の世界を構築していく。関係の微妙な揺れが刻々変化する。そのおもしろさ、ゆかいさに打たれた。演劇とは初日が開けたとたんに俳優のものとなるジャンルなのであった。

2016年8月17日水曜日

【閑話休題56】政治劇として『シン・ゴジラ』は何を語るか。

 庵野秀明総監督による『シン・ゴジラ』を観た。前評判を聞くと賛否両論なようだが、少なくとも観客は詰めかけている。私が行ったのは昨日で、祝日でない平日だが、18時50分からの上映はほぼ満席だった。
私はエヴァンゲリオン世代ではないし、エヴァを通して観たことはない。従ってエヴァとの類似を語るべき立場にはない。エンターテインメントとして観ることしかできないが、よく撮れている映画だと思った。
3.11の津波の映像を踏まえてゴジラの河川での動きを瓦礫とともに描く。やがてゴジラの通り道に放射線が残存しているとわかる。観客は必然的に自然災害と人的災害が複合して起こったフクシマを東京にだぶらせる。東京に未曾有の災害が起こったとき、政府の政治家や官僚はいかに対応するかが、ドラマの軸となる。さらには、世界の強国がこのような事態にどのように反応し、強権的なアメリカの解決策をいかに切り抜けるかが、ゴジラ登場時の政府の課題となる。
その意味できわめて政治性の高い娯楽映画の位置づけとなる。「良質で」しかも権力性を隠さない政治家と、きわめて専門性の高い(いいかえればオタクの)官僚や学者が危機をきりぬける。基本的には日本人が好む自己犠牲と特攻精神に貫かれた「泣かせる」ドラマである。しかも、力点は、こうした政治家や官僚の美化ではなく、人類が作りだした文明の歪な結晶体に、次第にゴジラは化身していく。マーチ風の音楽からやがて叙情的な音楽がかぶさるようになり、身勝手な日本人によって作られ、混乱と破壊をもたらし、そして死に絶えていくゴジラへの挽歌が歌い上げられる。
疑問がいくつかある。総理官邸の上空からの絵はなんども繰り返される。ヘリポートが屋上にあることの強調だろうか。また、皇居の緑もまた俯瞰で映し出されるが、天皇と皇族がこのような災害のときにどうしたのか、どのような助言が政府からなされたのかが描かれていない。鎌倉に再上陸したゴジラは、自衛隊が引いた防衛線を突破して霞ヶ関へと迫る。政府首脳は霞ヶ関から立川に政府の災害本部を移す決断をする。この議論の前に、天皇家をいかにこの災害から逃すかが慎重に描かれなければ、政治劇としての体裁に綻びが生まれてしまう。閣議の場で台詞にするのがはばかられるのであれば、菊の紋章がついた黒い車両が列をなして走っていくカットを入れるだけでも、作り手の意志は伝わっただろうと思う。私は一度みただけなので、こうしたカットが入っていた可能性も否定できないが、私には確認できなかった。
これは疑問ではないが、現在自衛隊が保有する攻撃的な装備が、どのような状況にあるか、そして米軍のそれが遙かに上回ることを、イデオロギーを抜いて紹介したのは大きなことだった。首都東京への侵攻がどこかの国から行われた場合、防衛はどのような兵器で、どのような立案がなされるのか。自衛隊と海上保安庁だけが指揮命令系統に乱れなく、しかも文民統制がなされているように描かれていた。防衛大臣は余貴美子が演じたが、総理に決断を迫る様子はなかなかの見もので深く考えさせられた。
いずれにしろ、日本の現在が抱え込んだ問題を摘出する力のある映画で、アニメの実写化だといった非難はあたらない。むしろこうした危機的な状況では、人間は平坦な表情に返っていきがちで、もっとも生き生き振る舞っているのはゴジラだという逆説もまたおもしろかった。
また、ゴジラの歩き方が尋常ではない。後から聞いたのだが、狂言の野村萬斎がクレジットされていて、ゴジラの歩き方をモデリングするための素材となったのだろう。なるほどと思った。
この一点をとってみても、あなどれない映画である。

2016年8月13日土曜日

【閑話休題55】小太郎とアイスクリーム

ぶどうのアイスクリーム。今日は小太郎を連れていなかったので、外ではなく内。ところで小太郎が来てからほとんど毎日散歩に行く。パティシエやスーパーに入れないのはもとよりあきらめている。もっとも血糖値はほとんど正常との境界値まで下がったからよしとしている。おかげで時々(でもないか)アイスクリームを食べています。
残念なのは時間の関係で趣味だった小口径自転車(プロンプトン)でのポタリングとプールに行く機会が減ったこと。自転車はほどんど放置状態で、今日久しぶりにだしてきたら、空気は抜けているわ、錆はでているわみじめな惨状である。自転車のメンテナンスにちょっと時間を作らなければと思うが、はてさてどうなることやら。自分でも自信がないのが情けない。
それにしても、小太郎の世話と他の趣味を両立させるのは、仕事を犠牲にしなければむずかしい。今のところ優先順位は、小太郎、仕事、プール、自転車の順となる。はてさて何をやっているのやら。
先月の歌舞伎座でみた真山青果の『荒川の佐吉』に(性格ではないが)こんな台詞がある。「隠居が飼う犬猫じゃあ、あるまいし」。大親分(中車)が、預かった子を手放せない佐吉(猿之助)を叱る。これまではこの部分にまったく反応したことがなかったが、妙に気になり、身に応えた。「小太郎は隠居(つまり私)が飼う犬猫か」。まあ、だからこそ、相応の責任しかない。猫かわいがりしてもいいともいえるのだろう。

【劇評58】納涼歌舞伎の新作は、いかに。『東海道中膝栗毛』と『廓噺山名屋浦里』

 八月納涼歌舞伎が満員御礼を記録しているという。この猛暑にもかかわらず観客の好尚にあった番組が組めたのはなによりのことで、特に『ワンピース』以来、新作を待ち望む声が強く、また、それに対応する役者の側も速度を求められているのだと思う。鉄は熱いうちに打て、と芯に立つ役者は常に新しい企画を練っているのだろう。
さて、新作はまず、第二部の『東海道中膝栗毛』(十返舎一九原作より 杉原邦生構成 戸部和久脚本 市川猿之助脚本・演出)である。「膝栗毛」ものは弥次さん喜多さんが旅をしていれば、他に制約はない。お伊勢参りなのにラスベガスへ行ってもなんの問題もない。ただし『ワンピース』と比べると、特にスタッフワークにおいて作り込みが不足している。固定した映像でラスベガスの光景や噴水を表象するのは安易で、歌舞伎座の広い間口に投影されると、淋しい心地さえする。悪ふざけも歌舞伎のお得意だから、それに対して文句をつけるつもりはない、ただし、直近の出来事を引用する場合は、楽屋落ちになる危険がある。古典のパロディはともかく、パロディとして成立した新作をさらにパロディとするためには、慎重なさじ加減が必要だろう。いや、楽屋落ちも歌舞伎の大切な要素ですといわれれば、その通りです。
新しい観客がこれに懲りずに、また歌舞伎座に足を運んでくれるように望む。
三ヶ月にわたって歌舞伎座で奮闘し、宙乗りを毎月見せた猿之助は、才気溢れ、企画力にとんだ役者だけに、一作一作を大事にしていただきたい。金太郎、團子が子役として芝居をする。弥次郎兵衛は染五郎。喜多八が猿之助。
続いて第三部の『廓噺山名屋浦里』(くまざわあかね原作 小佐田定雄脚本 今井豊茂演出)は、筋立て、演出ともに手堅い。勘九郎の宗十郎は、謹厳実直な武士。藩の大名かが江戸留守居役を命ぜられ、他の藩の同輩とつきあううちに、吉原に相方をつくるように迫られていく。偶然出会った全盛の花魁浦里太夫(七之助)が、宗十郎の人柄に惚れて間夫とするファンタジーである。冒頭の場面、装置のしつらえが『鳥辺山』を思わせるので、観客は悲劇を予感するが、いやいや、偶然を頼む筋立てながら、巧みに芝居を運んでいく。扇雀の山名屋主人を巧みに受ける駿河太郎も出色の出来。彌十郎と亀蔵の執拗なイジメがおもしろい。
笑福亭鶴瓶が平成二十七年一月に落語として初演した噺の歌舞伎化。新作の歌舞伎化としては人情噺としてよくできている。その意味では破綻を怖れぬ『東海道中膝栗毛』とは対照的だ。成功不成功は、その月のこと。こうした新作が納涼歌舞伎だけではなく、年に二本、三本と上演されてはじめて、歌舞伎は現代演劇の中心となったといえるのだろう。勘三郎が志した道は遠いが、猿之助、勘九郎、七之助には、この道をいつまでも貫いていく意思が感じられ、頼もしく思った。二十八日まで。

【閑話休題44】現代演劇としての歌舞伎。まつもと大歌舞伎と木ノ下歌舞伎の行方

信州毎日新聞の10日水曜日朝刊に、「現代を呼吸する歌舞伎」と題して、まつもと大歌舞伎、コクーン歌舞伎、平成中村座がいかに世界に対して現代演劇としての歌舞伎を主張してきたか、その歴史をたどりました。平成中村座の『夏祭浪花鑑』、コクーン歌舞伎の『天日坊』、今回、まつもとで上演された『四谷怪談』、木ノ下歌舞伎の『勧進帳』についても短くですが触れました。
今回、まつもと歌舞伎のシンポジウムに参加して、朝の11時から熱心な観客が集まったのには驚きました。継続して歌舞伎が上演されている地方都市はめずらしいと思います。それだけ歌舞伎がめずらしい到来物ではなく、広い意味で受け入れられているのだな。こんな都市がもう少し増えればいい。それには何が必要なのか。当然のことですが、よい劇場と芸術監督、そして継続性のあるスタッフがまず用意されて、すべてがはじまっていくのでしょう。
その意味で「身軽な」木ノ下歌舞伎は、地方公演も多く持っていく予定のようです。原テキスト主義でありながら、演出は従来の型にこだわらずに大胆に、というのが私が受け取った木ノ下歌舞伎の傾向ですが、若い集団だけにこれからまた、変化し、進化していくのでしょう。歌舞伎が身体の演劇であるとすれば、歌舞伎役者の舞踊によって作られた身体にいかに拮抗していくのか。女方がはらむ性の問題をどう考えていくのが、今日深い問題をかかえていて目が離せません。

2016年8月7日日曜日

【閑話休題43】『船弁慶』のアクシデントを右近の義経は見ていた

尾上右近さんの第二回「研の會」『船弁慶』で、知盛の霊が花道からの出からすぐに薙刀の先が折れるアクシデントがあった。
後見がしっかりしていたこともあって、尾上右近さんはなんなく切り抜けた。
こうした落ち着きがあったのは、なぜか。
もう、十年以上前になるけれども、平成十七年の八月、広島の厳島神社で尾上菊之助さんが『船弁慶』の静御前と知盛の霊を勤めたことがあった。義経は右近さん。弁慶は團蔵さんだった。
私は一日目だったのでこの回を観ていないが、二日目に知盛の薙刀の先が飛んでしまう事故があったと聞いた。
当時高校生だった右近さんは、間近でこのアクシデントを体験している。知盛役にとってこの事故は決定的なものになる危険がある。
そのため、今回も万一を考え、決して用心を怠らなかったのではないか。
そんなことを思いながら、充実した舞台を味わっていた。

【劇評57】尾上右近「研の會」知盛の雄渾。

歌舞伎劇評 平成二十八年八月 国立劇場小劇場

尾上右近が盛夏に開く「研の會」も二回目。前回は「吉野山」と「鏡獅子」。今回は『仮名手本忠臣蔵』の五段目と六段目、「船弁慶」である。いずれも六代目菊五郎ゆかりの演目で、右近がいかに音羽屋の系統の芝居、舞踊を大切に思っているかが伝わってくる。
全体に右近がすぐれているのは、本格の継承をなによりも大切に思っているところだろう。彼にとっては客受けするケレンやあざとい当て込みは無縁である。六代目と指導にあたった七代目の名を汚さぬように懸命に勤める。その姿勢がはっきりと打ち出されている。
まずは五段目。鉄砲渡しでの鉄砲と縄の扱いに丁寧さがある。段取りだとあなどるのではない。三代目から洗い上げられてきた勘平の型を神妙に受け継ぐところからはじめている。種之助の千崎弥五郎も神妙で、ふたりが判官の仇討ちをめぐって、それとははっきり言葉にしないけれども、肚を探り合い、それとなく計画を知らせるあたりに若々しい侍の自負心が読み取れる。闇から財布にぐっと手が伸びて、蝶十郎の百姓与市兵衛は突然、斧定九郎によって殺害される。染五郎が斧定九郎と六段目の不破数右衛門を付き合っているために、がぜん勉強会だったはずの舞台が大きくなる。長年、芯を取ってきた役者の風格が周囲の芝居を引き立てる。今回の舞台の成功は、染五郎の力によるところも大きいだろう。
「二つ玉」。あたりは深い闇である。勘平がみずから仕留めた「見知らぬ」死骸から金を奪う件りの怖れ、おののきに、まっすぐな気持がこもって、型と気持がともにひとつになった。
さて、六段目だが、さすがに緻密な段取りを追うだけでは手に負えない部分が出てくる。米吉のお軽とのやりとりも、勘平に気持の負い目が感じられず、抑えた情愛に乏しい。勘平は確かに若くはあるが、おのれの現実に我を忘れてはならない。お才(吉弥)、源六(橘太郎)お軽、義母おかや(菊三呂)、二人侍(染五郎、種之助)、そして自分自身との距離が、鮮明に描き分けていなければならない。さらにいえば、右近の勘平はまだ自分自身の困難が強く出て、周囲の人間への気遣い、配慮、そして真実の発覚へと順をおって追い詰められていく過程を追うには至らなかった。勉強会最初の回にこのようなことをいうのは酷かもしれない。回数を重ねて身につけていくべき事どもだろう。けれど右近にはそれだけの力量とセンス、そしてたゆまぬ努力ができる役者だと信じている。菊三呂はせっかくの大役だけに内にこもりすぎず、よりつっこんで勘平を責め苛んでほしい。このつっこみがあってこそ、勘平の苦渋はより深まるのだから。
休憩を挟んで『船弁慶』。ここでも染五郎の武蔵坊弁慶が、群を抜いてよいのはもちろんである。鷹之資の義経に品格と明晰さがあり、この一行が静御前を都に帰して、逃避行へと向かう辛さ、苦しさが冒頭からよく伝わってくる。右近の静御前は、その身体のありように落ち着きがあり、踊りによって鍛えられた成果があらわれている。口跡にやや難があるが、後段の知盛の霊との描き分けを考えるとよい出来であると思う。
知盛の霊となって花道から出る。この一瞬で悪霊であるとわかるかどうかが勝負だが、私の観た回は異様な高まりと凄みが感じられた。薙刀の先が折れるアクシデントも後見の機転で難なく切り抜け、右近自身の芝居も乱れを見せなかった。勇壮なだけではなく、敗軍の将の恨みが色濃く出て、今回の勘平、静、知盛のなかではもっともすぐれている。幕切れ近く、染五郎、右近、鷹之資と三対、絵面に決まる件りも大歌舞伎の大きさがでている。本舞台に定式幕が引かれ、知盛の引っ込みとなってからも、荒ぶる魂を鎮める気持が伝わってきた。雄渾きわまりない花道の引っ込みであった。
筋書きによるとすでに来年の第三回が決まっているという。次は音羽屋の系統にはない芝居もだしてはどうか。右近は幅の広い役柄を勤めるだけの力があるだけに、単に六代目の継承を試みるだけではなく、自分自身に合った当り役を当り狂言を探る意味で「研の會」を発展させていただきたい。そう願って蝉時雨の国立劇場を出た。

2016年7月31日日曜日

【閑話休題42】「夢想も抱かず絶望もしない立派な実際家」であるということ。都議選に寄せて。

 三島由紀夫の劇作家としての価値は、現在も下がってはいない。『サド侯爵夫人』『近代能楽集』の巧緻な劇作は、俳優の技藝とは何かを考える上でもおもしろく、世界的な普遍性を備えているように思う。
それに対して小説はどうか。と、問われると迷いが生まれる。華麗なる修辞がときにわずらわしく思えるのは、私が老境に達したからだろうか。
新潮新書から出た『人間の性(さが) 三島由紀夫の言葉』と題したアンソロジーがふっと気になって買い求めた。小説や評論の垣根をこえて、三島の警句を集めた新書である。そのなかに「われら衆愚の政治」と題した章がある。そのなかの一文が目にとまった。

 本当の現実主義者はみてくれのいい言葉などにとらわれない。たくましい現実主義者、夢想も抱かず絶望もしない立派な実際家、というような人物に私は投票したい。だれだって自分の家政を任せる人物を雇おうと思ったら、そうせずにはいられないないだろう。
「一つの政治的意見」(「毎日新聞」昭和35年(1960)年6月25日)

半世紀以上前に書かれた言葉だが、現在、私たちが置かれた現実にも通用するだけの射程をそなえている。
国政ではない。都知事選である。
「自分の家政を任せる人物」を選ぶというのは、なかなか悪くない。と思って候補者を見直してみるのだが、自称はともかく、立派な実際家がいったいどこにいるのか、首をかしげたくなる。
「夢想も抱かず絶望もしない立派な実際家」などというのは、絶滅種となりつつある。いや、政治家であることと立派な実際家は、両立しえないのではないかと考える。逆説的になるが、だからこそ、この三島の言葉は現在も警句として成り立っているのだろう。
ひるがえってみると、有権者もまた「夢想も抱かず絶望もしない立派な実際家」を求められていることに気がつく。
有権者であることと立派な実際家であることは矛盾しない。
両立しうるとすれば、さて、いったい誰を選ぶのか。
混迷は深まるばかりだが、気を取り直して投票所にいこうと思っている。

2016年7月24日日曜日

【劇評56】格差と貧困 高橋一生、吉高由里子の疾走感

 現代演劇劇評 平成二十八年七月 シアタートラム
シアター・トラムで疾走感あふれる舞台を観た。フィリップ・リドリーの『レディエント・バーミン』(白井晃演出 小宮山智津子翻訳)は、世界を席巻していた消費主義社会が不調になり、その速度を失いつつある時代を描いている。
若い二人の夫婦、オリー(高橋一生)とジル(吉高由里子)は、冒頭自分たちの罪について告白しはじめる。麻薬と貧困にあふれるスラムに育ち、その境遇から抜け出る可能性がないふたりは、ミス・ディー(キムラ緑子)と名乗る人物から一通の手紙を受け取った。将来性のある地域の五棟からなる廃屋のひとつをリフォームしてみないかというのである。「政府」に連絡するとはっきりではないが承認を受けている。現地にいくとミス・ディーは、すでに契約書を用意していた……。
劇の前半から早くから明らかになるので、ここで明かしてもいいだろう。
もし、観劇の予定がある方は、このあたりで読むのを止めてもよい。


各部屋は近隣のホームレスを殺すことによって魔法のように成し遂げられる。まだ、ジルのお腹にいる子供ベンジャミンのため、その美名を質にふたりは次々と「犯罪」を重ね、完璧に美しい部屋が次々と完成していく。
もちろんこの劇はファンタジーの形式を取る。このような現実があるわけもない。けれど、リドリーと白井は、そこに周到な寓意を込める。ふたりの成功が新たな移住者を呼び込み、五棟はすべて埋まっていく。近隣には大きなショッピングセンター(名前はネバーランド)が生まれ、雇用を生み出していく。はじめに移住してきたのは、宣伝などに出演する夫婦医師だった。
次第にその棟の人気が高まるに連れ、元裁判官、プロデューサーと社会的な地位をすでに得た人らが引っ越してきて「仲間」に加わっていくのだ。
このすべての人々を、高橋と吉高のふたりが、狂騒的に演じていくのが見物である。我を忘れ、自分を取り落としたままひたすら消費に走って行く姿は、テレビや雑誌の広告によって突き動かされてきた消費者の似姿でもある。
罪悪感を振り捨てようとしながら、ふたりは「犯罪」イコール「リフォーム」イコール社会的階梯の上昇をなしとげているかに見える。その象徴となるのが、生まれたベンジャミンの一歳の誕生日である。ガーデンパーティの形式をとった晴れがましい場は、一転してふたりがこれまで獲得した家を放棄するきっかけとなる。ふたりが生まれ育った地域では、緑の庭でのガーデンパーティなどありえないことだった。すばらしいインテリア、最新の電化製品に囲まれた家に加えて、「社交」をも手に入れようとしたときに破綻が起きる。これは厳然たる階級社会に閉じ込められた労働者階級の寓話ではない。格差と貧困がさまざまな壁を作りだしてきたこの二十年の日本でもあるのだ。
この舞台を見終えて、もはや経済成長のために国策を決めるのは、到底、無理な話になってしまっていると知る。オリーとジルは、今の家を出る時期に、二人目の子供を授かったと知る。少子化が止まらない日本で、内需に支えられた経済成長をこれからも長期に維持できないのは自明の事柄ではないか。
それでも百貨店や雑誌は、「すばらしいインテリア、最新の電化製品」のイメージを振りまく。それを手に入れたいのであれば、オリーのようにまず、男性が「ホームレス」イコール「異文化の他国民」を善意の神父を気取って狩りにいく。それでも富が足りないとすれば、今度は女性のジルまでが大量殺人に手を貸す。それによってはじめて自国の経済活動が維持され、快適な生活を送ることができるのだ。「戦争に行って罪はないが、自国の経済に貢献しない人間は殺してもかまわない。それによって特需が起き景気が上向きになれば結構」と、考えてはいませんか? と観客を挑発する。
こうした深刻きわまりない戯曲をブラック・コメディの形式に仕立て挙げた、リドリー、白井のしたたかさ。頭の隅に浮かぶ疑問を振り捨てるように子供に集中しようとする高橋、やがて欲望に取り憑かれコントロールがつかなくなる吉高、不気味な冷ややかさを漂わせるキムラとキャストの強い意志が舞台を支えている。
明日はとちらに行くのか。都知事選は間近に迫っている。
現代社会の行方を考える上で必見の舞台となった。

2016年7月18日月曜日

【閑話休題41】まつもと大歌舞伎と言い訳のあれこれ

七月はなにかと忙しく、講評会が続いて大学に通い、現代演劇を観るうちに、
松本にシンポジウムのために出かけることになった。言い訳になるけれども、
歌舞伎座の劇評を書く時間がどうしてもとれずに、遅くなってしまった。

松本ははじめて訪ねたけれども、街並みばかりではなく、市民のみなさんが、
人生を楽しんで生きているのがよくわかった。水が澄んで、空気が透明で、野菜がおいしい。
夏もしのぎやすく、喜びにあふれた。そばばかりではなく、よいイタリアンレストランにもめぐりあい
またとない時間を過ごした。

七月半ばになると私の務める東京芸術大学も来年度の学部、修士、博士の募集要項の配布がはじまる。
定年を考えると、来年入学する学部生が、仮に博士後期課程まで行くとすると、
博士号取得まで、通して教えられる最後の学年になると考えたりもする。

そんなことにこだわっているわけではないが、
私の研究室からも多士済々、芸術に対して尊敬を持つたくさんの学生に恵まれたので、
今更、何を望むわけではないが、劇評家としての後継者は、どうも育てそこなっている気がする。

批評を書きたい学生が受験してくれるといいのにと思ったりする今日この頃です。


【劇評55】猿之助の屈折、海老蔵の悪、中車の貫目

 歌舞伎劇評 平成十八年七月 歌舞伎座

海老蔵の持っているポテンシャルは、現在の歌舞伎役者のなかでも群を抜いている。とりわけ家の藝の荒事と実悪、色悪を演じるときに、ひときわ光彩を放つ。それはだれもが認めるところだろう。
七月歌舞伎座昼の部の『柳影澤蛍火 柳澤騒動』(宇野信夫作・演出 織田絋二補綴・演出)は、この海老蔵の才能の埋蔵量をよく意識した狂言となった。歌舞伎座では四十六年振りとあるが、三代目延若による国立劇場での初演と比べると、かなり整理がなされている。
それにもかかわらず、一幕目の浪宅の場、二幕目の桂昌院居間の場を冗長に感じてしまう。これは単に宇野の原作の責を問うわけにはいかない。『毛谷村』の六助でときに海老蔵が見せる善人めいた作り声にリアリティが欠けているからだ。
もっとも、東蔵の桂昌院には威厳があり、猿之助の隆光は曲者めいた屈折があり場を持たせた。中車の綱吉には犬公方とそしられるだけの狂気と弱さが備わっていた。
反面、四幕目、五幕目と悪に徹してからの海老蔵は、いよいよ輝きを増す。それに対して東蔵の桂昌院が死に際しての錯乱をみせるとき、いよいよ海老蔵の悪を際立たせる。「ご生母さま」と泣いてみせるときの冷ややかさが引き立つ。
海老蔵のポテンシャルも相手役があってのことで、腕や魅力がそなわった役者との共演が望まれる。
『流星』は、坂東流のやり方ではなく、沢潟屋らしく宙乗りまで見せ、空間の広がりがある。詞章を読んでもともと、上品で気取った踊りではない。猿之助が坂東流とは異なり面をつけての演じ分けも楽しく、雲の上の物語を軽く見せてほどがいい。(尾上)右近の織姫。巳之助の牽牛。
夜の部は、仁左衛門の名演で知られる『荒川の佐吉』(真山青果作 真山美保演出)。猿之助の佐吉、対となる弟分の辰五郎に巳之助。浪人の成川郷右衛門を海老蔵がつきあって、厚みのある芝居となった。
猿之助の当り役になるだろうと予感させるのは、なにより三下時代のみじめさ、卑屈さが手厚く描き出されているからだ。自らの境遇をひがんでいるからこそ、鍾馗の親分(猿弥)の娘で大家に嫁いだお新(笑也)の子を愛情を込めて育てている。その矛盾があからさまに出ていて、説得力がある。善行ではない。
この子育ては、佐吉のやむにやまれぬ生き方なのである。
それに対して人がよく、佐吉の生き方に共振している弟分の辰五郎もまたすぐれている。
この男は少しとろいのではないか。そう思わせて、懸命に生きている大工の性根をたんねんに描写していく。
第四幕、第一場。すでに成川を倒して大親分になった佐吉が、世話になった中車の又五郎に説得されるところがまたいい。
中車は苦渋を滲ませながらも、情理を説く。一歩も引かない男の貫禄で舞台を圧している。
この芝居でも昼の部の『柳澤騒動』と同じ事がいえる。猿之助もまた無人の一座での奮闘もいいが、海老蔵との対比があってこそ、猿之助本来の魅力が生きる。
それはひたむきな人間が、泪にくれるときの絶望ではなかったか。
続いて『壽三升景清』としてくくった『鎌髭』と『景清』。松岡亮の脚本、藤間勘十郎の演出・振付。荒事を演じさせて海老蔵が悪かろうはずがないが、『鎌髭』では祝祭劇を支えるだけの実質をそなえた役者が数少なくなっているのを感じさせた。
(市川)右近の猪熊入道は、これまでは演じてこなかった役柄だが、飄々たる味があり、なお軽くならずにおもしろく観た。
また、『景清』は、前回に上演のときも思ったが、海老蔵の登場が遅く、しかも太い格子にさえぎられ魅力が届かない。演出に新たな工夫が望まれる。二十六日まで。

2016年7月9日土曜日

【閑話休題40】参院選の行方。最悪なシナリオにならないための投票

先週、大変慌ただしく過ごしました。来週もかなり予定がつまっています。まあ、学期末はいつもこんな騒ぎなので慣れっこです。
プロの仕事がよいのはもちろんですが、学部二年生が作った30分ほどの「赤鬼」取手版が、野田秀樹演出のコピーに終わらず、オリジナルな視点を打ち出せたのは、素晴らしいことで、学生たちの前では、照れもあって隠していましたが、本当に心が動きました。巧くやりたいという欲望を乗り越えて、人の心を動かす作品となったときに、ようやく表現という衝動は、正面から肯定できるのだと思ったりしました。私自身の文章家としての行く末来し方を含め、さまざまなことを考えさせる舞台になりました。学生のみなさん、ご苦労さま。
気に掛かるのは参院選。今日明日と蜷川幸雄さんの追悼文(少し分量がある雑誌のための)があるので、今日のうちに投票に行ってこようかと思います。私の家は投票所に近いのだけが取り柄なので、雨でもさほど苦になりません。現与党は争点となるのを徹底して避けているようですが、結果によっては改憲に向けて国が大きく舵を切るかも知れない大事な選挙。考え抜いた結果を投票に行こうと思います。
それにしても、「国政に送りたい尊敬する候補者」などいるわけもなく、情勢を読みながら「最悪なシナリオにならないがための投票」になってしまうのは、なんとも情けないことです。ただ、情けないといって投票行動を放棄してしまうのは、事態を悪化させるだけだと思うので、気をとりなおして行って参ります。

2016年7月7日木曜日

【劇評54】中川晃教の節度。『ジャージー・ボーイズ』を観て。

 現代演劇劇評 平成二十八年七月 シアタークリエ

友人に「ミュージカルとはめずらしい」と云われてしまった。確かに、私はミュージカルの絶大な支持者とはいいがたい。演劇評論家の故扇田昭彦さんが『VIVA!ミュージカル』を上梓されたときの読書会で「長谷部さんはシリアスなものが好きなんでしょ」と釘を刺されたのを思い出す。確かに凡庸なミュージカルには興味がない。ロイド・ウェバーに熱心ではない。
それでもたまにはミュージカルを観る。特に、ブロードウェイやウェストエンドに行った時は話題の舞台は観るようにしている。とはいえ、観劇数も少ないし、専門家でもないからミュージカルの劇評を書いたのは、たぶん五本くらいだろうか。
この頃は大劇場ではなく中劇場でミュージカルを観る楽しみを知るようになった。今日は、有楽町のシアター・クリエで『ジャージー・ボーイズ』(マーシャル・ブリックマン、リック・エリス脚本、ボブ・ゴーリエ音楽 ボブ・クルー詞 小田島恒志訳 高橋亜子訳詞 藤田俊太郎演出)を観た。60年代のヴォーカル・グループ、ザ・フォーシーズンズの春夏秋冬を描いた作品だが、ニューヨークにほどちかいニュージャージー州に生まれ育った三人が、作曲の才にもめぐまれたボブと出会いスターになっていく過程がその裏側にあるネガティブな面も含めてえぐり出している。
周縁にいる者たちの成功への渇望、金銭と名声をえるためのツアー生活と引き替えに、家庭的な幸福を失っていく現実。紋切り型といえば紋切り型ではあるけれども、さまざまな局面で起きる事件とそれを受け止める生身の人間としてのスターが、すぐれた歌唱と身体によって表現されている。スターを演じることの厳しさが身に迫ってくる。
私が観たホワイトバージョンのメインキャストは、中川晃教のフランキー、中河内雅貴のトミー、海宝直人のボブ、福井晶一のニックだが、歌唱と身体ばかりではない、演劇として台詞を大切にし、不自然な誇張を避け、傷つきやすい心を抱え込んだ人間のありのままの姿が舞台にあった。
とりわけ中川の高音部での繊細な表現、そしてダンスのきまりの節度のよさは際立っている。さすがに主役を長く務めてきた力量は圧倒的だった。家族のために働く、家族から追放されるジレンマは、スターならずとも共有できる主題だと語るだけの説得力がある。
藤田俊太郎の演出は、よいキャストに助けられて、演技のみならず、視覚表現の細部まで手が届いている。課題をいえば、原作でふんだんな台詞を与えられていない女優陣により緻密に演技をつけていくところだろう。
中劇場の空間でこの水準のミュージカル俳優を味到する快感がここにはあった。

2016年6月23日木曜日

【劇評53】核をめぐる問題。段田安則、宮沢りえ、浅野和之の告発劇

 現代演劇劇評 平成二十八年六月 シアタートラム

二○○一年に初演された『コペンハーゲン』(マイケル・フレイン作、平川大作翻訳  鵜山仁演出)は、理論物理学の巨人、ハイゼンベルグとマルグレーテ、ボーアの三人による台詞劇で衝撃を与えた。物理学者と倫理、そして人間性の問題が、これほど上質に戯曲化され、舞台にのった例を知らない。客席には、大人の男性観客が目立った。日本の劇場では異例なことだった。新国立劇場では、〇七年に再演され、このときも深い感銘を受けた。
 今回のSISカンパニーによる上演は、翻訳が小田島恒志、上演台本・演出が小川絵梨子という布陣で、原作の本質を損なうことなく、戯曲を刈り込んでいる。一般の観客には馴染みのない物理学の用語を避けたというよりは、人間と人間の争い、こころの襞を明確化するためのテキストレジといっていいだろう。
 なによりすぐれているのは、段田安則のハイゼンベルグ、宮沢りえのマルグレーテ、浅野和之のボーアと、先の争いや襞を表現するには最強の布陣で臨んだところにある。段田のハイゼンベルグは、野心の良心のはざまで揺れる天才のありようをよくあらわしている。宮沢のマルグレーテは、夫ボーアを気遣いつつも、男たちの欲望と傷心をまっすぐに見詰めていく強さがある。そして浅野のボーアは、母がユダヤ人という宿命に翻弄された老学者の内省が胸を打つ。息子をヨットの事故で失った過去がいかに彼の人生を揺さぶっていったか。核をめぐる問題が深刻化している今、それぞれの真摯にして切実な逡巡が、私たちに決定的に欠けていることを告発している。
 演出の小川は、この三者の関係が刻々と変化していく様子を、それぞれの距離と舞台面のシンメトリーな対称によって視覚的に表現してすぐれている。さらにいえば、美的な表現に終わらず、人生の本質は闘争にあり、人間の意志によってすべては変化していくのだと語っているように思われた。見逃せない舞台である。七月三日まで。シアタートラム。

2016年6月20日月曜日

【閑話休題39】能『安宅』について、生まれて初めて書いてみた。

歯医者の定期検診に行ってから、定例のゼミが休みなので、お能についての文章に取りかかる。
能評のようなものは、生まれたときから自邸に能舞台がある人が書くものと言い聞かされてきたので、自分が書く機会があるなどとは思ってもいなかった。

能楽書林の編集者に前々から頼まれたのが気になっていたので、
急に書いてみたくなった。

六月の九日、十日に連夜、国立能楽堂で行われた『安宅』についてである。シテの弁慶は、浅見真州と友枝昭世。
いずれも当代を代表する能役者である。巧く書こうとはもちろん思いもしないが、これがどのような意味を持つのかが自分ではよくわからない。

編集者と相談して、稿を改め、掲載に値するようであれば、載せてもらうくらいの心づもりです。

2016年6月18日土曜日

【劇評52】歌舞伎の役柄を再創造するコクーン歌舞伎『四谷怪談』

 歌舞伎劇評 平成二十八年六月 シアターコクーン

コクーン歌舞伎も十五弾目と聞くと、気が遠くなる。勘三郎が蒔いた種子が大きく育ち、より大胆な第二期に突入したというのが、私の考えである。
今回の『四谷怪談』(四世鶴屋南北作、串田和美演出・美術)は、平成十八年に「北番」「南番」として別のテキストレジを行った上演のうち、「深川三角屋敷の場」を重く見た北番をもとに再構成されている。扇雀のお岩・与茂七、獅童の伊右衛門。勘九郎の直助権兵衛、七之助のお袖の配役で「三角屋敷」が出るとなると、お岩、お袖姉妹の母からゆずられた形見の櫛が流転していく物語になるのかと思った。それはそれで間違いではないが、伊右衛門とお岩、直助とお袖の関係とそれぞれの造形をもう一度見直して、歌舞伎の役柄そのものを再創造する試みのように思えた。
具体的には獅童の伊右衛門は色悪ではなく、主体性なく流されていく一人の男であった。お岩は父左門の生き方を尊敬そして反発しつつ、やはり男に頼らなければ敵討ちもそして生活も成り立たない哀れな女ではなく、この世の地獄に向かってひたすら落ちていく女に見えた。また、直助は小悪党というよりも女にだらしない好漢であり、お袖もまた夫与茂七と好漢直助のあいだで揺れる女であった。南北の原作そのものというよりも、それぞれの役を現代人の目で読み解き、成立させるにはいったいどうしたらよいのか。その視点に貫かれているからこそ『東海道四谷怪談』ではなく、今回は『四谷怪談』なのだろうと思う。
南北というと江戸の文化文政、爛熟した世相を映し、当時の下層社会を生世話として描いた作家とされる。もちろんその通りではあるが、こうした枠組みによって、南北の登場人物が型にはまってきてしまっていたのも事実であろう。思えば、21世紀になってからの東京もまた、文化文政時代に負けず劣らず、人がまっとうに生きることが難しい社会となった。民草の生活などなにも考えぬ総理が、独裁をふるって人々を苦しませている。そこには自殺や貧困が圧政のもとに生み出されている。串田の新しい『四谷怪談』は、現在を告発する劇として、古典を再生させたのであった。
衣装をふくめ江戸と現在が混在する。つまりは、ちょんまげとスーツが同じ舞台に乗るのである。ここまで来たならば、原作の時間軸にこだわることなく、より大胆なレジが行われ、さらに混乱が起きても作品性をそこなうどころか、よりインパクトを獲得できたのではないだろうか。二十九日まで。

2016年6月17日金曜日

【劇評51】雀右衛門の進境を博多座で観る。

歌舞伎劇評 平成二十八年六月 博多座

博多座で新・雀右衛門の襲名披露を観た。昼の部は、仁左衛門の熊谷、雀右衛門の相模、歌六の弥陀六に、菊之助の藤の方と襲名らしく顔の揃った『熊谷陣屋』。雀右衛門は出から威厳が備わって、急転する人生を受け止めつつ耐える女として相模を着実に作り上げる。仁左衛門は「ご内見はかないませぬ」と藤の方を止めるときの厳しさ、法衣になってからの内省と申し分ない。残された相模はどうなるのかと案じられたのは、襲名の雀右衛門を盛り立てようとする一座のよさだろうか。現在、考えられるかぎり一級品の『熊谷陣屋』といってよいだろうと思う。
夜の部は、『本朝廿四考』が出た。この芝居まずは菊五郎の勝頼が本舞台の芯にいるが、馥郁たる色気が漂う。円熟がこの芸容となったのだろう。上手に雀右衛門の八重垣姫、下手に時蔵の濡衣。愛太夫渾身の竹本に情がこもり、勝頼を慕っていた筈が、美貌の青年に惹きつけられ、やがて本物の勝頼とわかる筋立てを炎が燃え上がるように見せたのは、雀右衛門の手柄だろうと思う。切なさに心を裂かれる八重垣姫は、もとより難役だが、雀右衛門には先代とはまた色が違う。あえていえば現代的な切れ味、シャープさが備わっていてこの先の藝境が楽しみになった。
他に、菊五郎が自在な境地にいたって見せる『身替座禅』、仁左衛門と左團次がお互いの気持を探り合う『引窓』がすぐれる。孝太郎のお早の可憐。竹三郎のお幸の女親の哀しみ。これもまた一級の舞台である。
また、菊之助が『十種香』で白須賀六郎として颯爽と現れたかと思うと、次の幕では『女伊達』で江戸の粋を体現する。鮮やかな替わり方で、立役としても充実期にある菊之助の現在を楽しめる。これほどの大一座でない限り芯を取ることが多くなった菊之助が、脇に回る面白さがあった。二十六日まで。

2016年6月10日金曜日

【劇評50】猿之助全力の狐忠信

歌舞伎劇評 平成二十八年六月 歌舞伎座

六月歌舞伎座は、三部制で『義経千本桜』の知盛、権太、忠信を中心の演目をそれぞれ並べる。ここで言うまでもなく「三大名作」とまでいわれる義太夫狂言の大作だけに、相応の座組で取り組まなければ成功はおぼつかない。
まずは、「渡海屋」「大物浦」。染五郎初役の知盛だが、「渡海屋」の銀平に大きさが必要となる。「大物浦」の悲壮感は申し分ないが、銀平に武将であり貴公子である風をくっきりと見せなければ、この二幕がつながらない。つきすぎてはいけないし、かといって二つの役になってしまってもいけない。なるほどこの知盛の件りが難物であるとよくわかった。同じ事は、「渡海屋」のお柳と「大物浦」の典侍の局にもいえる。猿之助は世話でいくお柳に才気を見せるが、典侍の局となってから禁裏でかつて権勢をふるった局の複雑な性根を描き損ねている。松也の義経だが、先月の若衆といい、歌舞伎の根本にくらいつく覚悟が見えてきた。右近の相模五郎に厚み。銀平娘お安実は安徳帝で右近の長男武田タケルが初お目見え。芝居になっており、実質的な初舞台といってもいい。
「時鳥花有里」がつくが、「渡海屋」「大物浦」の後に続く必然性が感じられない所作事。かわりに「鳥居前」をだした方が観客に親切に思える。
第二部は、幸四郎のいがみの権太。描線が太く、大和の片田舎の小悪党というよりは、肚に一物ある在野の人物として造形されている。「木の実」「小金吾討死」と続くが、ここでも松也の小金吾が幸四郎の胸を借りて奮闘している。権太女房小せんは、秀太郎。さすがにこのあたりだけ上方の風が吹いてくる。市蔵の猪熊大之進は、端敵のおもしろさ、愉しさを伝えてくれる。続く「すし屋」は、染五郎の維盛、猿之助のお里は、仁にあった本役で舞台が落ち着き、すらすらと運ぶ。お里のいじらしさ。クドキに精彩がある。錦吾の弥左衛門は逼迫する事態に迷う爺の哀しさが感じられ、人間としての厚みがある。
第三部は狐忠信。『道行初音旅』は、清元、竹本地のよく知られた舞踊。知られているだけに、要所要所は楷書で締めなければならないが、〽恋と忠義は」の出、「女雛男雛」のキマリ、忠信の軍物語ときっちり見どころを押さえている。配役は前幕とは逆に、猿之助が立役の忠信、染五郎が女方の静御前と意表を突くが、これが成功のもとだろう。半道敵の逸見藤太は、猿弥。この役は見事に手に入っていて、自在に客席を湧かせる。続いて『川連法眼館』を沢潟屋の派手な型で見せる。猿之助が伯父から継承し、自らのものとしてきた佐藤忠信実は源九郎狐。本物の忠信をあえて生硬につくって、狐と替わってからは愛嬌をふりまく。細やかな手順を微分するかのような執着が感じられて、猿之助ならではの『四の切』となった。笑也の静御前は可憐にして上品。静御前が源九郎狐を呼び戻すために鼓の皮を湿らせる件りなど、急がず、悠然と演じている。また、腰元たちが庭を改める件りも端折ったりしない。このあたりの一見、なんでもない場面を丁寧に作っているからこそ、この芝居の怪異が生きて、さらには源九郎狐の変身も自然に受け止めることができる。竹本の葵太夫がさすがの出来で、猿之助、笑也もよく糸に乗っている。鼓の音に聴き入る件りも真剣そのもの。狐言葉も不安がない。門之助の義経も安定感がある。義経から鼓を与えられてから、喜びが真に迫る。ゆえに、続く宙乗りへとつながっていく。桜吹雪をあびて全力の舞台であった。二十六日まで。

2016年6月4日土曜日

【劇評49】言葉と音の意味は攪拌されて。『こぼれる現相』の斬新。

現代演劇劇評 平成二十八年六月 シアター・バビロンの流れのほとりにて

言葉と音、現実と虚妄について考えさせられる舞台を観た。
片岡真優脚本・出演・演出の『こぼれる現相』は、自らの虚妄をいかに持ち続けることができるのか、それを可能にするのは何か、問いかけに満ち満ちている。女(片岡)は出産したけれども、子供はどこかに消えてしまったと主張している。フリーランスのライター(高木優希)は、神話上のプーカを世界の湖で探していたが、ついに東北の十和田湖の海底で発見し、写真撮影、映像撮影に成功したと編集部に売り込んでいる。女が子供の消失は確かにあったのだとライターに訴えるうちに、ふたりの持つ虚妄が重なり合い、グロテスクな「現相」が暗闇に立ち現れる。
「現相」とは片岡の造語で、公演後に手渡されたパンフレットでは、現実のかわりに「影絵のようにハリボテで影を作って、影の持ち主の存在を信じてもらおうとする」その現れであるとする。ここには、まぎれもなく現実のリアリティを喪失してしまった私たちの現在がある。そして、その現在から目をそらさずに、演劇でもなく、音響インスタレーションでもないまっすぐな表現の場を作り出そうとする意志が強くあった。
会場には天井から白いイァフォンが垂れ下がっている。ふたりのキャストがイァフォンをつけているために、観客たちは、何の指示もないにも関わらず、ごく自然にイァフォンを装着していた。
携帯からスマホへの移行によって、いつなんどきでもイァフォンを耳にしている光景はありふれたものとなった。
舞台上のアクターとともに、このイァフォンを耳にした観客もまた、同一の場でアクトする結果となった。音楽・演出の増田義基は、もとより演劇の音響の役割から離れている。言葉の意味を補強するよりは、舞台上の人間の耳にいつも届いているはずのノイズをあたりに拡散しているように思えた。
考えてみれば、劇場のように外部のノイズを遮断した状態の場は、きわめて稀である。言葉は生活の多くの場面で音楽を含むノイズとともに耳に届き、言葉と音の意味は攪拌された状態で脳に達するのだった。その意味でも、本来の性格から実体を持たず、場所を占有しない音の存在が、この劇に深くまとわりついていた。
もとより、舞台は荒削りである。完璧という表現からは遠い。けれどここには、「現代演劇」や「現代音楽」から、軽々と逃れて、自身の表現を探る真摯な姿勢がある。のちに「実はこの舞台から見ていたといわれるようでありたい」。そんな表現を続けてもらいたいと願いながら、王子神谷の劇場を後にした。六月五日まで。

https://www.quartet-online.net/ticket/koborerugenso

2016年5月27日金曜日

【閑話休題38】オバマ大統領の空疎な言葉

オバマ大統領の空疎な演説を聴いていたら、眠くなってしまった。実体のない言葉よりは、もうすこし原爆資料館に時間を割いたらどうなのだろう。元大統領になったときの影響力保持よりは、原爆の現実を直視する体験を持ってほしい。もはや、演説家としてのカリスマさえ消えてしまった。
隣に控える安倍首相の存在感はさらに薄い。自分が米議会で演説したことから、この広島の重大なスピーチをはじめるのは、いかがなものか。こんな指導者を日本は許容しているのかと思うと情けなくなった。

2016年5月26日木曜日

【劇評48】蜷川幸雄の遺作『尺には尺を』。最後の贈り物。

現代演劇劇評 平成二十八年五月 彩の国さいたま芸術劇場 

演出家蜷川幸雄の遺作『尺には尺を』を彩の国さいたま芸術劇場で観た。
幕切れ、背景が飛ぶと青空が広がっている。カーテンコールでは、蜷川実花撮影の大きな遺影が掲げられる。その青空を観ながら、ただならぬ絶望のなかでも、かすかな希望を語ってきた蜷川幸雄の演出を観るのもこれで最後なのだと思ったら、胸に迫るものがあり、泪を押しとどめることができなかった。
『尺には尺を』は、シェイクスピアの喜劇のなかでも上演回数が少ない。それには理由がある。まず、主人公のアンジェロの造形がむずかしい。法に忠実なはずの謹厳実直な人物が、自ら修道女のイザベラに迫る。しかも、婚約者を妊娠させた罪で死刑を命じられた兄の赦免を嘆願に来たイザベラを口説くのである。主役といっても中途半端な悪役であって、成立させるのがむずかしい。今回この難役を引き受けた藤木直人は、前半の鉄面皮ぶりから、一転して色に迷う人間くさいアンジェロを作り上げ、成功した。また、イザベラの多部未華子も、徹底して清純に作ることで、かえって頑なで妥協を知らない少女を浮かび上がらせた。このふたりのバランスのよさが劇を支えている。
そして、なんといっても公爵、修道僧のヴィンショーを演じた辻萬長の人間としての厚みが劇を豊かなものにしていた。公爵という高い身分でありながら、詭計をめぐらして、すべての人々を救おうとする。高貴なだけではなく、いたずらな心を兼ね備えているからこそ、魅力的な人物として舞台にリアリティを与えた。
大石継太のルーチオ、立石涼子のオーヴアンダン/フランチェスカ、石井愃一のポンベイと蜷川組常連の腕のある役者が、人間はさもありなんと観客を引き込む。周本絵梨香のマリアナは、ひたむきさを前面に出して、現代ではありえない行動に説得力を持たせた。
十二月に蜷川は入院しているので、稽古場には立てなかった。それにもかかわらず、まぎれもなく蜷川作品となっているのは、演出補の井上尊晶はじめスタッフが、蜷川の演出がいかなるものであるのかを熟知し、蜷川ならばどんなだめ出しをするかを徹底して想像し、検証する作業を怠らなかったからろう。蜷川は、自分が手塩にかけたスタッフ、キャストから最後の贈り物をもらって逝った。そして観客もまた、その贈り物を受け取ることができた。かけがえのない舞台である。六月十一日まで。そののち、北九州、大阪公演が控えている。

2016年5月22日日曜日

【お知らせ】渡辺保さんの『天才と名人 中村勘三郎と坂東三津五郎』評

私自身、書評をときおり頼まれるので、感覚的にわかるのだけれど、
今度の『天才と名人 中村勘三郎と坂東三津五郎』は、物語性が強く、
評論として扱う論点がむずかしい。
「私の本は、これまで書評に恵まれてきたけれども、今回は出ないかもしれませんよ」
と入稿のときに担当編集者に断りをいれていたほどだった。

諦めかけていたところに、演劇評論家の渡辺保さんが、
五月二十二日付毎日新聞に、懇切な書評を書いて下さった。
毎日新聞のサイトから、無料で読めるようです。

以下は、文春プロモーション部のtweetから引用します。

毎日新聞で『天才と名人 中村勘三郎と坂東三津五郎』(長谷部浩/文春新書) ow.ly/t1Zw300rS4z を渡辺保さん(演劇評論家)がご紹介くださいました。「どんな映像よりも強く、二人の息吹がこの本から立ち上って来る」 ‪#‎歌舞伎‬

今週の本棚:渡辺保・評 『天才と名人−中村勘三郎と坂東三津五郎』=長谷部浩・著 二人の遺した歌舞伎への「警告の書」 - 毎日新聞 ow.ly/KWsO300rS8N #歌舞伎

2016年5月21日土曜日

【閑話休題37】蜷川幸雄さんの写真

蜷川幸雄さんが亡くなって1週間が過ぎた。
親しかった関係者とそれぞれ思い出話をする機会があったのだが、
なぜか泪が出てこない。なにか感情があふれでるのに、
堰のようなものがかかっていて、とどまっている。
もう、しばらくしたらその信じられない死が、実感となり、
哀しみが襲ってくるのだろうと思う。
他の気の張る仕事が重なり、
忙しい1週間だったこともあるのだろう。

ふと思いついて、探したのだが意外に、蜷川さんを撮った写真がなかった。
勘三郎さんや三津五郎さんのときも思ったのだが、どうも尊敬する人たちに、カメラのレンズを向けるのは遠慮があったようだ。
このカットは演出助手時代の藤田俊太郎さんを撮影しますと断って、背景に写っていただいた。
元気な蜷川さんは、こんなとき、きちんと役割を演じてくれた。

2016年5月18日水曜日

【お知らせ】藤田俊太郎さんの追悼文

五月一七日付産経朝刊に載った演出家・藤田俊太郎さんの追悼文です。
藤田さんは、蜷川幸雄さんの演出助手を十年余り務めました。
http://www.sankei.com/entertainments/news/160517/ent1605170001-n1.html

2016年5月12日木曜日

【訃報】演出家蜷川幸雄の時代

状態がよくないとは聞いていたが、こんなに早くそんな知らせが来るとは思わなかった。
演出家蜷川幸雄と同じ時代を生き、たくさんの舞台を観てきた。
それだけではなく、聞書きを残す光栄を得た。劇評もたくさん書いた。
弱者に優しく、困ったときは助けて下さったのを感謝している。

偶然ではあるけれども、芸大の私の研究室から蜷川さんの演出助手となり、
十年修業して、現在はミュージカルの演出をしている藤田俊太郎さんと昨日会った。
大学院の修士1年に向けた講義で、東京をテーマに話した。
藤田さんの演出作品を三本紹介したあとで、
2000年に上演された「グリークス」の冒頭の話になった。
それが昨日のことで、呆然としている。

依頼があった追悼文を書き終え、今日できる果たすべき役割を終えた。
弔問に伺おうかと思ったが、近しい関係者から連絡あり、
ご家族がお疲れなのでと、丁寧な挨拶をいただいた。
また、このブログでも思い出を書く機会があるかと思うが、
今は、追悼文の筆を置いたので、これまでとしたい。

【劇評47】初目見得と海老蔵、菊之助の『男女道成寺』

 歌舞伎劇評 平成二十八年五月 歌舞伎座夜の部

新しい命は、人間を無条件に幸せにする。菊五郎、吉右衛門の孫、菊之助の長男寺嶋和史の初目見得は、たくさんの祝福の花に彩られて、歌舞伎の未来へと希望をつなぐ一幕となった。『勢獅子音羽花籠』は、幹部が勢揃い。威儀を正しての口上にはない暖かいひとときであった。
続く『三人吉三』は、菊之助のお嬢、海老蔵のお坊、松緑の和尚と三人の吉三が出会う「大川端の場」。この一場だけだす場合は、筋や型うんぬんよりも、役者っぷりを競うことになる。また、それぞれの役にいかにみずからの個性を打ち出すかも見どころとなる。この顔合わせでは七年ぶりになるが、やはり大きくこの世代が歌舞伎のフロントに出てきた印象が強い。なかでもきかん気が強いが懐も深くなった海老蔵のお坊、単に美しいばかりではなく、豊潤な色気に悪の気配を隠した菊之助のお嬢の進境が著しい。和尚は座頭の役だけに、ふたりの役者を納めるには、さらに年輪が必要になるのだろう。(尾上)右近のおとせ。
松緑の出し物は『時今他桔梗旗揚』。「馬盥」と「連歌の場」だが、光秀を松緑で観るのは平成十八年の新橋演舞場以来だから十一年振りとなる。当時は大きく見せようと身体が伸び上がる癖が目立ったが、さすがに肚に落ちてきた。團蔵の春永は光秀をいたぶる役だが、光秀を襲名で経験しているだけに、ただ押すだけではなく、攻めどころ、引くところ緩急があって長い「馬盥」を持たせる。「連歌の場」となってからは、徹底した辛抱の果てに、光秀は本能寺で春永を討つと決意する。それまでのこころの内を活写していく。辛抱立役に近い役どころだが、こうした芝居は脇に人を得ないとむずかしい。その点、時蔵の皐月の慎重、梅枝の桔梗のひたむきさ、受けの芝居もすぐれてこの場を盛り上げる。ただ、幕切れの光秀の高笑いはいかがなものか。『時平の七笑』ではない。せっかく耐えに耐え、皐月はじめ一族へ後を託し、家臣たちを戦場に駆り立てる武将の大きさがこの笑いによって吹き飛んでしまっている。
夜の部の切りは海老蔵、菊之助による『男女道成寺』である。菊之助は、玉三郎と『二人道成寺』の上演を重ねて、花形では道成寺物のトップランナーになったといっていい。「男女」とはいえ、この菊之助と同じ舞台でともに踊るのは、海老蔵にとって相当の勇気が必要だと思った。
ところが幕が開いてみると、冒頭の金冠からその不安はまったくといっていいほどなく、この踊りは単に舞踊技術ではなく、役者の華を見せる手もあるのだと納得させられる。それほどの意気込みで海老蔵は、左近となってからも誠実にこの大曲に向かい合っている。菊之助は当然のことながら、技術的には成熟し、そのためその場、その場に余裕が感じられる。お嬢吉三でも書いたが、自らを頼む心があるから、熟れた女性の色気が全体に漂う。従って玉三郎との『二人道成寺』ではなかなか経験できなかった「恋の手習い」のくだりに廓の女の艶が出るようになった。ただ、『男女道成寺』のために「鞠歌」のくだりを海老蔵に譲ることもあって、おぼこい町娘を強調するところが乏しい。可憐だけではだめ、色気いっぺんとうでもだめ。なかなかむずかしい。解決策としては、一人で踊る「花笠」では色気を抑えて、おぼこく踊ると全体に変化がつくだろうと思う。いずれにしても高いレベルでの註文で、ふたりの華やかな舞台にけちをつけるつもりはみじんもない。二十六日まで。

2016年5月5日木曜日

『お知らせ』『坂東三津五郎 踊りの愉しみ』に重版がかかりました

岩波の担当者から連絡が入り、『坂東三津五郎 歌舞伎の愉しみ』に続いて『踊りの愉しみ』にも重版がかかったという。地味といえば地味な一冊だが、この二月、シネマ歌舞伎で勘三郎との『棒しばり』と『喜撰』が上演されたのも影響しているのかも知れない。もちろん少部数ではあるけれども、また、新しい読者の手に届くと思うとなにより嬉しい。『天才と名人 中村勘三郎と坂東三津五郎』を併読していただくと、踊りの背景にふたりのライバルの物語があるとわかったいただけるのではないか。

【劇評46】時代物の未来を占う海老蔵、菊之助の「寺子屋」歌舞伎座昼の部

 歌舞伎劇評 平成二十八年五月 歌舞伎座昼の部

現在の大立者、菊五郎、吉右衛門が孫の寺嶋和史の初お目見得のために共演する團菊祭五月大歌舞伎。番組の全体を見渡せば、松緑、海老蔵、菊之助の世代が芯を勤める清新さ。しかも、初お目見得もあって顔見世にも匹敵する座組となった。
昼の部は明治三十二年に歌舞伎座で初演され、昭和三十七年に上演されてから絶えて舞台にのらなかった『鵺退治(ぬえたいじ)』(福地桜痴作 今井豊茂補綴 藤間勘十郎演出)。もちろん復活狂言の意義を否定するわけではないが、それには理が必要である。顔は猿、胴体は狐、手足が虎、尾が蛇という姿の着ぐるみとの立廻りが売り物では、観劇の意欲がそがれてしまう。上演台本は形式は整っているが、実質がなく、ドラマととしての展開に乏しい。梅玉の源頼政、又五郎の猪の早太、関白九条基実の錦之助、魁春の菖蒲の前。いずれも歌舞伎の役柄の類型のなかでこなしているが、内実で観客を揺さぶるまでには至っていない。
続いて『菅原伝授手習鑑』の「寺子屋」。海老蔵の松王丸、菊之助の千代、梅枝の戸浪、松緑の武部源蔵という布陣で、実力を備えてきた花形・中堅が時代物にどう立ち向かうか歌舞伎の未来を占う一幕となった。松王丸は、幸四郎、吉右衛門、仁左衛門のように現在も立派な立役が健在なだけに、清新さだけで新たな造形がなされるわけもない。海老蔵の松王丸は、出がやや病を強調しすぎる嫌いはあるにしても、「何をばかな」と戸浪に怒りをあらわににするとき、凄絶さにすぐれている。自らの子を殺すことをいとわない怖さが備わっているから、梅枝の受けの演技も効果的に生きてくる。さらには父團十郎ゆずりの刀を抜いての首実検の立派さ、そして覚悟の強さ、ずっと抑制を続けた果てに、肚をわって泣き上げる件りまで、役を作りすぎず丁寧に演じている。
菊之助の千代は、一昨年の大阪松竹座で仁左衛門の松王丸に戸浪を勤めた経験も生きて、義太夫狂言ならではの間の詰め方、糸への乗り方、申し分のない出来で、今後、「寺子屋」ばかりではなく時代物の女方では引く手あまたになるだろう。帷子を抱いて泣き落とす件りだが、やや身体よりは声が先行している。泣き声はあくまで抑えた身体からあふれ出るようでありたい。このときの海老蔵の受けの芝居もよく嘆きの大きさがふたり並ぶと見えてくる。門火を求める台詞にも愁いと哀感がこもった。梅枝の戸浪は、出過ぎず、歌いすぎず、この狂言にきちんと向かい合って、修業を続けているのがよくわかった。松緑の源蔵だが、口跡の乱れがこの役の深刻さ、救いのなさをさまたげてしまっている。また、戸浪との間に情愛が乏しく、小太郎を菅秀才の身替わりと決めてから、源蔵自身の危機は、またこの夫婦の絶望でもあるようにみえるとなお劇が深まるだろう。
さて、時蔵の十六夜、菊之助の清心で久しぶりに出た『十六夜清心』だが、「百本杭の場」では、清心へと愛情を迫る十六夜に対して、廓に戻れと説得する清心の冷ややかさが不足しており、中途半端になっている。この場では、女性の過度な愛情に飲まれていく僧の身勝手さをも見せておかなければ、第三場「百本杭川下の場」での求女殺しと、悪党の目覚めへとつながらない。
時蔵はさすがの貫禄で、そのときの愛情にすがって生きる廓の女の哀しさで全体を通す。とくに第二場、「白魚船の場」での混乱がよい。なだめる左團次の白蓮、亀三郎の船頭三次も手堅い。第三場の幕切れ、白蓮に釣れられて上手から登場する十六夜がいい。そののち、「だんまり」となって、清心が花道七三に行って絵面に決まる幕切れは黙阿弥ならではの頽廃した風情が出た。
少し戻るが、菊之助の清心が「しかしまてよ」と現世の欲望に目覚めるときの目のぎらつき。先月明治座で『女殺油地獄』で親しい姉のようなお吉を殺した与兵衛の残響が感じられた。
切りはお楽しみ。吉右衛門の五右衛門と菊五郎の『楼門五三桐』。芸容の大きさはふたりとも申し分なく、値千金の一刻一刻を愉しんだ。五右衛門に打ちかかる久吉の臣、右忠太が又五郎、左忠太が錦之助という豪華版である。二十六日まで。

2016年5月3日火曜日

【閑話休題36】艶。寿南海先生の「黒髪」。

艶。

花柳寿南海先生の「黒髪」。

よくピナ・バウシュの例をとって、飛んだり跳ねたりすることが、踊りなのですかと講義で問いかけたりする。

寿南海先生は、最小限の動きだけれど、その柔らかさ、自在さは、到底若い踊り手は及ばない。ダンスとは何かを考えさせられる。
三十年くらい前に、晩年の武原はんさんの「雪」をこの大劇場で観たときのことを思い出したりした。

大きく動くこと、敏捷に動くことは、踊りの必要条件ではない。

2016年4月29日金曜日

【劇評45】舞台には登場しない野鴨

現代演劇劇評 野鴨 文学座アトリエ

怒濤の新学期が落ち着き、ようやくゴールデンウィークに入った。予定を決めなければとホワイトボードに書き出したら、2日は休日ではなかった。暦通りなどどいったら、きっと学生は哀しそうな顔をするだろうなと思ったので、休講にしました。
慌ただしいなか、『たとえば野に咲く花のように』(新国立劇場)、『アルカディア』(シアターコクーン)、『野鴨』(文学座アトリエ)『二人だけの芝居』(東京芸術劇場)などを観たのだが、それぞれにおもしろく、やはり演劇の根本には戯曲があることを再確認した。その上で身体の芸術だから、俳優の魅力、技術があるのだろう。
この中では、もっとも地味な上演ではあるけれど、『野鴨』の坂口芳貞と小林勝也が、人間の滋味を感じさせる芝居で時間と空間を引き締めていた。人間と書いたけれど、このクラスの俳優になると、俳優として生きてきた年輪そのものが舞台上にあるように思う。
戯曲を読み、稽古場に立ち、本番を迎え、千龝楽がくる。その連続の中で、愉しみ、苦しみ、喜び、悲しんできた人生そのものを、味あわせてもらっている。そんな気がした。
もっとも、こうした演技を成立させるのは、ヘンリック・イプセンの言葉なのであった。家族というシステムが、人々を狂気に陥れていく。原千代海の訳、稲葉賀恵の演出とあいまって、実に深みのある人間が狭い牢獄のような家にひしめいている様子が伝わってきた。
この芝居には直接、野鴨が登場することはない。けれど屋根裏部屋にひとりいる野鴨が、人間存在の写し絵のようにも思えてきた。野性から切り離され、人間達の玩具として、ようやく生き延びている野鴨。舞台に登場しない動物がまざまざと呼びさまされたところに、稲葉演出のよさがあるのだと思う。文学座のイプセン上演は半世紀ぶりだというが、腕こきの名優が健在のうちに再度の上演を待ちたいと思い、暗い休日の信濃町を歩いた。

2016年4月15日金曜日

【劇評44】仁左衛門渾身の「杉坂墓所」「毛谷村」

 歌舞伎劇評 平成二十八年四月 歌舞伎座昼の部

四月歌舞伎座夜の部、仁左衛門渾身の『彦根山権現誓助𠝏』。通常は「毛谷村」からだが、今回は先立つ「杉坂墓所」が出たので、六助が弥三松を引き取る経緯、そして六助が微塵弾正の計略にかかって試合の勝ちをゆずる理由がよくわかる。歌六の弾正があえて身体を硬く使って、偽善で固めた性格を指し示す。
とはいえ、芝居の眼目は「毛谷村」。孝太郎のお園は、女武道ながら内心のかわいらしさがよくでた。婚約者とわかってからの恥じらい、はしゃぎっぷりはこの役者ならではのもの。彌十郎は斧右衛門をつきあうが、百姓ではない。土ではなく、木であり、母殺しの仇を討ってほしいとの訴えに誠実味がある。真実を知ってからの仁左衛門が、抑えた芝居で真実の怒りをみなぎらせた。「毛谷村」は実はむずかしい芝居だと思うが、近年のなかではもっとも充実している。現在の仁左衛門に似合った出し物となった。
続いて高野山開創一二○○年記念と題した新作歌舞伎『幻想神空海』(夢枕獏原作、戸部和久脚本、斎藤雅文演出)。唐の都長安に遣唐使の留学生としている時代、空海(染五郎)が遭遇した怪事件を描く。若き日の空海、相棒となる橘逸勢(松也)。青春を謳歌し、ひとかどの人物となっていく成長譚だが、いかんせん、物語が筋を追うばかりで、歌舞伎的な演出にも乏しく冗長な六章となってしまっている。先月襲名した雀右衛門の楊貴妃、歌六の丹翁、幸四郎の皇帝はさすがに立派だが、ドラマを大きく動かすには至っていない。二十六日まで。

【劇評43】悪が吐く毒 幸四郎の『不知火検校』

歌舞伎劇評 平成二十八年四月 歌舞伎座昼の部

春爛漫の四月大歌舞伎は幸四郎、仁左衛門に、先月襲名したばかりの雀右衛門も加わった一座。新作歌舞伎(かきもの)もあって、斬新な番組立てとなった。
昼の部はまず『松寿操り三番叟』から。すっかり操りといえば染五郎の当り狂言となった。今回は後見が松也で、さらっと、そして華やかに幕をあける。五穀豊穣を願う踊りで春のさかりの浮き立つ気分にふさわしい。
続いて宇野信夫作・演出、今井豊茂脚本の『不知火検校』。十七代目勘三郎が初演したこの芝居、平成二十五年九月には、新たに改訂した台本で幸四郎が富の市、後に二代目検校を勤めている。幸四郎は第一幕の富の市では、地を這うような野心の鋭さを見せ、第二幕検校に成り上がってからは、悪のなかに俗っぽさを漂わせることを厭わない。ありていにいえば、好色ぶりも強調して、欲望のままに振る舞う人間の本質をあきらかにする。悪の手助けをするのは、手引の幸吉実は生首の次郎(染五郎)、丹治(彌十郎)、玉太郎(松也)だが、三人三様、悪といっても濃淡があり、個性があるとよくわかる。小説でもピカレスクロマン(悪漢小説)が好まれるのは、人間の自由とは何かを問いかけてくるからだろう。この芝居もそうなっている。孝太郎がいささか品のない愛妾おはんを好演。その間夫指物師辰五郎(錦之助)も頼りないところが好ましい。
第二幕第六場、町の人々から礫をあびた検校。幸四郎は悪が吐く毒を濃厚に漂わせる。「おらぁ地獄でまってるぜ」のタンカも効いた。
昼の部の切りは、ご存じ『身替座禅』。仁左衛門の山蔭右京、又五郎の太郎冠者、米吉の侍女千枝、児太郎の侍女小枝、左團次の奥方玉の井と鉄壁の布陣。仁左衛門は単にここにはいない花子への浮気心ばかりではなく、怖い奥方に対する甘えの気持を滲ませるのが手柄。又五郎は「はーっ」と出から気の力をこめてこの狂言をひとときも気を抜かずに支えている。左團次と又五郎の芝居が弾み、この狂言では初顔合わせだが、芝居への愛情が伝わってくる出来だ。後半、太郎冠者から奥方に替わっていると知らずに、花子へのおのろけをひとりがたりする件り、仁左衛門は春風駘蕩たる気分が先行して、情景の描写が後退する。これに対しては賛否があるだろうと思う。二十六日まで。

2016年4月10日日曜日

【お知らせ】明治座の劇評、女殺油地獄

今月、明治座の劇評は、来月号の『演劇界』に掲載の予定なので、こちらのブログにはアップしません。

ですが注目の女殺油地獄についてひとこと。与五郎は最初に聞いたときから、菊之助の仁になく、
音羽屋菊五郎家の江戸二枚目の系統にはないと思いました。
かなりむずかしいだろうと予想していましたが、
殺し場へと役を一貫させるために、序幕から徹底した歪みを強調した芝居で、
この役を成立させていました。

上方の雰囲気が足りないとの指摘は、もとよりあると思いますが、
これは菊之助ひとりでなんとかなる問題ではありません。
橘三郎、上村吉弥の夫婦の芝居で、そのあたりはどうぞ堪能して下さい。

歌舞伎座の劇評は、近日中に。また、このところ二本現代演劇を観ましたので、
追々、機会があればこのブログで公開していきます。
どうぞご愛読くださいますように。

2016年3月21日月曜日

【劇評42】監視社会の泥濘 風間杜夫と小泉今日子の色気

現代演劇劇評 平成二八年三月 本多劇場

岩松了作・演出の『家庭内失踪』を観た。文學としての演劇、いや演劇の文学性といったらいいのだろうか。領域を横断する表現が、舞台上にある。
第一に、この作者が言葉の裏側にある含意について、たぐいまれな想像力を働かせれているとよくわかった。
また、第二に日本だけではなく近代文学がその出発点から抱え込んできた性の問題を改めて直視していると考えせられた。
最後に、俳優が台詞に文学性を与えることの是非についても思うところがあった。
ポット出版から出た戯曲のあとがきに岩松自身が書いている。
「36歳の時に書いた『蒲団と達磨』の後日談として、この『家庭内失踪』を書いた。
『蒲団と達磨』は、高校教師の野村のところへ後添として入った雪子が、先妻の子であるかすみの結婚式の夜に、夫の野村に別居を言い出すという話だった。雪子は野村の性的な欲求に耐え難いものを感じていたのだ。
年月が経ち、野村は年齢からくる精力の衰えに苦悩している。雪子にとってそれはあの頃の立場の逆転を意味しているわけだった。そして結婚したかすみはいかなる理由でか、夫である石塚のもとにいることを嫌い、実家である野村家に身を寄せている。それがこの『家庭内失踪』の状況。この逆転の話を書いた私は63歳になっている」
作者自身による要約はめずらしいが、この整然たるストーリーとは裏腹に、現実の舞台は錯綜している。
その錯綜をもたらすのは、まず岩松自身が演じる望月という謎の男だ。
二年ほど前から望月は長年暮らした妻の家から出て、
「旦那がいない世界を女房に見せたい」
がために同じ町内にアパートを借りて、妻の動向を監視している。ときには、ピザ屋の配達の制服まで着て、妻の外出を注視しているのだ。
そのうちに、野村(風間杜夫)と雪子(小泉今日子)の動向を同居するかすみ(小野ゆり子)が監視しているとわかる。
さらに雪子と別居した石塚は、かすみを監視するために毎週、部下の多田(落合モトキ)を野村の家に訪ねさせている。多田を軸にかすみとの関係、雪子との関係が疑われ、ついにははじめ誰の指令で訪れているのかさえわからぬ青木(坂本慶介)までが現れる。
ここにあるのは、お互いが性というつかみどころのない衝動のために右往左往する姿であり、だれの言葉も信じられず、その含意を読み合っている状況が浮かび上がっている。
これはチェーホフの戯曲が実現した群衆劇の刻々と移り変わる心理戦を継承し、しかも、パソコンや携帯を巧みに使っている。

けれど岩松の舞台のおもしろさは、こうした新しいメディアによる監視ではなく、ピザ屋のコスチュームを着てまでも妻を尾行せずにはいられない望月のありようである。
また、多田を駅まで送っていった雪子を尾行するエンブレム付ブレザー姿の青木の奇妙さでもある。自分で見たものしか信じられない。けれど、言葉は信じられないために、「確証」はつねに私たちの手をすりぬけていくのだ。
第二に性の問題であるが、これは俳優の身体性と抜き差し難くからみあっている。熟年期に達した雪子の後ろ姿。豊満な腰が揺れるときに、野村家を訪ねる男たちにさざ波が立つ。逆に若いかすみは痩身で性的な匂いが薄く挙動にかわいらしさが目立つ。老年の体型となった風間の野村、中年太りした岩松の望月もその身体にうずくまっている性の存在が折々にあらわになる。それぞれの俳優としての力量があるのも勿論だけれども、演出がこの身体の匂いにこだわっているとわかる。その意味でも、『家庭内失踪』はまぎれもなく 文学的でありつつ身体的な演劇なのであった。
最後にすれ違う言葉についても、示唆にあふれている。劇の終盤、野村と雪子が言葉の二面性について語るくだりがある。野村がニュースを告げるアナウンサーが、哀しいニュースの話題を急にきりかえて明るく振る舞うことの違和感を語ると、雪子は、はしごの上の曲芸を見せる消防士に喝采を割れんばかりの拍手を贈る子供たちのニュースを、哀しそうに演じてみせる。おそらくはこのように、家庭内の会話はすべてが「言い方」によって曖昧にされ、ときには逆の意味を持っていると明らかになるのだった。
風間、小泉は岩松の台詞を自分自身の言葉にして破綻がない。

なぜ、人間と人間は、親子兄弟ばかりではない。夫婦や恋人という他人。そんな関係もない他人まで監視し合い、共感し合っているように振る舞わなければいられないのか。SNSがもたらした現在の監視社会から「失踪」することの困難さ、尾行や待ち伏せの監視を避けることの難しさを告げていた。原田愛の美術によって、野村家そのものが生き物であり、まるで幽霊のように人々を脅かす存在となった。二十三日まで下北沢・本多劇場。大阪、名古屋からいわきまで全国を巡演。

2016年3月15日火曜日

【閑話休題】35 遊印の愉しみ

またしても矢野誠一さんの話題なのだが、新刊をお送りするとかならず素敵なお礼状をくださる。

このお礼状については、また改めて書きたいのだが、どうも、数多い著作を持つ年配の筆者の方々に限って、
きちんと中身のある葉書をくださるのがありがたい。

たとえば、水落潔さんからいただく葉書は、含蓄が多くいつも学ばせて頂いている。

小田島雄二先生からの葉書は、軽妙な筆致で一読しただけで楽しい気持になる。

矢野誠一さんからの葉書は、もちろん中身がすばらしいのはもちろんだけれど、
印の使い方が独特で、見ていて楽しい。
たとえば住所印も、全体を罫で囲っているのではなく、天地があいている。
書名の部分は空白になっており、手書きで「矢野誠一」との署名がある。

この署名が黒ではなく、グレーなのが気になる。
どんな筆記用具をお使いなのですか、と歌舞伎座の大間で訪ねたら、
「ああ、あれ、香港にいったときに掘ってもらった印なんですよ。
筆記体で僕が書いたとおりに、掘ってもらった」
との答えが返ってきた。

聞けば中二日、三日で掘ってくれるはんこ屋があるそうで、
なかには、その場でという店もあるが、どうかな、とのことでした。

「印だったんですか、なにか特別なスタンプ台でも?」
「ふつうの黒だけど使い込んで変えていないからグレーなんです。無精だから」

住所印の右上には「卯月」との遊印が。
これは毎月変わるのだから、さぞ大変だろうと思ったら、
「せんの歌舞伎座の売店で売っていたよ。どこの文房具店でもあるのでは」
とのこと。
探したらいまの歌舞伎座にはありませんでした。

ことほど左様に、文人趣味に思える印の世界も、
矢野大人にかかれば、自由自在な境地。
のびのび遊べるようになりたいなあ。

2016年3月9日水曜日

【劇評41】五代目雀右衛門襲名。堪え忍ぶ女

歌舞伎劇評 平成二八年三月 歌舞伎座


四代目雀右衛門が惜しまれつつ亡くなったのは、平成二十四年。体調が思うままにならないにもかかわらず、海老蔵の襲名につきあって、襲名口上の席に連なっていたのを思い出す。日本俳優協会の会長だというばかりではなく、この世界に責務があることをよく承知した人だった。
この五月、実力派で知られた芝雀が父の名跡を継ぐことになった。
だれもが待ち望んでいた襲名である。それほど敵のいない女方として、芝雀はすべてを尽くした。
堪え忍ぶ女を造形し、可憐な魅力を解き放つところは、四代目とそっくりだから、この襲名は、まさしく家の藝の継承だといっていいだろうと思う。
昼の部は、時姫。夜の部は、雪姫。三姫のうち二役を歌舞伎座での襲名で一気に見せるところに新・雀右衛門の並々ならぬ意欲を感じた。そして、手堅い結果をだした。
まずは『鎌倉三代記』「絹川村閑居の場」。立役の高綱は吉右衛門。二枚目の三浦之助は菊之助。菊五郎体調不良のための代役である。
雀右衛門の時姫は、重ねて言うが「出」から可憐。緋縅の鎧、手負いのために戸口で倒れた三浦之助を助け起こしてから、恋する気持をあふれさせたクドキまで、刻々と変化する堪え忍ぶ女の心の照り曇りがあざやかに描出される。
三浦之助が「それも益なし、もうさらば」と立ち上がったとき、雀右衛門の受けの芝居は哀切きわまりない。父時政と愛する三浦之助のはざまで煩悶するが、三浦之助への思慕が一貫して、ときに神々しく見えるのが、今回の時姫の手柄だろう。
吉右衛門の高綱ははじめチャリで出るが、井戸からふたたび現れたときの怪しさ。大きさは比類がない。この芝居が血で血を洗う戦場を背景としており、登場する人間達はいずれも死の匂いをまとい、現実界から異界へと移りつつあるのだと語っている。その高綱を黄泉国から呼び出す三浦之助もまた同様に、死へと限りなく接近している。時姫はこのふたりの存在を死の国から引き戻そうと懸命になっているように思えた。
単に戦国の世、父と恋人の身勝手に引き裂かれた女の悲劇ではない。生と死が隣り合わせにあるとき、女性という性が果たす役割を指し示したところで『鎌倉三代記』は、時代を超えた普遍性を持った。
昼の部は、松緑の五郎、勘九郎の十郎、橋之助の工藤の『対面』。こうした祝祭性のある劇が、あるべき秩序を失いつつあるのを憂う。
時蔵、菊之助、錦之助の『女戻駕』は、歌舞伎座にかかるのがめずらしく、楽しんでみた。梅玉、魁春、孝太郎の『俄獅子』は、祭りの浮き立つような気分が薄い。役者自身がもう少し舞台を楽しんでくれないと困る。
切りは、仁左衛門、孝太郎の『団子売』。勘三郎、三津五郎の踊りが記憶に刻まれているが、この踊りはあくまで風俗を写した愉しさが身上。今回はほどがよく、舞台を賑やかにした。

さて、夜の部の『金閣寺』は、雀右衛門の雪姫の「出」がつつましく、その姿のはかなさで観客の心をさらっていく。幸四郎の松永大膳には、巨悪の太さがあり、大膳が雪姫を足蹴にする件りに、被虐的な官能がこもっている。幸四郎が渾身の芝居で、『金閣寺』を盛り上げている。歌六の軍兵実は佐藤正清は、口跡あざやか。仁左衛門の東吉実は真柴久吉は、二枚目の典型とはなにかを的確に描出する。後半は、綱を打たれ、上手袖から引っ立てられてくる梅玉の狩野直信が出色の出来。夫のはかない姿に身もだえる雪姫が生きた。花道に去って行く夫の命はないだろう。その絶望がこの件りの雪姫に宿っている。いつまでも目で追う。けれど救い出すどころか、もう二度と会えないかも知れない。切ない心情が舞台を覆っている。
桜の花びらを集め、足先で鼠を描くと、二匹の白鼠が現れ、いましめの綱を食い破る。この有名な件りは、まさしく幻と見えたものが現実を、その相貌を変えていく。フィクションの愉悦そのものであった。思えば、この芝居のすべての人物は、人間のようで人間ではない。すべてが桜が舞い散る季節の幻のように思えてくる。雀右衛門の雪姫は、その幻想を紡ぎ出す核として舞台上にあるのだった。大膳弟は錦之助。
夜の部は他に『角力場』が出た。橋之助の濡髪。菊之助の長吉と与五郎。橋之助は角力小屋の出をよく形にしていて大きく、のちの長吉とのやりとりでも、大人としての分別と力士としての実力を兼ね備えた濡髪をよく演じている。ちょこまかした長吉とつっころばしの若旦那の与五郎。いずれもこれまでの菊之助とは遠い役だが、健闘している。贔屓に愛想を売る商売としての力士、長吉の愛嬌。濡髪にだれより惚れて入れ込む与五郎の育ちのよさ、鷹揚さ。昼の部の三浦之助といい立役として幅がある。器用にこなすだけではない。地力がついてきたのがよくわかる。
鴈治郎、勘九郎、松緑の『関三奴』。三人の踊り比べになるだけに、日頃の鍛錬が如実に出る。二十七日まで。

2016年3月4日金曜日

【劇評40】野田秀樹作・演出『逆鱗』死の棺はいまも。

 現代演劇劇評 平成二八年一月 東京芸術劇場プレイハウス 
水族館の水槽は、遠く深海へと通じている。その深海では、どのような生物が生きているのか。かすかな光がきらめくなかで、銀の鱗をひらめかせながら、流動体となって身をくねらせ泳いでいく。その姿を見るとき、人間は限りなく死へと近づいていく。死を思うことに取り憑かれていく。
野田秀樹の新作『逆鱗』は、水族館と人魚が住む海底を往復する物語である。野田作品には、『キル』の井戸や『THE DIVER』の無意識のように垂直に降下するイメージが見られるが、ここでも地上と深海へのダイブが主題となっている。
まずは、提示されるイメージが優れている。冒頭、NINGYO(松たか子)がまとって出てくる衣装(ひびのこづえ)のフォルムは人とも魚とも、そのどちらでもない人魚のイメージを美的に捉えている。足元の裾には黒の地にスパンコールがきらめく。アンデルセンの童話やジロドゥの『オンディーヌ』の残影をまといつつ、彼女がいかに変身していくかが『逆鱗』の縦糸となっている。
劇の冒頭、舞台上手に巨大な水槽のイメージが現れる。魚の群れを演じるアンサンブルに囲まれて、NINOGYOがそっと立つ。特殊ガラスの小道具を組み合わせ歪み拡大した像が舞台上に現れる。海底に雪がひとひらふりかかる。それはいつか水族館で見た幻想的なイメージを呼びさまして、はかなく消え去っていく。『逆鱗』は水槽ばかりではなく、海底を大胆に泳ぎ渡る魚たちの回遊が鮮烈に描かれるが、やがて、そのイメージは美的なものにとどまらずに、破壊と自死へと連なる大戦末期の記憶へとつながっていく。
現在も上演中のため、後半、人でもなく、魚でもない存在とは何か。書くことをためらう。ただ、ふたつだけ、ここに言葉にしておきたいことがある。
ひとつは、水族館の館長にあたる鵜飼綱元(池田成志)、その娘鵜飼ザコ(井上真央)、人魚学者の柿本魚麻呂(野田秀樹)が、鵜に模した潜水夫たちを絶望的な死へと追いやっていくが、そこには責任を取る主体がない。見えない「上」へ責任を押しつけたまま権力者たちは、グロテスクな相貌を見せつけている。これは近代から現代に至るまで、繰り返し行われてきた日本人の悪行を生み出すシステムではないか。野田はこのシステムを徹底的に攻撃している。
また、指揮命令系統のなかでは、下士官に相当するサキモリ・オモウ(阿部サダヲ)の存在である。彼はありもしない戦果をでっちあげ、だれも本心をいえず、同調を強いる日本的な組織を代表する存在である。その犠牲者の先頭に立つモガリ・サマヨウ(瑛太)と潜水鵜たちは、自分の内心を自分で語ることを封じられている。その絶望の淵からしぼりでるように吐かれる言葉が『逆鱗』の核心にある。海底にはまだ、腐乱死体をのせた死の棺が眠っている。
私はこの劇に「だれも本当のことを言えなくなってしまった」現在の社会のありようを思う。それはつとに指摘されているように、言論を封じられたまま、反対を口にすることさえはばかられ、怒濤のように太平洋戦争へと突入していったあの時代の再現であった。
はじめは可愛らしいお嬢さんに見えた鵜飼ザコが、次第に巨大な悪に成長していく姿を井上が目に狂気を宿しつつ演じている。透明な声が次第に熱狂を帯びていく。
人でもなく、魚でもない松たか子は、台詞を歌うことを禁じられている。叙情的な死への讃歌へと陥ることなく、ただ海底で起こった悲劇を叙述する語り部としての役割をひたすら演じきったのだった。
東京芸術劇場での公演は、3月13日まで。続いて大阪、北九州を巡演。

2016年2月29日月曜日

【閑話休題34】電子書籍と私

紙の本として発売されてから1週間を待たずに、『天才と名人 中村勘三郎と坂東三津五郎』のKindle版電子書籍がリリースされた。

以前、新潮社から『菊之助の礼儀』を上梓したときも電子書籍になったから、私としては二冊目にあたる。

新書はハンディで軽いために、どれだけ電子書籍の需要があるのかはわからない。

私は明治や大正のあまりポピュラーではない作家の作品をネットから落として読むことはよくある。
図書館で岡本綺堂あたりのちょっとしたエッセイを探すのは、かえって骨が折れるからだ。

ただ、電子書籍になると、確かに筆者である私にとっては、とても便利である。
「あの話、どの章に書いたのかな」。単語検索をすればすぐに出てくる。

年代も校正者の苦心もあり、基本的には平成で統一されているので、すぐに引ける。

劇場名も同様で使い勝手がいい。

電子書籍というのは、書いた本人とこれをもとにリサーチをしたい人にとっては、
なかなかありがたいというのが正直な感想である。

版元に確かめたことはないのだが、紙の本と違って、見本本をもらえるわけではない。
オンラインの書店を通して、自分で買うことになる。
「なんで自分の本を買っているのかな」
こんな疑問がふっと湧き上がってくる。

紙の本は、出先で急に人に差し上げるために、買うことはよくある。
この場合は、「なんで自分の本を買っているのかな」などと思ったりはしない。

贈り物としては、どうも電子書籍より紙の本に軍配があがると思うけれど、
こんな「常識」もそのうち覆されていくのかもしれない。

2016年2月22日月曜日

【報告】三津五郎さんの墓参り

2月21日は、十代目坂東三津五郎さんの祥月命日。
行きたいな、行かなければなと思っているうちに、
関係の方々への連絡もできなかった。

当日になって、いよいよとなると、たまたま日曜日だったために、
事務所や、おそらくは巳之助さんが大阪に行ってる番頭さんを煩わせるのもどうかと思い、
ネットで調べて、お墓参りに伺うことにした。

白金台駅から歩いて六分ほどの月窓院は、すぐに見つかった。
手を合わせて、しばらくお話をした。
携帯やメールの通じないところにいるのだな。
そのうちあちらにいくので、また、あの世の銀座で飲みましょうねといった。

本を書き上げて、上梓もすんだので、友人がAmazonのコメントに書いてくれたように、
これで長い長い弔辞を書き終えて、深い池から出なければいけないのだろうと思った。

私の近しい同僚が亡くなったときに、明治座に出演中の三津五郎さんを取材で訪ねた。
忘れなければ、生きていけないと、ご両親を例にとって話して下さったことは、
このサイトにもすでに書いた。

どうしても忘れられないけれども、その急逝を引き受けなければいけない時がくる。

私にとっては2月21日がそんな日にあたるのだろう。

昼間はとても暖かかった。冬の日は気まぐれで、急に風が強くなり、コートの衿から冷たい空気が忍び込んできた。

2016年2月20日土曜日

【お知らせ】『天才と名人 中村勘三郎と坂東三津五郎』についてのエッセイを書きました。

近著についてエッセイを書きました。どうぞお読み下さい。
http://hon.bunshun.jp/articles/-/4568

2016年2月17日水曜日

【公演レポート1】能、女流義太夫、浪曲。この三ジャンルがひとつの舞台に乗るのはめったにあることではない。

東京都墨田区にあるすみだトリフォニーホールの依頼によって書いた公演レポートを、ホールの許しを得て、ここに再録します。



語り藝のエッセンス

「のう、じょぎ、ろう!」と聞いただけでは、なんのことだか首をかしげるだろう。
けれど、日本の「音楽つき語り芸」と副題を読んで、なるほどと膝を打った。
能、女流義太夫、浪曲。この三ジャンルがひとつの舞台に乗るのはめったにあることではないが、室町、江戸、明治それぞれの時代に生まれて、現在も命脈をたもっている藝のエッセンスを一日で楽しめるのではと期待した。
私にとってすみだトリフォニーホールはクラッシック音楽を中心とするイメージがある。小ホールに入るのははじめてだったが、集客がむずかしい時代、ユニークな企画がゆえに、ほぼ満席となっているのに驚いた。
まずは、浪曲から。舞台中央に色鮮やかなテーブル掛け(聞けばこれが正式名称だそうな)のうしろにすっくと立つのが玉川奈々福。金魚の柄がトレードマークである。新進気鋭の浪曲師で才気煥発。企画力、実行力にも富んだ実力派として聞こえている。上手に控えるのは沢村豊子師匠で、穏やかな風貌ながら、きっさき鋭く三味線を弾く。
今日の演題は『悲願千人斬りの女』。小沢信男の原作を奈々福が浪曲に直したという。明治初期に活躍した歌人の松の門三艸子の男性遍歴を描いている。「千人斬り」というと生々しい話かと思ったら、奈々福の語り口は、さばっとして痛快。会話部分に相当する「タンカ」も颯爽たるものだ。
松の門が男性とどうつきあったかよりも、松の門と彼女に岡惚れして武士を捨てて従った男性との愛憎に満ちた関係に焦点が合う。心地のよい酔い。さわやかな色気。ぎりぎりの状況で身体を張り、頭を駆使して人生に向かい合う人間のおもしろさが伝わってくる。浪曲が情を描くにすぐれた藝能だとよくわかった。奈々福は、表情が細やかで、しかも姿勢がきりっと正しい。心意気を売る藝である。
一気に語って話の佳境で「ちょうど時間となりました」といさぎよく断ち切る呼吸も見事。豊子師の糸に支えられ、奈々福が縦横無尽に新作を語る時間を楽しんだ。
続いて竹本越孝の浄瑠璃、鶴澤寛也の三味線による義太夫『碁太平記白石噺』の七段目にあたる「新吉原揚屋の段」である。歌舞伎でも時折取り上げられる「揚屋の段」だが、聞きどころは、全盛の傾城宮城野とその妹で奥州生まれの田舎娘しのぶの対比にある。歌舞伎ではそれぞれの役にあった役者が演ずればいいが、義太夫ではこのふたりをあざやかに演じ分けなければならない。ましてふたりの話を聞いていた男、惣六も語り分けなければならない。今回は詞章のプリントを配布し、義太夫節の言葉に慣れない観客にもわかりやすく配慮していた。義太夫は太夫の語りと三味線の息の詰め方によっていかようにも物語がうねりを創り出すのだとよくわかった。
明治時代の「娘義太夫」は全盛を極めて、ファンは「サワリ」といわれる聞き所になると「ドースル、ドースル」と声を掛けた話がよく知られている。現在の女義太夫は、人形をともなわない素浄瑠璃として着実に藝の伝承が行われている。今回は、たとえば『桂川連理柵』「帯屋の段」のように誰もが知る話を選ばなかった。全体を通すテーマに忠実に、隅田川(大川)のそばにあり不夜城といわれた廓の空気をよく伝えていた。
休憩をはさんで、能の登場である。能には、シテ方などそれぞれの職分があるが、ワキ方の安田登と笛方の槻宅聡による。取り上げたのは能の代表的な演目「隅田川」を断片的に取り上げる。謡いと笛だけで幻想的な世界が創り出されるのも驚きだが、表面上にある言葉と音楽だけではなく、能がまさしく身体の藝なのだとよくわかった。安田が舞台上に立ち、歩くだけで、その身体は物語を語り出すのだった。「能の詞章は、一文の後半を強くいう特徴がある」との解説もおもしろい。藝と解説が一体となった舞台である。
続いて夏目漱石の『夢十夜』を取り上げる。漱石自身が安田の属する下掛宝生流を習っていた縁を聞くと、明治時代の文人の教養が漢籍や西欧文明ばかりではなく、藝能にまで届いていたことに驚く。『夢十夜』は漱石の作品のなかでも、近代小説とはいいがたい。幻想性に富んだ物語だが、能が持つイメージを呼びさます力とよく呼応して、暗い山道の空気感があざやかに描き出された。下手ワキから三味線の音が聞こえたのも効果的だった。
その種明かしは、続く『我が輩は猫である』の猫が餅をくらう件りで明らかになる。浪曲の奈々福が三味線を持って、下手舞台に曲師として登場し、独特の即興でこの舞台に斬り込んでくる。荘重さと滑稽さが綯い交ぜになった舞台だった。猫の行動は人間には予想がつかない。その自在にして気ままなありようが、この能と浪曲三味線の「異種格闘技」によって描き出された。意味ある共演だと思う。
語りの藝が室町時代から現在まで渾然一体となったひとときで、出演者全員による座談会もおもしろく、ためになった。
十一月二十二日にすみだ北斎美術館が開館するという。江戸の記憶が現在まで堆積する隅田区の地で、またこんな清新な企画を観たいと願って、トリフォニーホールを後にした。

2016年2月15日月曜日

【閑話休題33】玉川奈々福の快進撃

1月の30日土曜日、隅田区にあるすみだトリフォニーホール小ホールで行われた会の公演レポートを書いた。
能と女義太夫、浪曲が同じ舞台にのって、日本の「音楽つき語り芸」を副題に競演したユニークな試み。

もとより能も女義太夫も浪曲も専門ではないが、企画のおもしろさに思わず引き受けてしまった。

書いてみると、なかなかむずかしい。
やはりどうしても批評したくなる癖が抜けない。
職業病というもんなのだろうか。

結果は、すみだトリフォニーホールのHPに掲載の予定なので、どうぞお楽しみに。

まだ、二度観ただけだが、玉川奈々福は、柳家喬太郎が出てきた頃の速度感を感じる。注目の人物です。

2016年2月14日日曜日

【閑話休題32】三津五郎、時蔵の喜撰、勘三郎、三津五郎の棒しばり

13日の土曜日から、全国の映画館で、シネマ歌舞伎の『喜撰』、『棒しばり』が上映されている。
昨日の東銀座東劇は、彌十郎、巳之助のふたりで舞台挨拶があったようだ。
このふたつの舞踊は、三津五郎家にとって、とても大切な演目だ。
『棒しばり』は、勘三郎との競演で繰り返し踊った演目で、ふたりが不在となってからは、
こうした記録映像のかたちでしか観ることが出来ない。

これまでシネマ歌舞伎を観てきて思うのだけれど、
劇場でのライブとはまた違って、
踊りの細部、身体の表情を観察すると意外な発見があることが多い。
なるほどなあ、こんなふうに成り立っていたのかと、
考えさせられることしきり。

時間を見つけてこの機会に、映画館の大きな画面で、
ぜひご覧になることをおすすめしたい。

また、三津五郎の『喜撰』『流星』『楠公』は、NHKからDVDが出ていて、まさしく名人の輝きがある。
入手困難にならないうちに、手に入れておくことをぜひおすすめしたい。

2016年2月8日月曜日

【閑話休題31】ページビューと統計

私はブログのエンジンにBloggerを使っている。このブログソフトには統計が出るようになっていて、
これまでの総ページビューやそれぞれの投稿のビューが掲載される。
昨年の1月に思い立ってこのサイトを立ち上げてから、早1年。
ふと気がついてみると、総ページ数は60000ビューに達した。
芝居にもよるけれども、劇評をアップすれば、500から2000ビューくらいは数字があがるようになった。

こうした劇評のサイトは、数字よりもどのくらい熱心に読んで頂けるかのほうが意味があると思う。
けれども、ひとつひとつのビューがどのくらいの時間なされてかは、このBloggerではわからないようだ。

マスメディアに書くときと、なにか違いはありますか。
との質問を受けることがある。
特に変わらないと答えるようにしているが、
やはり媒体によって読者層を意識しているのは確かだろうと思う。
このブログでは、そういった意識はほとんどなく、
自由に気兼ねなく執筆できるのは、楽しい。

あまり気張ってやると、長くは続かない。
自分が楽しめなくなったときが、止めるときだと思っている。
いつまで続くかはわからないけれど、あと一年くらいはなんとか続けたいものだと、
改めて考えたりする。

おそらくプロデューサーや宣伝にコンタクトを取れば、
舞台写真の掲載も不可能ではないと思う。
けれどそのコンタクトを取り、写真を借りたがために、
なんらかのしがらみが生まれるのであれば、
手間を掛ける価値はないと判断している。

劇評のサイトで、お気楽にをモットーとするのは、不思議な気もするが、
まあ、力まないように気をつけつつ、書きたいことを書いていくつもりです。

2016年2月6日土曜日

【劇評39】十年に一度の『籠釣瓶花街酔醒』。吉右衛門、菊之助が息を詰める。

は歌舞伎劇評 平成二十八年二月 歌舞伎座 


今月の歌舞伎座は、『籠釣瓶花街酔醒』がすぐれている。十年に一度あるかないかの出来で必見の舞台となった。
昭和五十三年六月、吉右衛門が新橋演舞場で次郎左衛門を初役で勤めてから長い年月が過ぎた。今回の舞台は菊之助の八ッ橋を得て、まさしく頂点というべきだろう。
逐一書いていくが、全体を通していえば、ふたりの息が詰まっている。そのために次郎左衛門と八ッ橋がはじめて出会う場、そして縁切りに及ぶ場、さらには殺し場までふたりが運命に翻弄される主要な場面で、芝居が引き締まっている。歌舞伎座の客席はひたすら静まりかえって、観客が舞台に引き込まれている。吉右衛門と菊之助、平成歌舞伎を牽引する大立者と充実期を迎えてひとかどの役者になりおおせた役者が、お互いの心の襞をのぞき込んでいる。
考えてみれば、あらゆる一刻、一刻がかけがえのない人生の瞬間なのだとこの芝居は教えてくれる。吉原は廓である。華やかな舞台の底に深い闇をかかえている。男を陶酔させる廓のシステムに引き込まれた次郎左衛門、システムの頂点に立って全盛を誇る傾城八ッ橋。時は一方向に進んで行き、さかのぼることはできない。その残酷が胸に沁みてきたのだった。
まずは、序幕「仲之町見染の場」。不夜城の人工的な明るさに目をくらませる次郎左衛門と治六(又五郎)の純朴が丁寧に描き出される。そして立花屋長兵衛(歌六)の篤実。吉右衛門、又五郎、歌六。この三人が舞台中央に居並んだだけで圧倒的な絵面が成立する。まさしく播磨屋の人々が近年、積み上げてきた芝居の厚みが伝わってくる。歌舞伎とは役者が背負ってきたイメージの集積であるとよくわかる。
さらに花道の七三にさしかかった八ッ橋が、ふっと笑い、舞台中央にいる次郎左衛門に目をやる。このとき菊之助は身体を沈ませ、伸び上がる力を使いながら、顔の表情ではなく、身体そのもので笑みを創り出している。そこには何の邪念もない。吉原に咲き誇る名花がただいるだけだ。心理はない。自らの力を頼む傾城がその魅力を弾けさせ、去って行く。そのまっすぐなありように次郎左衛門は惚れたのだとよくわかった。
この見染めと対照的に、二幕目第一場「立花屋見世先の場」には、思わせぶりな芝居を排して、八ッ橋の出からさらさらと運び、吉右衛門が地元佐野の野暮な朋輩たちに自慢をする、その喜びばかりが伝わってきて、暖かい気持にさせてくれる。全盛の花魁と馴染みになった満足感がこの場を明るくしている。
一転して、菊五郎の栄之丞が住む「大音寺前浪宅の場」。まずはおとら(徳松)とおなつ(菊三呂)のやりとりで、吉原では、老いがいかに辛く厳しいものかを語り、ここでは一瞬で消え去ってしまう若さこそが商品なのだと示している。菊五郎は出こそ大親分の貫目だが、芝居が進むうちに、八ッ橋を失うかも知れない不安に取り憑かれていく哀しい浪人が現れた。冷ややかな間夫ではなく、小心な浪人者の心情である。それも彌十郎の釣鐘権八が栄之丞の気持を煽っていく芝居と噛み合っているからだ。畳みかける調子に小悪党の残忍な心が見えてきて、彌十郎もまた充実期にあるとわかる。
遣手お辰は歌女之丞。廓の空気をかもしだすにはこのクラスの老女方が欠かせない。さて「八ッ橋部屋縁切りの場」だが、次郎左衛門の懸命な様子が絶望へと切り替わっていく過程を吉右衛門が精密な芝居で見せる。自らの心を表層だけではなく、奥の奥までのぞき込み、その内実を表出していく。まさしく至芸である。
菊之助の八ッ橋は、先の廻し部屋で、栄之丞と権八の二人に追い詰められる芝居を受けて、ここでは、この場にいるすべての人々の善意によってさらに追い込まれていく傾城の孤独を描き出す。前回、平成二十四年の十二月、菊五郎の次郎左衛門で勤めたときは、一対一の関係が際立っていた。今回は、次郎左衛門だけではなく、朋輩や新造、幇間らすべての人々によって針のむしろに置かれている様子が見えてきた。吉原というシステムに失望している。傾城の象徴ともいうべき煙管を立て、その細い管にすがって、ようやく自分を保っているようでありたい。
又五郎の治六の芝居が冴える。梅枝、新悟、米吉の傾城たちもそれぞれの個性がきっちりと見えてきた。立花屋女房おきつは、魁春。こうした役に厚みが出てきた。単なる好意の人ではなく、商売人としての意気地まで芝居が届いている。
大詰の「立花屋二階の場」は、それまでの世話場から一転して様式美を見せる。吉右衛門は次郎左衛門が狂気へと至る道筋を描き、説得力がある。八ッ橋が斬られて海老反りとなり、崩れ落ちる。このとき、吉原のあかりが一段階暗くなったほどの哀しみがこもる。そして、行燈を持ってきた女中に次郎左衛門が斬りつける。もはや八ッ橋への個人的な復讐ではない。自らをここまで追い込んだ吉原を次郎左衛門は斬ったのだ。そう思わせるほど吉右衛門の芝居はこせつかない大きさが備わっていたのである。
昼の部は『新書太閤記』の通し。夜の部は 梅玉、錦之助の『源太勘當』で幕をあけ、時蔵、松緑の『浜松風恋歌』で打ち出す。二十六日まで。

2016年1月31日日曜日

【閑話休題30】二代目矢野誠一襲名のことなど

『天才と名人』贈呈本用短冊を制作中です。贈呈、自署、はんこの組み合わせは、矢野誠一さんからいただくご著書の真似でございます。今度お目にかかったら、「まねしました」とお断りいたします(笑)。以前、落語に造詣の深い演出家の宮城聰さんに、「二代目矢野誠一を襲名しようかと思うんだ」といったら、異様に受けたのを思い出しました。もちろんご本人にも冗談めかして申し上げたことがあります。そのときに、「私が襲名したら、矢野さんはさしずめ誠翁でしょうか」と行ったら、さすがにしゃれのわかる矢野さんは完爾と笑いました。

ところで、休日を費やして、近松門左衛門原作、デヴィッド・ルヴォー演出『ETERNAL CHIKAMATSU』のパンフレット原稿を書く。tptの時代、勘三郎との幻の企画などの思い出。このごろ雑文を書くとき、どこか力が抜けてきたのを感じる。やはり年齢が文章を変えていくのだろうと思う。
ところで、年明け早々引いた風邪を、引きずっていた。毎日の激務に追われて、苦しい思いをしていたけれど、ようやく鼻づまりからも解放されて快適になった。

2016年1月25日月曜日

【書評4】扇田昭彦の姿勢。あくまで新しい時代を背負っていく演劇人の後援者として

 扇田昭彦『こんな舞台を観てきた 扇田昭彦の日本現代演劇五〇年史』(河出書房新社 2016年)

扇田さんが亡くなったとき、私は老いとはこういうものかと思った。気がついたら自分が競馬馬でいえば最終コーナーにさしかかっていると思い知らされたのだった。扇田さんがいるうちは、「扇田さんがいるから」と影にかくれたり、風に直接あたらないことも出来た。これからはもう、そんなわけにはいかない。

昨年五月に急逝した演劇評論家扇田昭彦の遺著となったのが『こんな舞台を観てきた 扇田昭彦の日本現代演劇五〇年史』である。雑誌「シアターガイド」に連載した同名の「こんな舞台を観てきた」が第一部で一九六○年から九五年まで、状況劇場の『唐十郎版 風の又三郎』から大人計画『愛の罰』までもが淡々たる筆致で綴られる。上演された時点で書かれた文章ではない。現在から過去を振り返る批評はときに懐古的になりがちだが、扇田はジャーナリストとしての姿勢を崩さず、センチメンタルな私情を挟んでいない。かといって冷ややかなのではない。あくまで新しい時代を背負っていく演劇人の後援者としての立場が貫かれている。
また、第二部では一九九四年から一五年までの批評が集められている。パルコ『オレアナ』から神奈川芸術劇場+地点の『三人姉妹』まで。こちらもその年を代表する舞台を網羅するが、時評として書かれているので、あくまで現在形の文章である。扇田昭彦の功績はなんといっても日本の現代演劇が大きく舵を切ったとき、すなわち新劇からアングラ演劇のちに小劇場演劇へと軸を移したときにいち早くその流れを追い、マイノリティであった小劇場をメインストリームへと引き上げたところにある。その意味で扇田の仕事は永遠の革命を続けるような部分があり、常に新たな才能を見いだしていく困難が課せられていた。本書を読むとその労苦と同時に愉悦が見て取れる。
公の席で扇田と話したのは、早稲田大学の特別講義で、児玉竜一教授の肝いりの座談会が最後だった。公演の終わりに現役の朝日新聞記者から質問が出た。私はそのときにも答えたが、扇田昭彦は朝日新聞記者としてジャーナリストのスタンスを貫いたけれども、演劇界の人々にとっては若年から偉大な批評家で、専門記者の領域にとどまる人ではなかった。それだけは、はっきり書いておくべきだろうと思う。改めてご冥福を祈りたい。

2016年1月24日日曜日

【劇評38】過去の時代を物語ることで、現在の問題をえぐり出す。永井愛作・演出『書く女』

 現代演劇劇評 平成二十八年一月 世田谷パブリックシアター

過去の時代を物語ることで、現在の問題をえぐり出す。
演劇がもっとも得意とするこの手法を用いて『書く女』(永井愛作・演出)は、単に樋口一葉の評伝を超えて、昨今のきなくさい状況をあぶりだす舞台となった。
二○○六年の初演から十年が経った。寺島しのぶ演ずる樋口一葉(夏子)が書くことへの懊悩に取り憑かれていたとすれば、今回、黒木華が演ずる一葉は、人間としていきることの難しさに立ちすくんでいる。
それは明治という時代の特殊性を超えて、日本の社会が抱え込んだ歪みが、貧困や頭痛のようなかたちでひとりの若い女、夏子に襲いかかっている図のように思えてきた。
上演台本は刈り込まれて完結になった。伴奏に生のピアノをおごったことで、出来事が起こるたびに人間の心の糸が切断される瞬間が聞き取れた。また、半井桃水を演じた平岳大、樋口くにを演じた朝倉あきらキャストも清新で小気味がいい。
劇作は、桃水との恋愛と逡巡、過酷な生活、若き文士たち平田禿木(橋本淳)川上眉山(兼崎健太郎)との交友とその喜び、そして苛烈な批評家斎藤緑雨(古河耕史)との綱引きまで飽きることがない。
また、伊藤夏子(清水葉月)や野々宮菊子(盛岡光)半井幸子(早瀬英里奈)田辺龍子(長尾純子)が効果的に配置されて、いよいよ独り身で書く女であることの困難と愉悦が浮かび上がる。夏子の母たきは、木野花で旧世代を代表する。
その意味で、特に劇の後半は、樋口一葉とその周辺に生きた人々をめぐる良質の群衆劇としても成立している。
装置の大田創、照明の中川隆一、音響の市来邦比古が、現在にも通じる暗い世相を象徴するかのように陰翳の深い舞台を創り出した。三十一日まで。二月は愛知から福岡まで巡演する。

2016年1月23日土曜日

【閑話休題29】『天才と名人 中村勘三郎と坂東三津五郎』予約が始まりました

「平成二十四年十二月に勘三郎、平成二十七年二月に三津五郎が急逝した。私はこれまでともに走ってきた同世代のふたりを失ってしまった。なんの根拠もないのだが、いつまでも、ふたりとともに走り抜けると思っていただけに、こんな日が現実になるとは思いもしなかった。まるで、はしごをはずされたような心地さえした。勘三郎のときは、呆然として仕事が手に着かなかった。三津五郎のときは、逆にしっかりなければと自分を叱咤した」(あとがきより)
六月に年表作成をはじめ、八月に執筆を開始し、九月末に脱稿。ようやく来週に校了になります。
編集者に、私はこの本を書くために生まれてきた。といわれ少し困惑していますが、
『天才と名人 中村勘三郎と坂東三津五郎』を書き終えて、なにか運命といいますか、
見えない力に操られているような気持になりました。

勘三郎、三津五郎と同世代に生まれたのは私の誇りです。
ふたりの急逝がなければ、この本を書くことはなかったでしょう。

ふたりが昭和の終わりから平成にかけて駆け抜けた軌跡は、
ことば遊びではなく、まさしく「奇跡」だったように思えています。

ふたりの輝かしい日々、舞台の記憶を本書でたどっていただければうれしい。
ふたりの舞台に間に合わなかった歌舞伎ファンには、こんな天才と名人がいたことを
ぜひ、知っていただきたいと思うのです。

2016年1月21日木曜日

【書評3】市川猿之助、千日回峰を満行した圓道大阿闇梨と語る。

 市川猿之助、光永圓道『猿之助比叡山に千日回峰行者を訪ねる』(春秋社 2016年)

市川猿之助と千日回峰を成し遂げた北嶺大行満阿闇梨、光永圓道の対談を納めた『猿之助比叡山に千日回峰行者を訪ねる』(春秋社)を読んだ。
この書名には理由がある。京都大廻りなど回峰の業に含まれた例外をのぞけば、阿闇梨は籠山行を続けていて、この年の三月に一二年籠山行遂行とあるからには、猿之助が比叡山を訪ねるのが必然なのであった。
一読しての感想は、仏教、特に天台宗の密教について猿之助がかなり深い知識を持っていることであった。しかもその知識は、天大密教にある千日回峰の荒行と歌舞伎役者の毎日を積み上げていく日常が重なり合うとの思いからだろう。
七年をかけて修される千日回峰行。最初の四年間は百日づつ行する。七里半に及ぶ山道をひとり歩く。
「堂入り」「赤山苦行」「京都大廻り」のような人間の限界を超えた修行がある。この行ができなくなったときには、自死しなければいけない約束がある。
だからこそ、成し遂げた行者は「生き仏」と敬われるのだった。
阿闇梨は行について率直である。「堂入り」は七日間不眠不休、横になることも許されない。
「そう、回峰七百日を終えて、堂入りのとき、十萬枚大護摩供とのときが思いだされるんですね。病気で本当にダメだったとき、もう死ぬのかなと思うことはしょっちゅうでしたけど、行中は、今度はもう死ぬ覚悟で入っているのは間違いのないことだった。命を絶つことは別に怖くないっていう思いですね。そのために行に入っているわけですから。行に入る前の最初の時点で、死ぬの怖くない、けど…みたいな気持がちょっとでもあると、入れないんです。行の途中でも、そんな意識が出てきたら、もう後悔するんですよ」
阿闇梨の珠玉の言葉を受けて、猿之助はこの本のなかで、知識を披瀝しているばかりではない。
第五話の冒頭で「千日回峰を知れば知るほど、なんかこう、私たちの世界に重なってきます。不遜なことかもしれないですけれど、ほとんど同じだと言ってもいいくらいです、その精神的過程においても、このお行という実践が他の文化的営みに共通しているという認識はおありでしょうか」
と、阿闇梨に問うている。二十五日間休演日なしの興行が連続する歌舞伎役者には、現代演劇の俳優にははかりしれぬほどの肉体的精神的な抑圧がかかっている。その道を走り抜けてきた自信がこの言葉となっている。
そして、これまでの常識、歌舞伎界の慣例を打ち破り、現在私たちが呑み込まれている無力感に対して、宗教や歌舞伎が何を語るべきかを問うている。
その意味でこの対談は、若き獅子ふたりの責任と覚悟に満ち満ちている。そして、行を進めることに義務感ではなく、愉悦がひそんでいることもあけすけに語っている。
一流のアスリートがある境地に達したときにともにする感覚について語って余すところがない。
考え、そして実行する歌舞伎役者として、四代目猿之助は、まさしく沢潟屋の棟梁なのだと今更ながら思う。若き闘将としてこれからも歌舞伎界を担っていくのだろう。

【雑記】『猿之助比叡山に千日回峰行者を訪ねる』を読了

市川猿之助、光永圓道『猿之助比叡山に千日回峰行者を訪ねる』を読了。ひとつの道を究めると、見えてくる光があるのか。専門外なので書評という形ではなく、感想をブログに書く予定です。

【書評2】上村以和於の凝視

上村以和於『東横歌舞伎の時代』(雄山閣 2016年)

調べ、書き、直し、また書く。
原稿執筆はまぎれもなくあたまとからだを駆使した労働である。その意味で上村以和於の『東横歌舞伎の時代』は、まさしく労作と呼ぶにふさわしい著作となった。
一九五四年から十六年間、渋谷駅西口の東急百貨店にあった東横ホールで歌舞伎の興行が行われていた。
歌舞伎と言えば、歌舞伎座、国立劇場、新橋演舞場、浅草公会堂に慣れた現在の観客からすれば、唐突な感じさえするだろう。
現在も時折、行われているコクーン歌舞伎が始まったのは一九九四年だから、その四十年前に、現在第一線にいる歌舞伎の大立者たちは、この東横ホールで修業の時期を送ったのだった。
私自身は、この東横歌舞伎を観ていない。ただ、二十代の頃は、まだ東横ホールじたいはまだあって、東横名人会をよく観に行った。名人会がはねるとハンチングを粋にかぶった小さんとエレベーターで一緒になる。それがなんともうれしかったのだが、噺の途中で電車の音が露骨に響く。劇場としての条件はそれほどよくなかったのは実感としてわかる。
もっとも上村が力を入れているように思えるのは、菊之助(現・菊五郎)、辰之助(三代目松緑)、新之助(十二代目團十郎)が人気をさらった東横歌舞伎の終わりではない。
むしろ、現在からは遠くなった終戦後まもない時期の役者たちの消息にあるように思える。
松竹東横提携第一回公演は、市川猿之助劇団と尾上菊五郎劇団の角書きがあり、九代目八百蔵(のちの八代目中車)、芦燕(のちの十三代目我童)、五代目源之助、四代目秀調、五代目田之助の顔ぶれ。現在の歌舞伎ファンからは遠い名前だが、第一線からは遠ざけられていた彼らが、懸命に足がかりを求めて東横ホールで舞台を勤める姿を、熱い共感をもって描いている。
そのため本書の眼目は、ホールの年代記だけではなく、第二章に設けられた「人物誌ーー東横歌舞伎を彩った俳優たち」にある。そこでは、渋谷の海老さまと呼ばれた四代目河原崎権三郎(三代目河原崎権十郎)や後に俳優協会会長となる七代目中村福助(七代目中村芝翫)、映画界、テレビ界に転じた二代目大川橋蔵、坂東光伸(九代目坂東三津五郎)らを活写する。
演目と配役の向こう側に、歌舞伎の舞台と観客の熱狂が浮かび上がってくる。
淡々とした筆致ではあるけれども、消え去っていく舞台とその記憶が大切にしまわれている。

2016年1月20日水曜日

【書評1】矢野誠一の批評文藝

矢野誠一『舞台の記憶』(岩波書店 2016年)

批評のなかでも、文學として自立している文章を指して批評文藝と呼んでいる。演劇批評のジャンルでは、その第一人者はまず、矢野誠一を置いて他にいない。その文章の藝は、他者を語って冷ややかではない。突き放して書いて、そっけなくはない。演芸や演劇についての底知れぬ愛がすみずみまで行き届いており、読んで飽きることがない。
今回、岩波書店から出た『舞台の記憶』は、都民劇場の会員むけ通信に連載された回顧録を集めている。一本につき見開き二頁の簡潔さで、一九四七(昭和二二)年四月の有楽座『彌次喜多道中膝栗毛』から一九九七(平成九)年の新国立劇場『紙屋町さくらホテル』まで、矢野の思い出がぎっしりつまった文章が並んでいる。三分の一は、筆者の長谷部が生まれる前の舞台である。さらにいえば、私自身が観た舞台に限れば、やはり三分の一に過ぎない。言いかえれば、三分の二は私自身が触れ得なかった過去の舞台になる。
それにもかかわらず、ひとつひとつの舞台と文章にひかれるのはなぜか。矢野が自分自身の人生を重ねあわせつつ、その時代の相をまざまざと浮かび上がらせているからだ。戦後から高度成長を経てバブルに至り、その崩壊を経験する日本社会にとって演劇がどのような意味を持っていたかが知れる。それは矢野にとって、青春時代から壮年期であるとともに、日本のそれでもある。演劇が若々しく熱情に満ちていた時代がここで語られている。
一冊の掉尾に置かれたのは、一九六八年十月、イイノホールで上演された古今亭志ん生の『王子の狐』である。志ん生最後になった高座を矢野は淡々と描き、涙を見せない。そして「結城昌治の調査によると、この『王子の狐』が古今亭志ん生最後の高座で、その後志ん生は詩を書かない詩人よろしく、落語をしゃべらない落語家として五年生きた」と結ぶ。
落語をしゃべらなくても、志ん生が落語家であり続けたのはいうまでもない。

2016年1月18日月曜日

【劇評37】暗闇に底光りする猿之助の女方芸

現代演劇劇評 平成二八年一月 シアターコクーン

『元禄港歌』(秋元松代作、蜷川幸雄演出)の初演は、一九八○年八月、帝国劇場。改めて数えると私は二四歳で、劇評を書き始める前年にあたる。もとより蜷川幸雄の演出作品は観始めていた。今回の舞台を観て、初演が懐かしく思い出され、また、当時の私は何も読めていなかったことがよくわかった。
当時の私は「葛の葉の子別れ」の深層にある意味も、謡曲「百万」にこめられた親子の物語も理解してはいなかった。単に知識のあるなしではなく、人間の情について思いを至らせるには若すぎたのだと思う。
高い評価を得た『近松心中物語』の次回作とあって、スタッフ・キャストが共通だが、今回のパンフレットによると、『元禄港歌』が間に合わなかった場合は、『近松心中物語』が上演される予定だったという。その共通性もあって、『近松心中物語』の出来のあまりよくない続編とだけ思い込み、椿の花が降ってくる情景だけが記憶に刻まれていた。
一九九九年の明治座での再演は、理由はよくわからないが見逃している。なんと、三六年ぶりに観る『元禄港歌』が傑出した舞台に思えたのは、初演で嵐徳三郎が演じた糸栄を市川猿之助が勤め、また、糸栄とかつて恋仲にあった筑前屋平兵衛が、金田龍之介から市川猿弥に替わったところにも見つかる。商業演劇の一作品として初演された舞台が、今回は歌舞伎としての位置づけを強めた。そこには、現在輝きを増している猿之助の女方芸のありようが大きく作用しているだろうと思う。
糸栄は瞽女の集団を率いる「母」である。
瞽女の初音(宮沢りえ)や歌春(鈴木杏)からも血がつながっていないにもかかわらず、寝食を共にし「母」と慕われている。また、かつて平兵衛と糸栄の間に生まれて、幼い頃から筑前屋に引き取られ、平兵衛とその女房お浜(新橋耐子)の実子、長男として育てられ、江戸の出店をまかされている筑前屋新助(段田安則)の母でもある。
こうした複雑な「母」として猿之助が選んだのは、かつて美しかった女性の模倣ではなく、実の子の母として生きることを断念し、多くが視覚に障害を持つ女たちを守りつつ、生き延びていく女たちの仮の「母」であった。そこには徹底した内向がある。ほとばしる情念を押さえ込んでいく意志の強さがある。こうした性向を描き出すとき、女方芸はいよいよ輝きを増す。たとえば鏡花の『天守物語』は、やはり女優よりは女方のものだろうと思う。同様に『元禄港歌』の糸栄には実体としての女性を超えた人間存在、超自然的なものと深く結びついた人間のありようが、暗闇のなかに、底光りするからだと思う。
今回の猿之助の芸は、表層的な女性らしさの模倣に終わらず、女性という性の暗闇に届くだけの実質をそなえていた。だからこそ、主演を重ねキャリアもすばらしい宮沢りえや段田安則とともに、劇の中心として君臨しつづけたのであった。
蜷川幸雄の演出も、いよいよ凄みを増している。底辺に生きる職人和吉(大石継太)らの絶望の深さ。そして未来のない境遇のなかで、歌春への恋によっていっとき救済されたかに思えた。けれど、筑前屋万次郎(高橋一生)と歌春の業によって裏切られてしまったときに芽生える狂気。和吉も万次郎も歌春も、この現世に絶望して生きている。なんのやりがいもなく、毎日が過ぎていく絶望が、舞台全体を覆っている。ただ、その一点においても観客は舞台に共感する。
美空ひばりによる劇中歌が、高まる感情の頂点から死へと転落していく人間の宿命を写していてすぐれている。三十一日まで。二月六日から十四日まで大阪公演がある。

2016年1月16日土曜日

【劇評36】松也と松助。

歌舞伎劇評 平成二八年一月 浅草公会堂

正月の『新春浅草歌舞伎』もメンバーを一新して二年目。今年も松也を中心に、巳之助、米吉、国生、隼人、新悟に梅丸、鶴松が加わる。また、上置きに錦之助がいて浅草としてはまずまずの一座といえるだろう。
話題はやはり、松也が『与話情浮名横櫛』の与三郎と『義経千本桜』の「四の切」で忠信実は源九郎狐を演じるところにある。昨年、南座の「弁天小僧」といい、音羽屋の芯が勤める役に着々と立ち向かう。二代目松助は、のちの三代目梅幸、三代目菊五郎だが、近年は脇役の家というイメージが強い。松也の父、六代目松助は、菊五郎劇団にとってかけがえのない名脇役だが、芯を取る役者ではなかった。その長男の松也が、こうした大役を次々と勤める姿は、父が存命だったらどれほどの感慨を持たれたろうと思う。こうした例は少なくとも私が歌舞伎を観始めてからは記憶にない。脇役が続いた三津五郎家の十代目が、芯をとる役者になったのとは、また意味が違う。三津五郎家は守田勘弥家と近く座元の家だからだ。松也の例は身分が固定化した現在の歌舞伎界では稀有のことだと思う。
さて、舞台の実質だが、まだまだこれからというのが正直なところだ。『与話情浮名横櫛』の与三郎は、今は悪党であるが、生来の品のよさが「源氏店」だけ出る場合も必要だ。松也には稀有な色気はそなわっているが、そこはかとない育ちの良さを漂わせるには至っていない。むしろ、出色だったのは米吉のお富で、日陰の身であることと、ある種の明るさがひとりの身にそなわって破綻がない。仇な色気はこれからさらに成熟していくだろう。将来が期待されるお富である。
『義経千本桜』の「四の切」は、まず、身体を鍛え抜くところから始めなければならない。踊り地がどうのこうのというつもりはない。ひたすらフィジカルな身体のキレがなければ、宙乗りのない音羽屋型といっても役を成立させるのはむずかしい。輝かしい身体能力があって、はじめて親を亡くした狐の哀れさ、その境遇が義経と重なる劇構造へと結びついていくのだ。狐言葉にも難があるが、まだそのレベルには達していないというのが、率直な感想である。
ここでも新悟の静御前が赤姫の定型を神妙に勤めていた。隼人の義経。
松也がこうした立場を手にしたことは喜ばしい。この数年で結果をだすのは困難であるが、長い目で見守り、藝が成熟していくのを期待したいと思う。
もうひとり、出色の出来と呼んでいいのは『毛抜』の巳之助。もとより、まだ成長途中ではあるが、團十郎家の粂寺弾正とはまた違ったおおらかさ、のどかな味がある。更に上演を重ねて開花するのを待ちたい。新悟の巻絹、米吉の秀太郎。二十六日まで。

2016年1月11日月曜日

【劇評35】歌舞伎見物の主流とは。海老蔵の現在

 歌舞伎劇評 平成二十八年一月 歌舞伎座夜の部

無人(ぶじん)の一座という言い方がある。今月の新橋演舞場は、芯となるべき役者は、海老蔵、(市川)右近、獅童の三人に過ぎない。その証拠にこの新春花形歌舞伎のチラシで別格の扱いになっているのはこの三人だ。 それでも興行として成立するのだから、現在、海老蔵が持つ興行材としての力には敬服する他はない。歌舞伎は俳優を観に行く演劇だとする立場に立てば、こうした月もあっていいし、玉三郎の特別舞踊公演以外にこうした興行を打てる役者はいないのだから、その栄華を言祝ぐのも新春にふさわしい。
ただし、芝居の実質となるとまた別の考え方がある。ここでは『弁天娘女男白浪』について書く。まずは、「浜松屋」だが、海老蔵の弁天小僧、獅童の南郷力丸は、息があっており江戸の小悪党らしい空気感をまとって花道に登場する。本来立役の海老蔵にとって、「見顕し」までがやはり厳しい。いくら芝居の約束事であったとしても、こうした男性の匂いを強烈に放っていれば、浜松屋の手代、丁稚たちが騙されるわけもなく、まず前提として虚構を成立させるのはむずかしい。
「見顕し」で男とであると正体を明かしてからは、海老蔵の独壇場になる。問題は、野性はもちろんその身にそなわっているのだが、以前は一触即発の暴力装置としてあった弁天小僧が、意外に物わかりのいいお兄いさんになってしまっているところだ。これは海老蔵が自らの表現の幅を広げ、役者としての着地点を探している現在をあらわしていると私は思う。『毛谷村』の六助や『実盛物語』の斎藤別当実盛を当り役とするためには、こうした試行錯誤のプロセスがどうしても必要だと考える。
右近の日本駄右衛門は、大きさを出そうとしてかえって大盗賊の格がが見えにくくなっている。鷹之資の宗之助は神妙。
「浜松屋」はだれもが知っているとはいっても、「見顕し」という仕掛けと一応のドラマがあるからいいが、「稲瀬川勢揃い」となると、無人の一座の弱点があらわとなる。三人に加えて、市蔵の忠信利平、笑三郎の赤星十三郎。このなかでは笑三郎がもっとも「つらね」の様式性、古典としての黙阿弥に忠実であろうとして細心であり、結果として実質をあげている。
作品全体の批評としてはあからさまな欠陥があるが、海老蔵が弁天小僧を演じる、その特権性と輝きを重く見るならば、これはこれでよいのだろうと思う。芝居はもとよりひとりではできないが、ただ、ひとりを見詰めるために劇場に出かける観客は、いつの時代も少なからずいた。いや、それこそが歌舞伎見物の主流だといっても差し支えない。
二十四日まで。

2016年1月10日日曜日

【閑話休題28】Ralph Lauren Homeをめぐる諸問題について

単行本の初校ゲラは筆者にとって、もっとも気の張る仕事だ。校正者の指摘を受け止めつつ、完成形を高めていく。今日で『天才と名人 中村勘三郎と坂東三津五郎』のゲラを見終えて、仮にだけれど「あとがき」も書く。「あとがき」は蛇足のような気もするが、かえって自分ではもうわからなくなっているものだ。「あとがき」を掲載するかは、火曜日に編集者と相談して決めようと思う。ほっと一息つく間もなく、滞っていたブログに向かう。歌舞伎座昼の部、夜の部、国立劇場の劇評を一気に書いて更新。ちょっとくたびれモードなので、気分転換のため池袋西武に行ってきます。セールの時に、パジャマ、下着、靴下を細々と補充するのが私の習慣です。

詰めて仕事をした後に、セール期間中の百貨店にいくなどというのは、無謀というか大胆というか、飛んで火に入る冬の蝿状態だと知っている。知っていても止められない。
予定通り、パジャマ、下着一枚、靴下二枚を購入したまではまだ正気だった。これからがいけない、紳士服売り場から寝具売り場に移動し、ラルフローレンホームに入ったときには、もう錯乱状態で、シーツ、ピロー、掛け布団カバー、綿の膝掛けと止まらなくなった。
幸いなことに、ファッションフロアーに行くのは、泥沼とわかっていたので、きびすを返し、無事(?)生還。両手に重い荷物。表情を変えないクレジットカード、そしていくばくかの爽快感を手に入れましたとさ。

【劇評34】脇が揃い江戸の夜が立ち上がる『直侍』

 歌舞伎劇評 平成二十八年一月 歌舞伎座夜の部

新春の歌舞伎座。夜の部は『二条城の清正』が出色の出来。吉田絃次郎作の新作歌舞伎で理に詰んだ台詞劇だが、清正の幸四郎、秀頼の金太郎。いずれも落日の豊臣家を襲う息が詰まるような切迫感が感じられて説得力がある。これが歌舞伎の不思議で、孫の行く末を案じる祖父幸四郎の心情が、加藤清正のまっすぐな忠義と重なる。金太郎はもちろんこれからの役者だが、一時間に及ぶ台詞劇を持たせたのは立派。これは生来持った役者としての華によるものだろう。
染五郎初役の『直侍』も心に暗澹たる暗闇を抱えた男として造形して、これはこれでひとつのやり方だろう。なにより素晴らしいのは脇役陣で、これほどの役者を揃えたら芯に立つ染五郎の直次郎は、よほどしっかりしなければ喰いまくられてしまう。東蔵の丈賀は、うなるほどの出来映えで、この水準を抜く丈賀をこれから観るのは難しいだろう。暗闇の丑松は吉之助で、これも幹部がやるより凄みがあってよい。嫌なやつに徹している。蕎麦屋亭主と女房は、高麗五郎と幸雀、市井に生きる人間の日々の生活感が滲み出て、ふたりのやりとりを聞いているだけも胸がじんしてくる。
『大口屋』になってからは、寮番に錦吾を配する贅沢。直次郎と三千歳に対する優しさにあふれ、しかもほどがよい。
雀右衛門襲名を三月に控えた芝雀が三千歳。哀れな女の役だが、生きてはいられぬと死をほのめかしても男にしがみついていく女の業が見たい。芸風もあるが哀れさばかりが先に立つと、直次郎三千歳の悲恋物語になってしまう。
朝幕の『猩々』は、猩々に梅玉と橋之助。酒売りに松緑。梅玉は踊りの人ではないと思ってきたが、このごろさらさらとした踊りで際立つようになってきた。
『吉田屋』は、襲名で伊左衛門を勤めてきた鴈治郎が安定した出来映え。作がよく、役を繰り返し勤めたために大坂のぼんのかわいらしさが漂うようだ。玉三郎の夕霧はだれもが知る持ち役で、あっさりと演じてコクがある。上方の傾城の美を虚構として構築した。二十六日まで。

【劇評33】百鬼夜行の都 玉三郎の『茨木』

 歌舞伎劇評 平成二十八年一月 歌舞伎座昼の部

歌舞伎座の新春大歌舞伎。顔見世とみまごうばかりに役者が揃う。なかでも昼の部の『石切梶原』と『茨木』がすぐれている。
『石切梶原』は、梶原平三を演じる役者にとっては気のいい芝居でも、観客にとってそれほどの実質があるのか疑いをもって観てきた。今回の吉右衛門は、こうした役者の気のよさをしりぞけて、胆力と気迫にあふれた武士が困難な出来事に微動だにせず、あっさりと切り抜けていく、その自然体を見せたところで上質の劇となりえた。大庭三郎に又五郎、六郎太夫に歌六、梢に芝雀と脇にも実力者が揃って、これでまずければ、平成の歌舞伎に未来はないといっていいほど。俣野は歌昇、奴菊平は種之助。厳しい修行の場を与えられて、人気に踊らされず実力をたくわえているふたりが頼もしい。
昼の部の切りは、玉三郎の『茨木』。冷ややかな夜の闇、百鬼夜行の都の空気をまとった花道の「出」で勝負はあった。松緑の渡辺の綱がこの伯母の気迫に押されて、守るべき片腕を奪われるのももっともと思わせる。おそらくは自前だろうけれど、素晴らしい着付けで溜息がでるほどだった。士卒に鴈治郎と門之助、家臣宇源太に歌昇。そして太刀持の音若に左近が初々しい。
朝幕に『廓三番叟』。孝太郎、種之助、染五郎。ベテランに挟まれ、種之助が清涼感のある女形で色気を漂わせる。これから女形も観てみたいと思わせる出来。
橋之助の『鳥居前』。柄も立派。力量も十分なのに、売り物となる土性骨の強さがどこか不十分に思える。義経は門之助。静御前は児太郎。逸見藤太は松江。はじめは不自然に思えたが、剛柔を兼ね備えた藤太のやり方もあるのだと納得。弁慶は彌十郎。ひところはどうしても人の良さが先に立っていたが、近年は役柄がくっきりと見えるようになってきた。二十六日まで。

【劇評32】復活狂言の成功例

  歌舞伎劇評 平成二十八年一月 国立劇場

平成二八年の正月は、東京だけで四座が空いた。歌舞伎座、国立劇場、新橋演舞場、浅草公会堂をめぐるなかで、それぞれの特質はあるものの、国立劇場の復活狂言が、もっともこの暗澹たる世相から一時私たちを救い出してくれる力に満ちあふれていた。
一四年前に復活された河竹黙阿弥の『小春穏沖津白浪(こはるなぎおきつしらなみ)』(木村錦花改修、尾上菊五郎監修、国立劇場文芸研究会補綴)は、小春日和の上野清水観音堂の場から始まる。もっとも冒頭に菊之助の狐による無言劇があって、この芝居全体の空気感を伝えている。
主筋はお家の重宝「胡蝶の香合」をめぐる物語に絞り、その発端を示す場だが、それぞれが役にはまって歌舞伎の序幕にふさわしい。彦三郎の重臣荒木左門之助、亀蔵の敵役三上一学、亀三郎の忠義一途な奴弓平はじめ場を引き締める。若いふたり、梅枝の月本数馬之助がなかなかの若衆振りをみせ、(尾上)右近の三浦屋傾城花月が、傾城姿ではなく赤姫の着付で現れる。この二役はそう容易ではないにもかかわらず、好一対を見せる。梅枝、右近の藝境が進むと菊五郎劇団の厚みはますますよろしくなる。
次の二幕目、第一場から第三場までを「雪月花」に見立てた趣向の芝居。時蔵の巡礼者と雪の降り積む一つ家に一人住まう謎の女、賤の娘胡蝶が、ドクロを挟んで対峙する場だが、実はとのちにあきらかになる役と性別を逆にしており、関係が見えにくい。菊之助が出勤しているのに立役ばかりではもったいない。女形も見せておきたいための逆転だと思えば納得もいく。趣向の場でありながら、ケレンに流れず、菊之助が賤の娘の心情を丁寧に作っている。
さらに月の場となってからは、菊五郎の日本駄右衛門がさすがに大きく、だんまりに見応えがあった。七三のスッポンから菊之助が立役の礼三となって再登場し、七人で絵面に決まって幕となる。
第三幕は三浦屋を舞台の世話物となる。序幕で端敵の中間早助を勤めた橘太郎が、ここからは遣り手のお爪に替わって地力を見せる。菊之助の礼三は繭玉を肩に、渋い着付で登場し、単なる甘い二枚目ではなく、獣の匂いを漂わせ、ただならぬ人物を造形する。苦み走った色気である。昨年一年、『義経千本桜』の知盛を含め立役を勉強してきたために、立役として線が太くなった。菊五郎の芸域を注いでいく準備が整いつつある。
萬次郎は実のある傾城、三浦屋深雪と役に恵まれ力のあるところを見せる。時蔵のまじないは悪婆として観ても仇な色気がある。
この芝居のきかせどころは、菊五郎の駄右衛門、時蔵の船玉お才、菊之助の礼三が見せる名乗りで、黙阿弥ならではの台詞の音楽性としたたかな言葉の重層性が味わえる。
続く大詰。赤坂山王鳥居前は、伏見稲荷の鳥居を模して大胆な構成舞台とした新基軸。キレのある菊之助の立廻りと菊五郎劇団のアンサンブルで爽快感をもたらす。
全体に菊五郎劇団の世代交代が順調に進んで、穴のない実質的な芝居が楽しめた。二十七日まで。