2016年1月21日木曜日

【書評2】上村以和於の凝視

上村以和於『東横歌舞伎の時代』(雄山閣 2016年)

調べ、書き、直し、また書く。
原稿執筆はまぎれもなくあたまとからだを駆使した労働である。その意味で上村以和於の『東横歌舞伎の時代』は、まさしく労作と呼ぶにふさわしい著作となった。
一九五四年から十六年間、渋谷駅西口の東急百貨店にあった東横ホールで歌舞伎の興行が行われていた。
歌舞伎と言えば、歌舞伎座、国立劇場、新橋演舞場、浅草公会堂に慣れた現在の観客からすれば、唐突な感じさえするだろう。
現在も時折、行われているコクーン歌舞伎が始まったのは一九九四年だから、その四十年前に、現在第一線にいる歌舞伎の大立者たちは、この東横ホールで修業の時期を送ったのだった。
私自身は、この東横歌舞伎を観ていない。ただ、二十代の頃は、まだ東横ホールじたいはまだあって、東横名人会をよく観に行った。名人会がはねるとハンチングを粋にかぶった小さんとエレベーターで一緒になる。それがなんともうれしかったのだが、噺の途中で電車の音が露骨に響く。劇場としての条件はそれほどよくなかったのは実感としてわかる。
もっとも上村が力を入れているように思えるのは、菊之助(現・菊五郎)、辰之助(三代目松緑)、新之助(十二代目團十郎)が人気をさらった東横歌舞伎の終わりではない。
むしろ、現在からは遠くなった終戦後まもない時期の役者たちの消息にあるように思える。
松竹東横提携第一回公演は、市川猿之助劇団と尾上菊五郎劇団の角書きがあり、九代目八百蔵(のちの八代目中車)、芦燕(のちの十三代目我童)、五代目源之助、四代目秀調、五代目田之助の顔ぶれ。現在の歌舞伎ファンからは遠い名前だが、第一線からは遠ざけられていた彼らが、懸命に足がかりを求めて東横ホールで舞台を勤める姿を、熱い共感をもって描いている。
そのため本書の眼目は、ホールの年代記だけではなく、第二章に設けられた「人物誌ーー東横歌舞伎を彩った俳優たち」にある。そこでは、渋谷の海老さまと呼ばれた四代目河原崎権三郎(三代目河原崎権十郎)や後に俳優協会会長となる七代目中村福助(七代目中村芝翫)、映画界、テレビ界に転じた二代目大川橋蔵、坂東光伸(九代目坂東三津五郎)らを活写する。
演目と配役の向こう側に、歌舞伎の舞台と観客の熱狂が浮かび上がってくる。
淡々とした筆致ではあるけれども、消え去っていく舞台とその記憶が大切にしまわれている。