2016年8月13日土曜日

【閑話休題44】現代演劇としての歌舞伎。まつもと大歌舞伎と木ノ下歌舞伎の行方

信州毎日新聞の10日水曜日朝刊に、「現代を呼吸する歌舞伎」と題して、まつもと大歌舞伎、コクーン歌舞伎、平成中村座がいかに世界に対して現代演劇としての歌舞伎を主張してきたか、その歴史をたどりました。平成中村座の『夏祭浪花鑑』、コクーン歌舞伎の『天日坊』、今回、まつもとで上演された『四谷怪談』、木ノ下歌舞伎の『勧進帳』についても短くですが触れました。
今回、まつもと歌舞伎のシンポジウムに参加して、朝の11時から熱心な観客が集まったのには驚きました。継続して歌舞伎が上演されている地方都市はめずらしいと思います。それだけ歌舞伎がめずらしい到来物ではなく、広い意味で受け入れられているのだな。こんな都市がもう少し増えればいい。それには何が必要なのか。当然のことですが、よい劇場と芸術監督、そして継続性のあるスタッフがまず用意されて、すべてがはじまっていくのでしょう。
その意味で「身軽な」木ノ下歌舞伎は、地方公演も多く持っていく予定のようです。原テキスト主義でありながら、演出は従来の型にこだわらずに大胆に、というのが私が受け取った木ノ下歌舞伎の傾向ですが、若い集団だけにこれからまた、変化し、進化していくのでしょう。歌舞伎が身体の演劇であるとすれば、歌舞伎役者の舞踊によって作られた身体にいかに拮抗していくのか。女方がはらむ性の問題をどう考えていくのが、今日深い問題をかかえていて目が離せません。