現代演劇劇評 平成二十八年六月 シアタートラム
二○○一年に初演された『コペンハーゲン』(マイケル・フレイン作、平川大作翻訳 鵜山仁演出)は、理論物理学の巨人、ハイゼンベルグとマルグレーテ、ボーアの三人による台詞劇で衝撃を与えた。物理学者と倫理、そして人間性の問題が、これほど上質に戯曲化され、舞台にのった例を知らない。客席には、大人の男性観客が目立った。日本の劇場では異例なことだった。新国立劇場では、〇七年に再演され、このときも深い感銘を受けた。
今回のSISカンパニーによる上演は、翻訳が小田島恒志、上演台本・演出が小川絵梨子という布陣で、原作の本質を損なうことなく、戯曲を刈り込んでいる。一般の観客には馴染みのない物理学の用語を避けたというよりは、人間と人間の争い、こころの襞を明確化するためのテキストレジといっていいだろう。
なによりすぐれているのは、段田安則のハイゼンベルグ、宮沢りえのマルグレーテ、浅野和之のボーアと、先の争いや襞を表現するには最強の布陣で臨んだところにある。段田のハイゼンベルグは、野心の良心のはざまで揺れる天才のありようをよくあらわしている。宮沢のマルグレーテは、夫ボーアを気遣いつつも、男たちの欲望と傷心をまっすぐに見詰めていく強さがある。そして浅野のボーアは、母がユダヤ人という宿命に翻弄された老学者の内省が胸を打つ。息子をヨットの事故で失った過去がいかに彼の人生を揺さぶっていったか。核をめぐる問題が深刻化している今、それぞれの真摯にして切実な逡巡が、私たちに決定的に欠けていることを告発している。
演出の小川は、この三者の関係が刻々と変化していく様子を、それぞれの距離と舞台面のシンメトリーな対称によって視覚的に表現してすぐれている。さらにいえば、美的な表現に終わらず、人生の本質は闘争にあり、人間の意志によってすべては変化していくのだと語っているように思われた。見逃せない舞台である。七月三日まで。シアタートラム。