2016年5月26日木曜日

【劇評48】蜷川幸雄の遺作『尺には尺を』。最後の贈り物。

現代演劇劇評 平成二十八年五月 彩の国さいたま芸術劇場 

演出家蜷川幸雄の遺作『尺には尺を』を彩の国さいたま芸術劇場で観た。
幕切れ、背景が飛ぶと青空が広がっている。カーテンコールでは、蜷川実花撮影の大きな遺影が掲げられる。その青空を観ながら、ただならぬ絶望のなかでも、かすかな希望を語ってきた蜷川幸雄の演出を観るのもこれで最後なのだと思ったら、胸に迫るものがあり、泪を押しとどめることができなかった。
『尺には尺を』は、シェイクスピアの喜劇のなかでも上演回数が少ない。それには理由がある。まず、主人公のアンジェロの造形がむずかしい。法に忠実なはずの謹厳実直な人物が、自ら修道女のイザベラに迫る。しかも、婚約者を妊娠させた罪で死刑を命じられた兄の赦免を嘆願に来たイザベラを口説くのである。主役といっても中途半端な悪役であって、成立させるのがむずかしい。今回この難役を引き受けた藤木直人は、前半の鉄面皮ぶりから、一転して色に迷う人間くさいアンジェロを作り上げ、成功した。また、イザベラの多部未華子も、徹底して清純に作ることで、かえって頑なで妥協を知らない少女を浮かび上がらせた。このふたりのバランスのよさが劇を支えている。
そして、なんといっても公爵、修道僧のヴィンショーを演じた辻萬長の人間としての厚みが劇を豊かなものにしていた。公爵という高い身分でありながら、詭計をめぐらして、すべての人々を救おうとする。高貴なだけではなく、いたずらな心を兼ね備えているからこそ、魅力的な人物として舞台にリアリティを与えた。
大石継太のルーチオ、立石涼子のオーヴアンダン/フランチェスカ、石井愃一のポンベイと蜷川組常連の腕のある役者が、人間はさもありなんと観客を引き込む。周本絵梨香のマリアナは、ひたむきさを前面に出して、現代ではありえない行動に説得力を持たせた。
十二月に蜷川は入院しているので、稽古場には立てなかった。それにもかかわらず、まぎれもなく蜷川作品となっているのは、演出補の井上尊晶はじめスタッフが、蜷川の演出がいかなるものであるのかを熟知し、蜷川ならばどんなだめ出しをするかを徹底して想像し、検証する作業を怠らなかったからろう。蜷川は、自分が手塩にかけたスタッフ、キャストから最後の贈り物をもらって逝った。そして観客もまた、その贈り物を受け取ることができた。かけがえのない舞台である。六月十一日まで。そののち、北九州、大阪公演が控えている。