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2015年5月23日土曜日

【劇評20】大竹しのぶは、重戦車のように舞台を蹂躙していく

 【現代演劇劇評】二〇一五年五月 Bunkamuraシアターコクーン

大竹しのぶのレイディによる『地獄のオルフェウス』(フィリップ・ブリーン演出 広田敦郎訳)は、きわめて特異な演劇体験を私たちにもたらす。テネシー・ウィリアムズが書き付けたこの戯曲には、まさしく地獄がある。ミシシッピ・デルタの閉塞感のなかで、相互監視と暴力にがんじがらめになった人間たちがうごめいている。
なかでレイディは、今ともに住んでいる夫ジェイブ(山本龍二)によって、父とそのかけがえのない果樹園を焼き尽くされた過去を持つ。蛇皮のジャンパーを着て、ギターを抱えた流れ者の男ヴァル(三浦春馬)が現れてから、その魅力に町の女達は熱狂していく。レイディも例外ではない。長い抑圧された生活のためにねじ曲がった性格を、ヴァルの前ではあけすけに解放していく。
大竹しのぶは、まさしく重戦車のように舞台を蹂躙していく。そのエロキューション、その身体、その存在、すべてが女性の深淵を物語っているかのようだ。感情の振幅激しく、見てはならない地獄の釜を開けてしまった人間の歓喜と恐怖が描き出されている。
フィリップ・ブリーンの演出は、この戯曲をアメリカ南部の暗部を描いているわけではない。妖術師の男(チャック・ジョンソン)や道化を効果的に使って、幻想の街を出現させようとする。また、露出狂の女キャロル(水川あさみ)や看護師ポーター(西尾まり)を個性的な存在として際立たせたがゆえに、世界のどの街にもこんな恐怖が待ち構えていると語っていた。さらに、ビューラ(峯村りえ)、ドリー(猫背椿)、エヴァ(吉田久美)、シスター(深谷美歩)による意味を失った囁き声も効果的だ。だれとも知れない噂話が、狭い街を支配していく実体をあぶりだしている。
大竹しのぶの振幅をさらりと受け止める三浦春馬のクールビューティぶりも見事だ。このふたりは、水と油のように混じり合いはしない。この対照があってこそ、悲惨な結末へと転落していく幕切れを避けようのない事態として観客は受け止める。ヴァルがレイディに「あんたを心から愛しているよ」と跪いて語る場面は、腐敗した世界を一瞬輝かせたのだった。三十一日まで。大阪公演は六月六日から十四日まで。
http://www.bunkamura.co.jp/cocoon/lineup/15_orpheus/index.html