ローザスを観るためにヨーロッパへ。二十数年前にブリュッセルを訪ねたときは、三本同時上演の予定で、新作はハイナー・ミュラーの「カルテット」が、原作、音楽はアンサンブルICTOUSと発表されていたけれど、キャンセルになったのを思い出した。
日本での公演機会も多かったから、アンヌ・テレサ・ドゥ・ケースマイケルの作品をずっと観てきたし、勤務先で学生に紹介する機会も多かった。今回のパリ・オペラ座訪問は、自分のためでもあるけれど、長い間お世話になったアーティストへの強い郷愁というか、執着があるのを改めて感じた。
「RAIN」は、オペラ座のダンサーに対する振付で、今回は自分のカンパニーの公演である。『オペラ座の怪人』という世界的なヒット作があるが、歴史があり、世界の頂点に立ってきた劇場には、何か魔のようなものが住んでいる。それは、この舞台に立つことを矜恃としてきたダンサーの思いなのだろうと思う。その是非はともかく、世界の頂点に立つという意志が、歴史の層となって、堆積している。この空間で、コンテンポラリーのカンパニーが公演するのはどれほと怖いことなのだろうと思う。
思えば、歌舞伎座にも同じようなことがいえるのかもしれない。ずいぶん前に、花組芝居が『歌舞伎座の怪人』という作品を発表したけれども、単なるパロディではなく、この劇場に対する怖れがやはり込められていた。
今や巨匠となったケースマイケルにとって、どんな意味を持つのか。ミニマルな現代音楽と密接な振付を行ってきたケースマイケルにとって、バッハのブランデンブルグ協奏曲という選曲はなぜ行われたのか。古楽の生演奏を選んだのはなぜか。オペラ座を裸舞台で使ったのはどんな意図か。男性舞踊手は、どんな位置を占めるのか。さまざまな疑問が浮かんでは消えた。
https://www.rosas.be/fr/324-rosas
長谷部浩ホームページ
2019年3月7日木曜日
【劇評135】分水嶺を踏んで、所作事の第一人者へと進む菊之助。
歌舞伎劇評 平成三十一年三月 国立劇場小劇場
分水嶺という言葉がある。
雨水を異なった水系に分かつ山の峰々をさす。
歌舞伎役者にとっては、若女方からそのキャリアを始めたとしても、そのまま真女方へ進むか、あそれとも立役を手がけていくかが大きな分かれ道となる。
その峰として国立劇場の小劇場が果たす役割は大きい。昭和六十三年四月、当時の勘九郎(のちの十八代目勘三郎)は、父十七代目の当り役だった新三をこの劇場で出した。三十二歳。この公演の半ばで父勘三郎はこの世を去った。父の相手役として若女方を中心に修業してきた勘九郞は、新しい世界を自分で切りひらいていくきっかけとなった舞台である。
今月の小劇場は、扇雀の「綱豊卿」と菊之助の「関の扉」。いずれも、女方の役が多く、近年、立役を勤める機会が増えてはいるが、扇雀にとっては青果のような徹底した台詞劇の立役、菊之助にとっては古怪な舞踊劇の大曲を立役で勤めるのは、大きな転機となる。舞台の出来によっては、痛烈な非難があるのを覚悟の挑戦であった。
まず『元禄忠臣蔵』の「綱豊卿」から。扇雀は、勘三郎の生前、福助とともに相手役を勤めてきた。福助が真女方を貫くのは当然としても、扇雀は知が勝った仁で、柄も小さくはない。勘三郎という大きな存在が失われたとき、立役の可能性を探っていくのは当然の道筋である。なかでも、「綱豊卿」は、当代仁左衛門や梅玉がよく、独自の解釈を打ち出さなければならぬ。
扇雀は、徳川御三家の格よりは、綱豊卿の隠されてはいるが、真摯な情熱を、歌昇の富森助右衛門の直情と対決させていく道を選んだ。名家の大名だからまたものの助右衛門を呑んでかかるのではない。男と男、武士と武士の対決として成立させる演出はないか。型に陥るのをできるだけ回避し、刻々と変化していく心情を丁寧に描き出そうとしていた。
「御座の間」が緊迫していたのはいうまでもないが、ここでの写実が、「能舞台の背面」でも引き継がれて、所作ダテをあえて避けている。その踏みとどまり方に感心した。富森助右衛門は複雑な陰影の性格を含んでおり、単に若さだけで押し切れるものではない。綱豊卿は、癇性をいかに押さえて助右衛門と対しているかが課題となる。ぞれぞれが克服していくべき課題を明確にしたことで、「綱豊卿」は、ふたりにとっても大きな転機となった。感慨深い舞台である。
又五郎の新井勘解由が、舞台を圧する大きさで、綱豊卿と助右衛門の個性を引き出す。虎之介のお喜世は可憐なだけではなく、兄助右衛門の無礼を咎めるとき必死さが出た。儲け役の絵島は鴈乃助で手堅い。
さて、菊之助の『積恋雪関扉』。
いわずと知れた常磐津の大曲であり、関兵衛実は大伴黒主は、古怪な風格と時代物の大役に匹敵する大きさが求められる。役者本来の資質が問われる役とされる。これまで菊之助は、『積恋雪関扉』で、小町姫と墨染を勤めてきたが、こちらが本役であり、関兵衛実は大伴黒主は、仁にも柄にもないと思われた。これまで菊之助は「大物浦」の知盛や「鳥居前」の忠信のような役を勤めてきたが、さらに踏み込んだ挑戦と思えた。
結論からいうと、これが地に足のついた出来映えであった。まず、出がいい。こうした大役なので、自分を大きく見せようとするそぶりが垣間見えるのが難だが、これも日が経つうちによくなるだろう。なにより出のときの顔が、貫目のある座頭役を勤めるときの菊五郎とそっくりになっていた。五代目、六代目菊五郎が出したから、『積恋雪関扉』を勤める正統性があるのではない。この出の一瞬で、菊之助がすでに座頭の風格を備えたこと。座頭でなければ勤められない役を射程に収めたのだと語っていた。
前半の滑稽味も作り物ではなく、そなわった愛嬌がある。これはおそらく資質ではなく、徹底した技術の習得と展開によるものだ。あまり表だって語られてはいないが、吉右衛門の指導が細かく行われたのではないかと想像する。
萬太郎の宗貞は、品格の高さがある。ただ、さらに謎めいた空気をまとうようでありたい。だれが勤めても難役だけにさらに回数が必要だろう。
梅枝の小町は、真女方としての進境を感じさせる。宗貞との馴れ初めを語るクドキに生彩があり、銀の糸が張り詰めたような風情があり、しかもしたたるような色気が加わってきた。
菊之助の関兵衛は、勘合の印と割り符が懐中から落ちた件が見どころ。このあたりを当て込まず、さらりと芝居にしていくところに、音羽屋の御曹司の片鱗がある。
さらに「二子乗舟」の文字が血潮で書かれた片袖が、鷹に運ばれてから、おおらかな空気が転調する。
梅枝が肚のある芝居で舞台を運ぶ。
さらに、大盃に星影が移ってからの運びがよい。関兵衛が単なる関守から、巨魁へと移っていく過程を、理屈ではなく、身体の大きさ、器量の確かさで見せる。
この幕が開いてから、ずっと桜の大木が舞台中央にある。その洞から、傾城墨染となった梅枝が現れる。身体を傾け、早足で舞台を回り、傾城の位の大きさと華やかさを見せる。関兵衛が慣れぬ廓話に酔っていく様子がいい。さらにお互いの正体を見咎めるうちに、常磐津地に乗って、所作ダテとなる。かどかどの見得、所作ダテの切れ味、躍動感は出色の出来で、大伴黒主が古怪とともに神秘の力に満ちあふれた存在であると物語っていた。
近年の当代菊五郎は、ほとんど女方を手がけなくなっている。菊之助がどこへ行くのかは、まだ決まってはいないが、「助六」の揚巻、「先代萩」の政岡、「摂州合邦辻」の玉手御前は手放さないだろう。加えて、菊五郎劇団の世話物の立役、さらに実盛物語のような白塗りの二枚目の枠にとどまらない可能性が濃くなってきた。まずは踊りの地芸をとっかかりに「六歌仙」の通しだろうか。「大伴黒主」がこの出来であれば、それほど先の話ではない。
分水嶺を踏み、さらに新たな境地をめざす役者の姿勢に打たれた。
分水嶺という言葉がある。
雨水を異なった水系に分かつ山の峰々をさす。
歌舞伎役者にとっては、若女方からそのキャリアを始めたとしても、そのまま真女方へ進むか、あそれとも立役を手がけていくかが大きな分かれ道となる。
その峰として国立劇場の小劇場が果たす役割は大きい。昭和六十三年四月、当時の勘九郎(のちの十八代目勘三郎)は、父十七代目の当り役だった新三をこの劇場で出した。三十二歳。この公演の半ばで父勘三郎はこの世を去った。父の相手役として若女方を中心に修業してきた勘九郞は、新しい世界を自分で切りひらいていくきっかけとなった舞台である。
今月の小劇場は、扇雀の「綱豊卿」と菊之助の「関の扉」。いずれも、女方の役が多く、近年、立役を勤める機会が増えてはいるが、扇雀にとっては青果のような徹底した台詞劇の立役、菊之助にとっては古怪な舞踊劇の大曲を立役で勤めるのは、大きな転機となる。舞台の出来によっては、痛烈な非難があるのを覚悟の挑戦であった。
まず『元禄忠臣蔵』の「綱豊卿」から。扇雀は、勘三郎の生前、福助とともに相手役を勤めてきた。福助が真女方を貫くのは当然としても、扇雀は知が勝った仁で、柄も小さくはない。勘三郎という大きな存在が失われたとき、立役の可能性を探っていくのは当然の道筋である。なかでも、「綱豊卿」は、当代仁左衛門や梅玉がよく、独自の解釈を打ち出さなければならぬ。
扇雀は、徳川御三家の格よりは、綱豊卿の隠されてはいるが、真摯な情熱を、歌昇の富森助右衛門の直情と対決させていく道を選んだ。名家の大名だからまたものの助右衛門を呑んでかかるのではない。男と男、武士と武士の対決として成立させる演出はないか。型に陥るのをできるだけ回避し、刻々と変化していく心情を丁寧に描き出そうとしていた。
「御座の間」が緊迫していたのはいうまでもないが、ここでの写実が、「能舞台の背面」でも引き継がれて、所作ダテをあえて避けている。その踏みとどまり方に感心した。富森助右衛門は複雑な陰影の性格を含んでおり、単に若さだけで押し切れるものではない。綱豊卿は、癇性をいかに押さえて助右衛門と対しているかが課題となる。ぞれぞれが克服していくべき課題を明確にしたことで、「綱豊卿」は、ふたりにとっても大きな転機となった。感慨深い舞台である。
又五郎の新井勘解由が、舞台を圧する大きさで、綱豊卿と助右衛門の個性を引き出す。虎之介のお喜世は可憐なだけではなく、兄助右衛門の無礼を咎めるとき必死さが出た。儲け役の絵島は鴈乃助で手堅い。
さて、菊之助の『積恋雪関扉』。
いわずと知れた常磐津の大曲であり、関兵衛実は大伴黒主は、古怪な風格と時代物の大役に匹敵する大きさが求められる。役者本来の資質が問われる役とされる。これまで菊之助は、『積恋雪関扉』で、小町姫と墨染を勤めてきたが、こちらが本役であり、関兵衛実は大伴黒主は、仁にも柄にもないと思われた。これまで菊之助は「大物浦」の知盛や「鳥居前」の忠信のような役を勤めてきたが、さらに踏み込んだ挑戦と思えた。
結論からいうと、これが地に足のついた出来映えであった。まず、出がいい。こうした大役なので、自分を大きく見せようとするそぶりが垣間見えるのが難だが、これも日が経つうちによくなるだろう。なにより出のときの顔が、貫目のある座頭役を勤めるときの菊五郎とそっくりになっていた。五代目、六代目菊五郎が出したから、『積恋雪関扉』を勤める正統性があるのではない。この出の一瞬で、菊之助がすでに座頭の風格を備えたこと。座頭でなければ勤められない役を射程に収めたのだと語っていた。
前半の滑稽味も作り物ではなく、そなわった愛嬌がある。これはおそらく資質ではなく、徹底した技術の習得と展開によるものだ。あまり表だって語られてはいないが、吉右衛門の指導が細かく行われたのではないかと想像する。
萬太郎の宗貞は、品格の高さがある。ただ、さらに謎めいた空気をまとうようでありたい。だれが勤めても難役だけにさらに回数が必要だろう。
梅枝の小町は、真女方としての進境を感じさせる。宗貞との馴れ初めを語るクドキに生彩があり、銀の糸が張り詰めたような風情があり、しかもしたたるような色気が加わってきた。
菊之助の関兵衛は、勘合の印と割り符が懐中から落ちた件が見どころ。このあたりを当て込まず、さらりと芝居にしていくところに、音羽屋の御曹司の片鱗がある。
さらに「二子乗舟」の文字が血潮で書かれた片袖が、鷹に運ばれてから、おおらかな空気が転調する。
梅枝が肚のある芝居で舞台を運ぶ。
さらに、大盃に星影が移ってからの運びがよい。関兵衛が単なる関守から、巨魁へと移っていく過程を、理屈ではなく、身体の大きさ、器量の確かさで見せる。
この幕が開いてから、ずっと桜の大木が舞台中央にある。その洞から、傾城墨染となった梅枝が現れる。身体を傾け、早足で舞台を回り、傾城の位の大きさと華やかさを見せる。関兵衛が慣れぬ廓話に酔っていく様子がいい。さらにお互いの正体を見咎めるうちに、常磐津地に乗って、所作ダテとなる。かどかどの見得、所作ダテの切れ味、躍動感は出色の出来で、大伴黒主が古怪とともに神秘の力に満ちあふれた存在であると物語っていた。
近年の当代菊五郎は、ほとんど女方を手がけなくなっている。菊之助がどこへ行くのかは、まだ決まってはいないが、「助六」の揚巻、「先代萩」の政岡、「摂州合邦辻」の玉手御前は手放さないだろう。加えて、菊五郎劇団の世話物の立役、さらに実盛物語のような白塗りの二枚目の枠にとどまらない可能性が濃くなってきた。まずは踊りの地芸をとっかかりに「六歌仙」の通しだろうか。「大伴黒主」がこの出来であれば、それほど先の話ではない。
分水嶺を踏み、さらに新たな境地をめざす役者の姿勢に打たれた。