ローザスを観るためにヨーロッパへ。二十数年前にブリュッセルを訪ねたときは、三本同時上演の予定で、新作はハイナー・ミュラーの「カルテット」が、原作、音楽はアンサンブルICTOUSと発表されていたけれど、キャンセルになったのを思い出した。
日本での公演機会も多かったから、アンヌ・テレサ・ドゥ・ケースマイケルの作品をずっと観てきたし、勤務先で学生に紹介する機会も多かった。今回のパリ・オペラ座訪問は、自分のためでもあるけれど、長い間お世話になったアーティストへの強い郷愁というか、執着があるのを改めて感じた。
「RAIN」は、オペラ座のダンサーに対する振付で、今回は自分のカンパニーの公演である。『オペラ座の怪人』という世界的なヒット作があるが、歴史があり、世界の頂点に立ってきた劇場には、何か魔のようなものが住んでいる。それは、この舞台に立つことを矜恃としてきたダンサーの思いなのだろうと思う。その是非はともかく、世界の頂点に立つという意志が、歴史の層となって、堆積している。この空間で、コンテンポラリーのカンパニーが公演するのはどれほと怖いことなのだろうと思う。
思えば、歌舞伎座にも同じようなことがいえるのかもしれない。ずいぶん前に、花組芝居が『歌舞伎座の怪人』という作品を発表したけれども、単なるパロディではなく、この劇場に対する怖れがやはり込められていた。
今や巨匠となったケースマイケルにとって、どんな意味を持つのか。ミニマルな現代音楽と密接な振付を行ってきたケースマイケルにとって、バッハのブランデンブルグ協奏曲という選曲はなぜ行われたのか。古楽の生演奏を選んだのはなぜか。オペラ座を裸舞台で使ったのはどんな意図か。男性舞踊手は、どんな位置を占めるのか。さまざまな疑問が浮かんでは消えた。
https://www.rosas.be/fr/324-rosas