長谷部浩ホームページ

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2016年10月27日木曜日

【追悼】平幹二朗さんのお通夜から帰って。

 【追悼】平幹二朗さんのお通夜から帰って。

今、青山葬儀所で行われた平幹二朗さんのお通夜に出席して、帰宅したところだ。
私にとっては、平さんの仕事は、演出家蜷川幸雄さんと切り離しては考えられない。もはや伝説的になった『王女メディア』をはじめとして、『近松心中物語』『ハムレット』『テンペスト』『タンゴ・冬の終わりに』『グリークス』そしてふたたび『ハムレット』のクローディアスのような舞台が浮かびあがる、堂々たる体躯、響き渡る声がまざまざと、私たちのものだろう。そこには日本人離れした感情の振幅の大きさがあり、またそれでいて繊細な表現にもたけていた。
極大と極小、鳥と虫の目を併せ持つ蜷川演出には、なくてはならない俳優で、一時期、蜷川作品に出演しなくなった頃は、残念でならなかった。私が蜷川さんにはじめて話を伺ったとき、「平さんは紙でほんのすこし喉あたりに傷がついただけで引退を考える」と聞いた。俳優はこれほどまでに自分自身を楽器として表現に取り組むのだと驚いた。
舞台ではその存在に圧倒されるばかりであったが、『グリークス』の稽古場に毎日通ってからは、折に触れて劇場でお目にかかると、鄭重なご挨拶をいただいて恐縮した。礼を守り、他者をいたわる優しさを忘れぬ紳士だった。
青山葬儀所で行われた蜷川さんの葬儀で、平さんは弔辞を読んだ。互いに通い合う魂がこもったすばらしい言葉だった。演出家と俳優がこれほどまでに結びあい、反発しあうものなのだろうか。
いずれにしろノーサイドの笛が吹かれた。
俳優の想い出はなにより舞台の記憶である。これほどまでに綺羅星のごとく代表作に恵まれた俳優はめずらしい。今ごろは、天国の入口まで迎えに来た蜷川さんと握手していることだろう。

2016年10月8日土曜日

【ご注意】ln.isスパムに対策しました

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2016年10月7日金曜日

【劇評64】実直に役に取り組んだ新・芝翫襲名披露

 歌舞伎劇評 平成二十八年十月 歌舞伎座

中村橋之助改め八代目中村芝翫襲名披露を初日に観た。勘三郎、三津五郎の急逝もあって、ふたりとも同じ舞台を数多く踏んだ新・芝翫は、これからの立役を背負っていく気概に満ち満ちていた。三代続いた女方の名前を、立役中心に戻すことへの自負もあるだろう。いずれにしろ、芝翫がどこまで芸境を進めるかが、これからの歌舞伎を大きく左右するのはいうまでもない。
昼の部の襲名狂言は、『極付 幡随長兵衛』。対立する水野に菊五郎、長兵衛女房に雀右衛門がつきあう。芝翫としては世話物の当り狂言を作りたい気持がよく伝わってきた。角のとれた温和な長兵衛を造形するために、二幕目の「長兵衛内の場」が雀右衛門の支えもあって芝居になっている。反面、本来の柄や仁が善に傾くために、「水野邸座敷」になってからの気迫が薄い。凄みを感じさせ、威圧感を相手役や観客に伝播させるのがこれからの課題となるだろう。
朝幕は『初帆上成駒宝船』を芝翫の息子三人が踊る。橋之助、福之助、歌之助の三人が初々しい。橋之助が年長で舞台経験も多いだけに芯となるオーラを発している。
続いて七之助の『女暫』。松也の震齋、児太郎の女鯰が位取りを過たずに健闘している。七之助もそつなくまとめているが、暫の虚構をより大きくつかみとる覚悟が求められる。
菊之助の女猿引、児太郎のお染、松也の久松。江戸の風俗を描いた佳品。菊之助の女猿引に酸いも甘いも噛み分ける訳知りな年増の風情がでると、さらに三人の関係がふくらむだろう。
夜の部の襲名狂言は『熊谷陣屋』。新・芝翫が大切にしてきた芝翫型による上演。顔は赤っ面、藤の方の出では飛びすざる、軍扇を掲げる「平山見得」と、見どころもこなれてきた。ただ、熊谷だけが芝翫型を演じるのでは曲がない。魁春の相模、菊之助の藤の方も、この型を受けての工夫が必要になってくる。吉右衛門の義経、歌六の弥陀六が時代物を同じ舞台で重ねてきた年輪があり、圧巻。襲名の大舞台となった。
松緑の『外郎売』を見ると、七之助が大磯の虎、児太郎が化粧坂の少将を演じる時代がきたのだと感慨に耽った。歌六の工藤祐経に唯一、古怪な味がある。
玉三郎の『藤娘』でこの襲名の舞台を閉める。華麗な絵面を愉しんだ。