長谷部浩ホームページ

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2016年2月29日月曜日

【閑話休題34】電子書籍と私

紙の本として発売されてから1週間を待たずに、『天才と名人 中村勘三郎と坂東三津五郎』のKindle版電子書籍がリリースされた。

以前、新潮社から『菊之助の礼儀』を上梓したときも電子書籍になったから、私としては二冊目にあたる。

新書はハンディで軽いために、どれだけ電子書籍の需要があるのかはわからない。

私は明治や大正のあまりポピュラーではない作家の作品をネットから落として読むことはよくある。
図書館で岡本綺堂あたりのちょっとしたエッセイを探すのは、かえって骨が折れるからだ。

ただ、電子書籍になると、確かに筆者である私にとっては、とても便利である。
「あの話、どの章に書いたのかな」。単語検索をすればすぐに出てくる。

年代も校正者の苦心もあり、基本的には平成で統一されているので、すぐに引ける。

劇場名も同様で使い勝手がいい。

電子書籍というのは、書いた本人とこれをもとにリサーチをしたい人にとっては、
なかなかありがたいというのが正直な感想である。

版元に確かめたことはないのだが、紙の本と違って、見本本をもらえるわけではない。
オンラインの書店を通して、自分で買うことになる。
「なんで自分の本を買っているのかな」
こんな疑問がふっと湧き上がってくる。

紙の本は、出先で急に人に差し上げるために、買うことはよくある。
この場合は、「なんで自分の本を買っているのかな」などと思ったりはしない。

贈り物としては、どうも電子書籍より紙の本に軍配があがると思うけれど、
こんな「常識」もそのうち覆されていくのかもしれない。

2016年2月22日月曜日

【報告】三津五郎さんの墓参り

2月21日は、十代目坂東三津五郎さんの祥月命日。
行きたいな、行かなければなと思っているうちに、
関係の方々への連絡もできなかった。

当日になって、いよいよとなると、たまたま日曜日だったために、
事務所や、おそらくは巳之助さんが大阪に行ってる番頭さんを煩わせるのもどうかと思い、
ネットで調べて、お墓参りに伺うことにした。

白金台駅から歩いて六分ほどの月窓院は、すぐに見つかった。
手を合わせて、しばらくお話をした。
携帯やメールの通じないところにいるのだな。
そのうちあちらにいくので、また、あの世の銀座で飲みましょうねといった。

本を書き上げて、上梓もすんだので、友人がAmazonのコメントに書いてくれたように、
これで長い長い弔辞を書き終えて、深い池から出なければいけないのだろうと思った。

私の近しい同僚が亡くなったときに、明治座に出演中の三津五郎さんを取材で訪ねた。
忘れなければ、生きていけないと、ご両親を例にとって話して下さったことは、
このサイトにもすでに書いた。

どうしても忘れられないけれども、その急逝を引き受けなければいけない時がくる。

私にとっては2月21日がそんな日にあたるのだろう。

昼間はとても暖かかった。冬の日は気まぐれで、急に風が強くなり、コートの衿から冷たい空気が忍び込んできた。

2016年2月20日土曜日

2016年2月17日水曜日

【公演レポート1】能、女流義太夫、浪曲。この三ジャンルがひとつの舞台に乗るのはめったにあることではない。

東京都墨田区にあるすみだトリフォニーホールの依頼によって書いた公演レポートを、ホールの許しを得て、ここに再録します。



語り藝のエッセンス

「のう、じょぎ、ろう!」と聞いただけでは、なんのことだか首をかしげるだろう。
けれど、日本の「音楽つき語り芸」と副題を読んで、なるほどと膝を打った。
能、女流義太夫、浪曲。この三ジャンルがひとつの舞台に乗るのはめったにあることではないが、室町、江戸、明治それぞれの時代に生まれて、現在も命脈をたもっている藝のエッセンスを一日で楽しめるのではと期待した。
私にとってすみだトリフォニーホールはクラッシック音楽を中心とするイメージがある。小ホールに入るのははじめてだったが、集客がむずかしい時代、ユニークな企画がゆえに、ほぼ満席となっているのに驚いた。
まずは、浪曲から。舞台中央に色鮮やかなテーブル掛け(聞けばこれが正式名称だそうな)のうしろにすっくと立つのが玉川奈々福。金魚の柄がトレードマークである。新進気鋭の浪曲師で才気煥発。企画力、実行力にも富んだ実力派として聞こえている。上手に控えるのは沢村豊子師匠で、穏やかな風貌ながら、きっさき鋭く三味線を弾く。
今日の演題は『悲願千人斬りの女』。小沢信男の原作を奈々福が浪曲に直したという。明治初期に活躍した歌人の松の門三艸子の男性遍歴を描いている。「千人斬り」というと生々しい話かと思ったら、奈々福の語り口は、さばっとして痛快。会話部分に相当する「タンカ」も颯爽たるものだ。
松の門が男性とどうつきあったかよりも、松の門と彼女に岡惚れして武士を捨てて従った男性との愛憎に満ちた関係に焦点が合う。心地のよい酔い。さわやかな色気。ぎりぎりの状況で身体を張り、頭を駆使して人生に向かい合う人間のおもしろさが伝わってくる。浪曲が情を描くにすぐれた藝能だとよくわかった。奈々福は、表情が細やかで、しかも姿勢がきりっと正しい。心意気を売る藝である。
一気に語って話の佳境で「ちょうど時間となりました」といさぎよく断ち切る呼吸も見事。豊子師の糸に支えられ、奈々福が縦横無尽に新作を語る時間を楽しんだ。
続いて竹本越孝の浄瑠璃、鶴澤寛也の三味線による義太夫『碁太平記白石噺』の七段目にあたる「新吉原揚屋の段」である。歌舞伎でも時折取り上げられる「揚屋の段」だが、聞きどころは、全盛の傾城宮城野とその妹で奥州生まれの田舎娘しのぶの対比にある。歌舞伎ではそれぞれの役にあった役者が演ずればいいが、義太夫ではこのふたりをあざやかに演じ分けなければならない。ましてふたりの話を聞いていた男、惣六も語り分けなければならない。今回は詞章のプリントを配布し、義太夫節の言葉に慣れない観客にもわかりやすく配慮していた。義太夫は太夫の語りと三味線の息の詰め方によっていかようにも物語がうねりを創り出すのだとよくわかった。
明治時代の「娘義太夫」は全盛を極めて、ファンは「サワリ」といわれる聞き所になると「ドースル、ドースル」と声を掛けた話がよく知られている。現在の女義太夫は、人形をともなわない素浄瑠璃として着実に藝の伝承が行われている。今回は、たとえば『桂川連理柵』「帯屋の段」のように誰もが知る話を選ばなかった。全体を通すテーマに忠実に、隅田川(大川)のそばにあり不夜城といわれた廓の空気をよく伝えていた。
休憩をはさんで、能の登場である。能には、シテ方などそれぞれの職分があるが、ワキ方の安田登と笛方の槻宅聡による。取り上げたのは能の代表的な演目「隅田川」を断片的に取り上げる。謡いと笛だけで幻想的な世界が創り出されるのも驚きだが、表面上にある言葉と音楽だけではなく、能がまさしく身体の藝なのだとよくわかった。安田が舞台上に立ち、歩くだけで、その身体は物語を語り出すのだった。「能の詞章は、一文の後半を強くいう特徴がある」との解説もおもしろい。藝と解説が一体となった舞台である。
続いて夏目漱石の『夢十夜』を取り上げる。漱石自身が安田の属する下掛宝生流を習っていた縁を聞くと、明治時代の文人の教養が漢籍や西欧文明ばかりではなく、藝能にまで届いていたことに驚く。『夢十夜』は漱石の作品のなかでも、近代小説とはいいがたい。幻想性に富んだ物語だが、能が持つイメージを呼びさます力とよく呼応して、暗い山道の空気感があざやかに描き出された。下手ワキから三味線の音が聞こえたのも効果的だった。
その種明かしは、続く『我が輩は猫である』の猫が餅をくらう件りで明らかになる。浪曲の奈々福が三味線を持って、下手舞台に曲師として登場し、独特の即興でこの舞台に斬り込んでくる。荘重さと滑稽さが綯い交ぜになった舞台だった。猫の行動は人間には予想がつかない。その自在にして気ままなありようが、この能と浪曲三味線の「異種格闘技」によって描き出された。意味ある共演だと思う。
語りの藝が室町時代から現在まで渾然一体となったひとときで、出演者全員による座談会もおもしろく、ためになった。
十一月二十二日にすみだ北斎美術館が開館するという。江戸の記憶が現在まで堆積する隅田区の地で、またこんな清新な企画を観たいと願って、トリフォニーホールを後にした。

2016年2月15日月曜日

【閑話休題33】玉川奈々福の快進撃

1月の30日土曜日、隅田区にあるすみだトリフォニーホール小ホールで行われた会の公演レポートを書いた。
能と女義太夫、浪曲が同じ舞台にのって、日本の「音楽つき語り芸」を副題に競演したユニークな試み。

もとより能も女義太夫も浪曲も専門ではないが、企画のおもしろさに思わず引き受けてしまった。

書いてみると、なかなかむずかしい。
やはりどうしても批評したくなる癖が抜けない。
職業病というもんなのだろうか。

結果は、すみだトリフォニーホールのHPに掲載の予定なので、どうぞお楽しみに。

まだ、二度観ただけだが、玉川奈々福は、柳家喬太郎が出てきた頃の速度感を感じる。注目の人物です。

2016年2月14日日曜日

【閑話休題32】三津五郎、時蔵の喜撰、勘三郎、三津五郎の棒しばり

13日の土曜日から、全国の映画館で、シネマ歌舞伎の『喜撰』、『棒しばり』が上映されている。
昨日の東銀座東劇は、彌十郎、巳之助のふたりで舞台挨拶があったようだ。
このふたつの舞踊は、三津五郎家にとって、とても大切な演目だ。
『棒しばり』は、勘三郎との競演で繰り返し踊った演目で、ふたりが不在となってからは、
こうした記録映像のかたちでしか観ることが出来ない。

これまでシネマ歌舞伎を観てきて思うのだけれど、
劇場でのライブとはまた違って、
踊りの細部、身体の表情を観察すると意外な発見があることが多い。
なるほどなあ、こんなふうに成り立っていたのかと、
考えさせられることしきり。

時間を見つけてこの機会に、映画館の大きな画面で、
ぜひご覧になることをおすすめしたい。

また、三津五郎の『喜撰』『流星』『楠公』は、NHKからDVDが出ていて、まさしく名人の輝きがある。
入手困難にならないうちに、手に入れておくことをぜひおすすめしたい。

2016年2月8日月曜日

【閑話休題31】ページビューと統計

私はブログのエンジンにBloggerを使っている。このブログソフトには統計が出るようになっていて、
これまでの総ページビューやそれぞれの投稿のビューが掲載される。
昨年の1月に思い立ってこのサイトを立ち上げてから、早1年。
ふと気がついてみると、総ページ数は60000ビューに達した。
芝居にもよるけれども、劇評をアップすれば、500から2000ビューくらいは数字があがるようになった。

こうした劇評のサイトは、数字よりもどのくらい熱心に読んで頂けるかのほうが意味があると思う。
けれども、ひとつひとつのビューがどのくらいの時間なされてかは、このBloggerではわからないようだ。

マスメディアに書くときと、なにか違いはありますか。
との質問を受けることがある。
特に変わらないと答えるようにしているが、
やはり媒体によって読者層を意識しているのは確かだろうと思う。
このブログでは、そういった意識はほとんどなく、
自由に気兼ねなく執筆できるのは、楽しい。

あまり気張ってやると、長くは続かない。
自分が楽しめなくなったときが、止めるときだと思っている。
いつまで続くかはわからないけれど、あと一年くらいはなんとか続けたいものだと、
改めて考えたりする。

おそらくプロデューサーや宣伝にコンタクトを取れば、
舞台写真の掲載も不可能ではないと思う。
けれどそのコンタクトを取り、写真を借りたがために、
なんらかのしがらみが生まれるのであれば、
手間を掛ける価値はないと判断している。

劇評のサイトで、お気楽にをモットーとするのは、不思議な気もするが、
まあ、力まないように気をつけつつ、書きたいことを書いていくつもりです。

2016年2月6日土曜日

【劇評39】十年に一度の『籠釣瓶花街酔醒』。吉右衛門、菊之助が息を詰める。

は歌舞伎劇評 平成二十八年二月 歌舞伎座 


今月の歌舞伎座は、『籠釣瓶花街酔醒』がすぐれている。十年に一度あるかないかの出来で必見の舞台となった。
昭和五十三年六月、吉右衛門が新橋演舞場で次郎左衛門を初役で勤めてから長い年月が過ぎた。今回の舞台は菊之助の八ッ橋を得て、まさしく頂点というべきだろう。
逐一書いていくが、全体を通していえば、ふたりの息が詰まっている。そのために次郎左衛門と八ッ橋がはじめて出会う場、そして縁切りに及ぶ場、さらには殺し場までふたりが運命に翻弄される主要な場面で、芝居が引き締まっている。歌舞伎座の客席はひたすら静まりかえって、観客が舞台に引き込まれている。吉右衛門と菊之助、平成歌舞伎を牽引する大立者と充実期を迎えてひとかどの役者になりおおせた役者が、お互いの心の襞をのぞき込んでいる。
考えてみれば、あらゆる一刻、一刻がかけがえのない人生の瞬間なのだとこの芝居は教えてくれる。吉原は廓である。華やかな舞台の底に深い闇をかかえている。男を陶酔させる廓のシステムに引き込まれた次郎左衛門、システムの頂点に立って全盛を誇る傾城八ッ橋。時は一方向に進んで行き、さかのぼることはできない。その残酷が胸に沁みてきたのだった。
まずは、序幕「仲之町見染の場」。不夜城の人工的な明るさに目をくらませる次郎左衛門と治六(又五郎)の純朴が丁寧に描き出される。そして立花屋長兵衛(歌六)の篤実。吉右衛門、又五郎、歌六。この三人が舞台中央に居並んだだけで圧倒的な絵面が成立する。まさしく播磨屋の人々が近年、積み上げてきた芝居の厚みが伝わってくる。歌舞伎とは役者が背負ってきたイメージの集積であるとよくわかる。
さらに花道の七三にさしかかった八ッ橋が、ふっと笑い、舞台中央にいる次郎左衛門に目をやる。このとき菊之助は身体を沈ませ、伸び上がる力を使いながら、顔の表情ではなく、身体そのもので笑みを創り出している。そこには何の邪念もない。吉原に咲き誇る名花がただいるだけだ。心理はない。自らの力を頼む傾城がその魅力を弾けさせ、去って行く。そのまっすぐなありように次郎左衛門は惚れたのだとよくわかった。
この見染めと対照的に、二幕目第一場「立花屋見世先の場」には、思わせぶりな芝居を排して、八ッ橋の出からさらさらと運び、吉右衛門が地元佐野の野暮な朋輩たちに自慢をする、その喜びばかりが伝わってきて、暖かい気持にさせてくれる。全盛の花魁と馴染みになった満足感がこの場を明るくしている。
一転して、菊五郎の栄之丞が住む「大音寺前浪宅の場」。まずはおとら(徳松)とおなつ(菊三呂)のやりとりで、吉原では、老いがいかに辛く厳しいものかを語り、ここでは一瞬で消え去ってしまう若さこそが商品なのだと示している。菊五郎は出こそ大親分の貫目だが、芝居が進むうちに、八ッ橋を失うかも知れない不安に取り憑かれていく哀しい浪人が現れた。冷ややかな間夫ではなく、小心な浪人者の心情である。それも彌十郎の釣鐘権八が栄之丞の気持を煽っていく芝居と噛み合っているからだ。畳みかける調子に小悪党の残忍な心が見えてきて、彌十郎もまた充実期にあるとわかる。
遣手お辰は歌女之丞。廓の空気をかもしだすにはこのクラスの老女方が欠かせない。さて「八ッ橋部屋縁切りの場」だが、次郎左衛門の懸命な様子が絶望へと切り替わっていく過程を吉右衛門が精密な芝居で見せる。自らの心を表層だけではなく、奥の奥までのぞき込み、その内実を表出していく。まさしく至芸である。
菊之助の八ッ橋は、先の廻し部屋で、栄之丞と権八の二人に追い詰められる芝居を受けて、ここでは、この場にいるすべての人々の善意によってさらに追い込まれていく傾城の孤独を描き出す。前回、平成二十四年の十二月、菊五郎の次郎左衛門で勤めたときは、一対一の関係が際立っていた。今回は、次郎左衛門だけではなく、朋輩や新造、幇間らすべての人々によって針のむしろに置かれている様子が見えてきた。吉原というシステムに失望している。傾城の象徴ともいうべき煙管を立て、その細い管にすがって、ようやく自分を保っているようでありたい。
又五郎の治六の芝居が冴える。梅枝、新悟、米吉の傾城たちもそれぞれの個性がきっちりと見えてきた。立花屋女房おきつは、魁春。こうした役に厚みが出てきた。単なる好意の人ではなく、商売人としての意気地まで芝居が届いている。
大詰の「立花屋二階の場」は、それまでの世話場から一転して様式美を見せる。吉右衛門は次郎左衛門が狂気へと至る道筋を描き、説得力がある。八ッ橋が斬られて海老反りとなり、崩れ落ちる。このとき、吉原のあかりが一段階暗くなったほどの哀しみがこもる。そして、行燈を持ってきた女中に次郎左衛門が斬りつける。もはや八ッ橋への個人的な復讐ではない。自らをここまで追い込んだ吉原を次郎左衛門は斬ったのだ。そう思わせるほど吉右衛門の芝居はこせつかない大きさが備わっていたのである。
昼の部は『新書太閤記』の通し。夜の部は 梅玉、錦之助の『源太勘當』で幕をあけ、時蔵、松緑の『浜松風恋歌』で打ち出す。二十六日まで。