長谷部浩ホームページ

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2016年2月17日水曜日

【公演レポート1】能、女流義太夫、浪曲。この三ジャンルがひとつの舞台に乗るのはめったにあることではない。

東京都墨田区にあるすみだトリフォニーホールの依頼によって書いた公演レポートを、ホールの許しを得て、ここに再録します。



語り藝のエッセンス

「のう、じょぎ、ろう!」と聞いただけでは、なんのことだか首をかしげるだろう。
けれど、日本の「音楽つき語り芸」と副題を読んで、なるほどと膝を打った。
能、女流義太夫、浪曲。この三ジャンルがひとつの舞台に乗るのはめったにあることではないが、室町、江戸、明治それぞれの時代に生まれて、現在も命脈をたもっている藝のエッセンスを一日で楽しめるのではと期待した。
私にとってすみだトリフォニーホールはクラッシック音楽を中心とするイメージがある。小ホールに入るのははじめてだったが、集客がむずかしい時代、ユニークな企画がゆえに、ほぼ満席となっているのに驚いた。
まずは、浪曲から。舞台中央に色鮮やかなテーブル掛け(聞けばこれが正式名称だそうな)のうしろにすっくと立つのが玉川奈々福。金魚の柄がトレードマークである。新進気鋭の浪曲師で才気煥発。企画力、実行力にも富んだ実力派として聞こえている。上手に控えるのは沢村豊子師匠で、穏やかな風貌ながら、きっさき鋭く三味線を弾く。
今日の演題は『悲願千人斬りの女』。小沢信男の原作を奈々福が浪曲に直したという。明治初期に活躍した歌人の松の門三艸子の男性遍歴を描いている。「千人斬り」というと生々しい話かと思ったら、奈々福の語り口は、さばっとして痛快。会話部分に相当する「タンカ」も颯爽たるものだ。
松の門が男性とどうつきあったかよりも、松の門と彼女に岡惚れして武士を捨てて従った男性との愛憎に満ちた関係に焦点が合う。心地のよい酔い。さわやかな色気。ぎりぎりの状況で身体を張り、頭を駆使して人生に向かい合う人間のおもしろさが伝わってくる。浪曲が情を描くにすぐれた藝能だとよくわかった。奈々福は、表情が細やかで、しかも姿勢がきりっと正しい。心意気を売る藝である。
一気に語って話の佳境で「ちょうど時間となりました」といさぎよく断ち切る呼吸も見事。豊子師の糸に支えられ、奈々福が縦横無尽に新作を語る時間を楽しんだ。
続いて竹本越孝の浄瑠璃、鶴澤寛也の三味線による義太夫『碁太平記白石噺』の七段目にあたる「新吉原揚屋の段」である。歌舞伎でも時折取り上げられる「揚屋の段」だが、聞きどころは、全盛の傾城宮城野とその妹で奥州生まれの田舎娘しのぶの対比にある。歌舞伎ではそれぞれの役にあった役者が演ずればいいが、義太夫ではこのふたりをあざやかに演じ分けなければならない。ましてふたりの話を聞いていた男、惣六も語り分けなければならない。今回は詞章のプリントを配布し、義太夫節の言葉に慣れない観客にもわかりやすく配慮していた。義太夫は太夫の語りと三味線の息の詰め方によっていかようにも物語がうねりを創り出すのだとよくわかった。
明治時代の「娘義太夫」は全盛を極めて、ファンは「サワリ」といわれる聞き所になると「ドースル、ドースル」と声を掛けた話がよく知られている。現在の女義太夫は、人形をともなわない素浄瑠璃として着実に藝の伝承が行われている。今回は、たとえば『桂川連理柵』「帯屋の段」のように誰もが知る話を選ばなかった。全体を通すテーマに忠実に、隅田川(大川)のそばにあり不夜城といわれた廓の空気をよく伝えていた。
休憩をはさんで、能の登場である。能には、シテ方などそれぞれの職分があるが、ワキ方の安田登と笛方の槻宅聡による。取り上げたのは能の代表的な演目「隅田川」を断片的に取り上げる。謡いと笛だけで幻想的な世界が創り出されるのも驚きだが、表面上にある言葉と音楽だけではなく、能がまさしく身体の藝なのだとよくわかった。安田が舞台上に立ち、歩くだけで、その身体は物語を語り出すのだった。「能の詞章は、一文の後半を強くいう特徴がある」との解説もおもしろい。藝と解説が一体となった舞台である。
続いて夏目漱石の『夢十夜』を取り上げる。漱石自身が安田の属する下掛宝生流を習っていた縁を聞くと、明治時代の文人の教養が漢籍や西欧文明ばかりではなく、藝能にまで届いていたことに驚く。『夢十夜』は漱石の作品のなかでも、近代小説とはいいがたい。幻想性に富んだ物語だが、能が持つイメージを呼びさます力とよく呼応して、暗い山道の空気感があざやかに描き出された。下手ワキから三味線の音が聞こえたのも効果的だった。
その種明かしは、続く『我が輩は猫である』の猫が餅をくらう件りで明らかになる。浪曲の奈々福が三味線を持って、下手舞台に曲師として登場し、独特の即興でこの舞台に斬り込んでくる。荘重さと滑稽さが綯い交ぜになった舞台だった。猫の行動は人間には予想がつかない。その自在にして気ままなありようが、この能と浪曲三味線の「異種格闘技」によって描き出された。意味ある共演だと思う。
語りの藝が室町時代から現在まで渾然一体となったひとときで、出演者全員による座談会もおもしろく、ためになった。
十一月二十二日にすみだ北斎美術館が開館するという。江戸の記憶が現在まで堆積する隅田区の地で、またこんな清新な企画を観たいと願って、トリフォニーホールを後にした。