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2015年2月10日火曜日

【劇評7】若武者と公達 吉右衛門、菊之助の「陣門・組打」

【歌舞伎劇評】平成二十七年二月 歌舞伎座夜の部 

「熊谷陣屋ほどではないが、『一谷嫩軍記』の「陣門・組打」もたびたび上演され、哀切きわまりない物語が胸を打つ。
今回は、吉右衛門の熊谷。菊之助の小次郎、敦盛。芝雀の玉織姫とまたとない顔が揃った。まずは「陣門」。先陣の功名を立てようとする颯爽たる若武者を菊之助が勤める。花道からの出がよく、怖れを知らずに戦場に向かっていく若者のはやる気持ちがよく伝わってきた。引き止める平山武者は、吉之助。
小次郎が陣門の内へと向かうと、息子の身を案じて熊谷が出る。吉右衛門の熊谷はすでに定評があり、今更、賞賛を重ねるのも気が引けるくらいだが、今回の「陣門」では、小次郎とは対照的に、戦場の血しぶきをさんざん浴びてきた武者の貫禄にあふれる。熊谷が傷を負った小次郎を助け出す。さきほどの颯爽たる若者が、手傷を負って痛ましいが、その後、緋縅の甲冑が眩しいほどの敦盛となって出る。
いずれも菊之助だが、小次郎が若武者なら、敦盛は公達。そなわった品位が舞台を圧する。「熊谷陣屋」で明らかになるのだが、この敦盛は実は小次郎で、身代わりとなる企みを持っている。こののちの「組打」でも、敦盛として小次郎は熊谷に打たれるのだが、菊之助の「敦盛」は決して肚を割らない。あくまで敦盛の品位を保ったまま、父に討たれていく。いや、父にではない。敵の武将に討たれていく性根を崩さない。
「組打」では、菊之助がすっくと立ち上がる件りがいい。気品をもって怖れなどみじんもなく立ち上がる。身につけた鎧の裾を吉右衛門の熊谷が払う。このなにげない所作にふたりの心がありありと観客席に届く。
また、〽振り上げながら」では、熊谷が断腸の思いで「敦盛」を討つが、俗世への未練を断ち切った「敦盛」の魂が冴え渡る。そして、生首を掲げて熊谷が決まるときの力感。張り裂けんばかりの胸の内が舞台を圧した。芝雀の玉織姫が切ない思慕がしみわたらせる芝居で場を盛り上げた。前月『伊賀越道中双六』で吉右衛門と菊之助が本格的に一座した。吉右衛門の四女を娶ったことで、今月のような平成歌舞伎の精華を観ることができた。その幸福を感じる。
続く『神田祭』は、菊五郎の鳶頭を中心に、時蔵、芝雀、高麗蔵、梅枝、児太郎とあでやかな芸者衆が居並び、明るい踊りを見せる。時蔵、芝雀に仇な芸者の風情がある。
『水天宮利並深川』は、通称「筆幸」の一幕二場。河竹黙阿弥の散切物だが、明治に零落した武士階級の辛さを描く。黙阿弥の筆によるのだから、もとより社会問題の告発ではなく、風俗をありのままに写した芝居として演じるべきだろう。
今回筆屋幸兵衛を演じる幸四郎は、平成二十三年三月、新橋演舞場での上演とは性根を一変させた。貧苦と借金取りの責め苦にあい、狂っていく過程をリアルに見せるよりは、長屋に暮らす一家の心の通い合いを打ち出している。箒を長刀に見立てて『船弁慶』の振りをなぞる件りなど、深刻さよりは滑稽味を強調して、風俗劇に徹している。
金貸しの彦三郎、代言人の権十郎が金がすべての世の中を生き延びる男を好演。幸兵衛の娘、お雪の児太郎、お霜の金太郎が観客の泪を誘う。今月の児太郎は、着実に役を勤めて成果をあげた。由次郎の大家もほどがいい。清元社中の余所事浄瑠璃も効いている。萩原妻おむらの魁春に品格があった。二十六日まで。