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2018年12月16日日曜日

【劇評126】堤真一、段田安則、いずれが正しいのか。イプセン『民衆の敵』

現代演劇劇評 平成三十年十一月 Bunkamura

イプセンの劇作は、没後110年を超えても現在性を持つ。
その理由は、いくつか考えられる。ひとつは社会的な正義と現実的な妥協を、どちらの立場を正しいと断ずるのではなく、その双方にある欺瞞と偽善を暴き出しているところにある。さらに、この対立を『民衆の敵』では、性格の違う兄弟、『人形の家』では夫婦のような家族のなかでの対立としているところにある。公的な社会問題が、私的な家族関係に亀裂をもたらすときの不安と焦燥が見事に描かれているからだと思う。
今回、ジョナサン・マンヴィ演出によって演出された『民衆の敵』(廣田敦郎訳)は、兄の市長ペテルに段田安則、弟の医師トマスに堤真一を配して、対照的な人間の生き方を照らし出している。私たちはそこに、辺野古の埋め立てのような現在的な問題について解決のヒントがないかを探す。また、同じ血を受け継ぎながらも、その育ち方、職業の選択によって、まったく異なる価値観を持つようになった兄弟の不思議を思う。
マンヴィの演出は、現実に「民衆」を集団として動かし(黒田育代振付)、こうした民衆の無意識によって生まれる圧力が、いかに市長や医師のような公的な立場を持つ人間の決断を左右するかを突きつけられる。圧力に屈するというネガティブな側面だけではない。この圧力に反発して、逆に信念を貫き通す強さを与える結果をも描く。トマス医師とその家族、カトリーネ夫人(安蘭けい)、娘で教師のペトラ(大西礼芳)は、「民衆」からつまはじきになり、家に投石されようとも、この地に留まることを決意するのだ。
家族の側に立って、集会の場所を提供して力になる船長を木場勝己が好演。ポール・ウィルスの美術は、劇場全体にパイプをめぐらし、この劇が市の全体にめぐらされたパイプの問題であること。そして、中を見通せないパイプのなかには、恐ろしい腐敗があると告げていた。二十三日まで。また、二十七日から三十日まで大阪、森ノ宮ピロティホール。