歌舞伎劇評 令和元年十月 歌舞伎座夜の部
十月の歌舞伎座は、菊五郎劇団に玉三郎と歌六、右團次らが加わった座組。劇団の特色を生かして、昼の部の『お祭佐七』また、夜の部は『三人吉三』に注目が集まる。世話物を主なレパートリーとして、黙阿弥劇に強い劇団ならではの狂言である。
まずは『江戸昔お祭佐七』から。
近年では、平成二年と十年に團十郎が、二十年に菊五郎が手がけている。世話物のなかでも、上演頻度は高くなく、あえて出し物とするには、戯曲としての限界がある。ただし、今回の菊五郎を観て、世話物は、江戸へと連なる身体があって、はじめて成立するとの思いを深くした。
町場の一般論だが、三社祭をはじめ、今でもお祭りは、東京の人々を熱くするが、粋やいなせの概念自体が変質してしまっている。ところが、菊五郎を観ていると江戸っ子の軽さ、おっちょこちょいな部分が見事に描かれている。『御所五郎蔵』の五郎蔵よりも、くだけている。
冒頭の鎌倉河岸神酒所の場で、田舎侍の倉田陽平(團蔵)に連れられてきた時蔵の芸者小糸が、菊五郎の佐七とじゃれあいはじめる。倉田の目をぬすんで、煙草盆をめぐってやりとりをする件りが、なんとも気がよく描かれている。こうしたディテールのおもしろさは、段取りではなく、何を愉快と感じるか、その心持ちに大きくよっている。いたずら心にあふれた江戸の町人、しかも粋筋の人々の心情のありかたに、観客は引かれていく。
また、売れっ子の小糸に寄生する母親のおてつ(橘三郎)や箱廻しの久介(片岡亀蔵)の強欲振りも手堅く描かれている。こうした人気稼業につきものの手管と駆け引きを観るのがこうした世話物の楽しみとなる。
佐七の宿に逃げてきた小糸を実母のもとに帰そうとやってくる鳶頭観右衛門(左團次)。義理にからんだ威圧的な様子もまた、おもしろく読める役である。すだれの吉松は権十郎。巴の三吉は坂東亀蔵。伴内は橘太郎。こうした脇が揃って、江戸の空気を客席でもいっぱいに呼吸できある。
踊り屋台の劇中舞踊『道行旅路の花聟』もかわいらしい。寺嶋眞秀の勘平、亀三郎のお軽に、鷺坂伴内の橘太郎がからむ。
朝幕は、扇雀の傾城千歳太夫、巳之助の太鼓持藤中、そして梅枝の新造松ヶ枝。祝祭的な気分が横溢する『廓三番叟』となった。巳之助、梅枝が踊りの腕を着実に上げてきている。
松緑の『御贔屓勧進帳』は、ご存知『勧進帳』より成立年代が先立つ狂言。稚気と野性があって、『御贔屓勧進帳』の弁慶は、松緑の仁にふさわしい。松の木に縛られて泣くくだりも理屈抜きで見せていく。生首の芋洗いでは、豪快にして企まぬおかしみがあり、客席を湧かせる。
片岡愛之助が五変化を見せる『蜘蛛絃梓弦(くものいとあずさのゆみはり)』は、小姓、太鼓持、座頭、傾城、蜘蛛の精を踊り分ける趣向本意の踊り。
常磐津の蛸足の見台から滑稽に現れて、次第に凄みを増す座頭松市が出色。小姓寛丸は愛之助の持ち味を生かして、典雅な雰囲気をまとっていた。二十六日まで。