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2016年1月21日木曜日

【書評3】市川猿之助、千日回峰を満行した圓道大阿闇梨と語る。

 市川猿之助、光永圓道『猿之助比叡山に千日回峰行者を訪ねる』(春秋社 2016年)

市川猿之助と千日回峰を成し遂げた北嶺大行満阿闇梨、光永圓道の対談を納めた『猿之助比叡山に千日回峰行者を訪ねる』(春秋社)を読んだ。
この書名には理由がある。京都大廻りなど回峰の業に含まれた例外をのぞけば、阿闇梨は籠山行を続けていて、この年の三月に一二年籠山行遂行とあるからには、猿之助が比叡山を訪ねるのが必然なのであった。
一読しての感想は、仏教、特に天台宗の密教について猿之助がかなり深い知識を持っていることであった。しかもその知識は、天大密教にある千日回峰の荒行と歌舞伎役者の毎日を積み上げていく日常が重なり合うとの思いからだろう。
七年をかけて修される千日回峰行。最初の四年間は百日づつ行する。七里半に及ぶ山道をひとり歩く。
「堂入り」「赤山苦行」「京都大廻り」のような人間の限界を超えた修行がある。この行ができなくなったときには、自死しなければいけない約束がある。
だからこそ、成し遂げた行者は「生き仏」と敬われるのだった。
阿闇梨は行について率直である。「堂入り」は七日間不眠不休、横になることも許されない。
「そう、回峰七百日を終えて、堂入りのとき、十萬枚大護摩供とのときが思いだされるんですね。病気で本当にダメだったとき、もう死ぬのかなと思うことはしょっちゅうでしたけど、行中は、今度はもう死ぬ覚悟で入っているのは間違いのないことだった。命を絶つことは別に怖くないっていう思いですね。そのために行に入っているわけですから。行に入る前の最初の時点で、死ぬの怖くない、けど…みたいな気持がちょっとでもあると、入れないんです。行の途中でも、そんな意識が出てきたら、もう後悔するんですよ」
阿闇梨の珠玉の言葉を受けて、猿之助はこの本のなかで、知識を披瀝しているばかりではない。
第五話の冒頭で「千日回峰を知れば知るほど、なんかこう、私たちの世界に重なってきます。不遜なことかもしれないですけれど、ほとんど同じだと言ってもいいくらいです、その精神的過程においても、このお行という実践が他の文化的営みに共通しているという認識はおありでしょうか」
と、阿闇梨に問うている。二十五日間休演日なしの興行が連続する歌舞伎役者には、現代演劇の俳優にははかりしれぬほどの肉体的精神的な抑圧がかかっている。その道を走り抜けてきた自信がこの言葉となっている。
そして、これまでの常識、歌舞伎界の慣例を打ち破り、現在私たちが呑み込まれている無力感に対して、宗教や歌舞伎が何を語るべきかを問うている。
その意味でこの対談は、若き獅子ふたりの責任と覚悟に満ち満ちている。そして、行を進めることに義務感ではなく、愉悦がひそんでいることもあけすけに語っている。
一流のアスリートがある境地に達したときにともにする感覚について語って余すところがない。
考え、そして実行する歌舞伎役者として、四代目猿之助は、まさしく沢潟屋の棟梁なのだと今更ながら思う。若き闘将としてこれからも歌舞伎界を担っていくのだろう。