長谷部浩ホームページ

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2015年10月11日日曜日

【閑話休題24】東京オリンピックと交わる。野田秀樹監修の「東京キャラバン」

 昨夜、「東京キャラバン」公開ワークショックを駒沢オリンピック公園特設会場で観てきた。2020年の東京オリンピックへ向けての企画で、「アート旅団」「文化サーカス」と呼べばいいのかとあるように、移動型の文化イベントのショーケースをご披露した。
まだ、準備段階で、作品としてうんぬんするには気が早い。むしろこうしたイベントが日本の全国の都道府県を巡回したときのインパクトについて思った。
会場は名和晃平による空間構成に加え、音楽、照明が効果的に使われ、この場にいる楽しみ、ざっくばらんにいえば「わくわくする感じ」が開演前から高まっていた。
野田秀樹の監修・構成・演出。日比野克彦の監修補とクレジットされている。「旅立つ前夜 一九六四年の子ら」によって全体がサンドイッチされ、さらに祝祭のマレビト(客人)と題した民俗芸能の披露がある。単なるページェントと一線を画するのは、言葉を大切にしているところだろう。冒頭と祝祭の前には、松たか子と宮沢りえによる朗読があり、言葉とその連なりによる物語を、パフォーマンス集団の身体によって展開していく手法は、演出家野田秀樹がもっとも得意とするものだ。闇の中に浸透していく言葉、そして変容していく空間のダイナミズムは、このショーケースからも容易に読み取ることが出来た。
全体を貫くテーマは「交わる」である。異質なもの、たとえばクラッシックの弦楽と津軽三味線の競演であったり、宮沢りえが演じる人魚とドラァグ・クイーンの交錯であったりするが、この夜もっとも感動的だったのは、前の場で踊り狂ったドラァグ・クイーンたちと次の場をになう松たか子が舞台上ですれ違うときに、さりげない挨拶がお互いの間に交わされた瞬間であった。異質なものが反発し、憎み合い、殺し合う時代を乗り越え、他者を認め、そしてぶつかりあい、理解し合う人間社会への憧憬が、この瞬間に込められていたように思う。私たちの不幸な時代をなげくのではなく、このキャラバンを東京から出発した無償の贈与としたい野田の意思が読み取れたのである。
このキャラバンの終結点として東京オリンピックがある。そこは日本人ならではの柔らかな思想が込められた祝祭の場でありたい。公開ワークショップが終わっても、バックヤードに、そして舞台上に登って人々は、思い思いの時間を過ごしていた。その時間をこれから四年あまりをかけて、育てていければいいと思いつつジョギングやウォーキングの人が絶えない駒沢公園を後にした。