昨日夕方、国立劇場小劇場で行われた研の會に行った。
尾上右近の勉強会で、『義経千本桜』の「吉野山」の忠信実は源九郎狐と『春興鏡獅子』の小姓弥生のちに獅子の精を踊った。
「吉野山」の静は、市川猿之助。ぎっしり満員の客席で、なによりだった。
右近は言わずと知れた名子役の岡村研祐だが、近年は菊五郎のもとで、女方を中心に修業している。
その成果もあって、今回の踊り二題では、きっちりとまっすぐに踊ってすがすがしい。
そればかりではなく、ほのかな色気がそなわってきている。
生来、器用だと思うがそれを表に出さずに、しっかり自分を見つめているのがわかる。
欲をいえば、踊りとしての完成度とともに、役になりきる姿勢があっていい。
「吉野山」の舞台面は、華やかだが、静に付き従う狐の悲しみが底流にある。
「鏡獅子」は、獅子の精に身体を突き動かされた弥生のよるべなさが観たい。
巧い踊りから、見せる踊りへ迫っていくところが、今回の課題となった。
勘三郎と三津五郎の年表がほぼ完成しつつある。
ふたりは確かに納涼歌舞伎が立ち上がるまでは、本格的な役に恵まれなかった。
そのなかで「勘九郎の会」「登舞の会」を開き、よく勉強している。
猿之助の今日の成功は、なんと十回を数えた「亀治郎の会」あってのことだと思う。
右近さんは才能にめぐまれているだけに、あせらず本格の役者に成長してほしいと願った。