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2019年6月13日木曜日

【劇評140】古典を令和に生かす。吉右衛門と仁左衛門の技藝

歌舞伎劇評  歌舞伎座昼の部 令和元年六月

歌舞伎座の六月は、伝統的な演目を揃えた昼の部と、三谷幸喜の新作で通した夜の部が並ぶ。平成のように、円熟期にある大立者が昼と夜に一本ずつ出し物をする、芯を取るような狂言立てが、むずかしくなっているのを痛感する。
昼の部は、幸四郎、松也による『寿式三番叟』。松也も踊りで芯を取るような存在となった。千歳は松江。翁の東蔵は、さすがに貫禄を見せる。さまざまな世代がひとつの舞台に乗って、新しい世の豊饒を願う。
続いて荒事。魁春の千代、雀右衛門の春に、まだ若い児太郎の八重。魁春に六代目歌右衛門を、雀右衛門に先代の面影を重ねる。このふたりの鍛えた地藝を児太郎に伝える場ともなっている。
吉右衛門の出し物は、『梶原平三』。大庭に又五郎、六郎太夫に歌六を配して、安定した舞台となった。ここでも俣野に歌昇を、梢に米吉を抜擢して、新鮮味が加わる。奴萬平は錦之助。吉右衛門の平三は、大庭、俣野の言葉を受け止めつつ、耐え、そして柳に風とかわしていく大きさがある。私の見た日だけだろうか。疲れが見えた。これほどの名優だけ体をいたわってほしいと切実に思う。大庭に深い肚を感じ、六郎太夫にひたすら娘を思う心情があふれた。
『封印切』は、仁左衛門の忠兵衛、孝太郎の梅川。八右衛門は愛之助が勤める。
仁左衛門は「おえんさん」と戸口から呼びかけるところから、色事師の風情がある。謹厳実直な商人ではなく、花街でも、もててもてて仕方ない愛嬌の持ち主をよく描き出している。
本来の向き不向きはあろうが、男の意気地を賭けた対決を、仁左衛門、愛之助が調子よくたたみかける。善と悪ではなく、現実主義者と見栄っ張りがぎりぎりで行う言葉の達引。
彌十郎の治右衛門は、ものわかりやのみこみが早いだけではなく、ふたりの行く末を心底案じている。対になる秀太郎のおえんとともに、廓の住人にも、一分の魂があると思わせる。幕切れ、梅川、忠兵衛が花道を行くとき、ふたりの手が闇に浮かび上がる。その深い思いが伝わってきた。二十五日まで。