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2018年11月15日木曜日

【劇評121】菊五郎、時蔵、吉右衛門。大顔合わせで魅せる『十六夜清心』

歌舞伎劇評 平成三〇年十一月 歌舞伎座 

歌舞伎座の吉例顔見世。今年は、京都南座が新開場したために、東京は菊五郎、吉右衛門のふたりを芯に据えた座組。時蔵、東蔵、松緑、又五郎、歌六、雀右衛門、團蔵、猿之助が加わる。
昼の部は何と言っても、菊五郎の清心、時蔵の十六夜に、吉右衛門が俳諧師白蓮で加わる大顔合わせの『十六夜清心』が話題となる。菊五郎は黙阿弥の台詞が手に入っており、さらさらと張らずに歌っていく。「女犯の罪を」以下の重大といえば重大な件も、重くならない。罪の科よりは、運命に翻弄されたいい男を見せていく。時蔵の十六夜は、役を大きく見せようとするあせりなどみじんもなく、相手の菊五郎に合わせていくやり方で、ただただ哀しい。追い詰められたふたりの心中が決して成就しないところに悲喜劇があり、ふたりがともに舞台を踏んできた歴史があって、説得力を持つ。なんとも大人の十六夜清心である。
この世話物に洗練を重ねたふたりに、吉右衛門が加わる。思いがけなく十六夜を大川から引き当て「悪くねえなあ」とひとりごちるときに肚の底に悪がひらめく。どしっとした江戸の大悪党が俳諧師と見せている黙阿弥の仕掛があらわになる。清心に金を奪われる求女は梅枝。若女方として抜きんでた素質を持つが、難しい若衆を演じて匂い立つ美しさだ。台詞回しも安定している。
この狂言の話題は、役者ばかりではない。尾上右近が清元の太夫、栄寿太夫として初目見得。舞台度胸があるのは子役からで、声質が安定していて、安心して聞いてられている。「二刀流」が大リーグの大谷で話題だが、右近もまた、初々しい太夫ぶりで魅せる。
いまさらながら、幕切れ、絵面の大きさは比類ない。
朝幕は、時蔵が芯
となり、又五郎、東蔵が芝居を支える『お江戸みやげ』(大場正昭演出)。川口松太郎の代表作だが、くどくなく江戸前で、すっきりとした佳品である。
また、所作事は『素襖落』が出た。松緑の太郎冠者、坂東亀蔵の鈍太郎、巳之助の次郎冠者、種之助の三郎吾、笑也の姫御寮、團蔵の大名。松緑の踊りにおかしみがある。新しい世代の台頭を感じた。二十六日まで。