矢野誠一『舞台の記憶』(岩波書店 2016年)
批評のなかでも、文學として自立している文章を指して批評文藝と呼んでいる。演劇批評のジャンルでは、その第一人者はまず、矢野誠一を置いて他にいない。その文章の藝は、他者を語って冷ややかではない。突き放して書いて、そっけなくはない。演芸や演劇についての底知れぬ愛がすみずみまで行き届いており、読んで飽きることがない。
今回、岩波書店から出た『舞台の記憶』は、都民劇場の会員むけ通信に連載された回顧録を集めている。一本につき見開き二頁の簡潔さで、一九四七(昭和二二)年四月の有楽座『彌次喜多道中膝栗毛』から一九九七(平成九)年の新国立劇場『紙屋町さくらホテル』まで、矢野の思い出がぎっしりつまった文章が並んでいる。三分の一は、筆者の長谷部が生まれる前の舞台である。さらにいえば、私自身が観た舞台に限れば、やはり三分の一に過ぎない。言いかえれば、三分の二は私自身が触れ得なかった過去の舞台になる。
それにもかかわらず、ひとつひとつの舞台と文章にひかれるのはなぜか。矢野が自分自身の人生を重ねあわせつつ、その時代の相をまざまざと浮かび上がらせているからだ。戦後から高度成長を経てバブルに至り、その崩壊を経験する日本社会にとって演劇がどのような意味を持っていたかが知れる。それは矢野にとって、青春時代から壮年期であるとともに、日本のそれでもある。演劇が若々しく熱情に満ちていた時代がここで語られている。
一冊の掉尾に置かれたのは、一九六八年十月、イイノホールで上演された古今亭志ん生の『王子の狐』である。志ん生最後になった高座を矢野は淡々と描き、涙を見せない。そして「結城昌治の調査によると、この『王子の狐』が古今亭志ん生最後の高座で、その後志ん生は詩を書かない詩人よろしく、落語をしゃべらない落語家として五年生きた」と結ぶ。
落語をしゃべらなくても、志ん生が落語家であり続けたのはいうまでもない。