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2016年1月10日日曜日

【劇評32】復活狂言の成功例

  歌舞伎劇評 平成二十八年一月 国立劇場

平成二八年の正月は、東京だけで四座が空いた。歌舞伎座、国立劇場、新橋演舞場、浅草公会堂をめぐるなかで、それぞれの特質はあるものの、国立劇場の復活狂言が、もっともこの暗澹たる世相から一時私たちを救い出してくれる力に満ちあふれていた。
一四年前に復活された河竹黙阿弥の『小春穏沖津白浪(こはるなぎおきつしらなみ)』(木村錦花改修、尾上菊五郎監修、国立劇場文芸研究会補綴)は、小春日和の上野清水観音堂の場から始まる。もっとも冒頭に菊之助の狐による無言劇があって、この芝居全体の空気感を伝えている。
主筋はお家の重宝「胡蝶の香合」をめぐる物語に絞り、その発端を示す場だが、それぞれが役にはまって歌舞伎の序幕にふさわしい。彦三郎の重臣荒木左門之助、亀蔵の敵役三上一学、亀三郎の忠義一途な奴弓平はじめ場を引き締める。若いふたり、梅枝の月本数馬之助がなかなかの若衆振りをみせ、(尾上)右近の三浦屋傾城花月が、傾城姿ではなく赤姫の着付で現れる。この二役はそう容易ではないにもかかわらず、好一対を見せる。梅枝、右近の藝境が進むと菊五郎劇団の厚みはますますよろしくなる。
次の二幕目、第一場から第三場までを「雪月花」に見立てた趣向の芝居。時蔵の巡礼者と雪の降り積む一つ家に一人住まう謎の女、賤の娘胡蝶が、ドクロを挟んで対峙する場だが、実はとのちにあきらかになる役と性別を逆にしており、関係が見えにくい。菊之助が出勤しているのに立役ばかりではもったいない。女形も見せておきたいための逆転だと思えば納得もいく。趣向の場でありながら、ケレンに流れず、菊之助が賤の娘の心情を丁寧に作っている。
さらに月の場となってからは、菊五郎の日本駄右衛門がさすがに大きく、だんまりに見応えがあった。七三のスッポンから菊之助が立役の礼三となって再登場し、七人で絵面に決まって幕となる。
第三幕は三浦屋を舞台の世話物となる。序幕で端敵の中間早助を勤めた橘太郎が、ここからは遣り手のお爪に替わって地力を見せる。菊之助の礼三は繭玉を肩に、渋い着付で登場し、単なる甘い二枚目ではなく、獣の匂いを漂わせ、ただならぬ人物を造形する。苦み走った色気である。昨年一年、『義経千本桜』の知盛を含め立役を勉強してきたために、立役として線が太くなった。菊五郎の芸域を注いでいく準備が整いつつある。
萬次郎は実のある傾城、三浦屋深雪と役に恵まれ力のあるところを見せる。時蔵のまじないは悪婆として観ても仇な色気がある。
この芝居のきかせどころは、菊五郎の駄右衛門、時蔵の船玉お才、菊之助の礼三が見せる名乗りで、黙阿弥ならではの台詞の音楽性としたたかな言葉の重層性が味わえる。
続く大詰。赤坂山王鳥居前は、伏見稲荷の鳥居を模して大胆な構成舞台とした新基軸。キレのある菊之助の立廻りと菊五郎劇団のアンサンブルで爽快感をもたらす。
全体に菊五郎劇団の世代交代が順調に進んで、穴のない実質的な芝居が楽しめた。二十七日まで。