長谷部浩ホームページ

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2019年7月14日日曜日

【劇評143】海老蔵は、気宇壮大である

歌舞伎劇評 令和元年七月 歌舞伎座昼の部、夜の部

今年も七月の歌舞伎座は、海老蔵の奮闘講演。毎年のように新機軸を打ち出し、しかも満員御礼となる。歌舞伎が興行である以上、まことに慶賀の至りである。
夜の部から書く。
海老蔵が『義経千本桜』を題材に、主要な役のほとんどすべてを早替りで見せる『通し狂言 星合十三團(ほしあわせじゅうだんだん) 成田千本桜』(織田絋二、石川耕士、川崎哲男、藤間勘十郎 補綴・演出)である。発端から、大詰まで、海老蔵はほぼ出ずっぱり。なにしろ、単独でも大役といわれる知盛、権太、忠信を一晩で出してしまうのだから気宇壮大きわまりない。歌舞伎のトライアスロンというべき壮挙である。
「伏見稲荷」「渡海屋」「大物浦」。「椎の木」「小金吾討死」「鮨屋」。「法眼館」「奥庭」。と場を並べただけでも気が遠くなる。かつて、猿翁(先代猿之助)が復活した『伊達の十役』のときも仰天したが、ここまで大役を網羅するのは、本人はもちろんだが、受けの芝居をする市蔵、そして早替りを支える名題下も、裏ではさぞ忙しく、大変だろうと想像する。観る方にも体力が必要で、老いた私は、「大物浦」が終わったあたりでお腹がいっぱいになった。
ここまでくると、権太が本役だとか、知盛に腹が薄いとか、忠信の狐詞が幼いとか弱点をあげつらっても意味はない。ドラマの実質よりは、だれもやったことがない歌舞伎をやる。強い意志に胸を打たれた。
また、二十五日公演、休演日を取らない歌舞伎座の常識も、海老蔵からすれば常識ではない。昼の部を一日、夜の部を三日休む。勘三郎、三津五郎を喪った今となっては、こうした休演日を必要性を訴える海老蔵の主張は、しごくまっとうに思える。また、ここまでの奮闘公演では、周囲も休演日やむなしと思うのも当然だろうと考える。
昼の部も、海老蔵は二本の出し物を出す。右團次の『高時』は、舞台に大きさがあり、やはり芯を勤める役者なのだと改めて思う。獅童の『西郷と豚姫』が幕を閉じたら、海老蔵の独壇場となる。
『素襖落』は、次郎冠者に友右衛門、姫御寮に児太郎、太刀持に市蔵、三郎吾に権十郎、大名某に獅童を配する。狂言から来た出し物だが、海老蔵に腹からの笑いが乏しく、神妙な一幕となってしまっている。
続いては、海老蔵と堀越勸玄の『外郎売り』。團十郎、海老蔵襲名を控えているからか、堂々たる成田屋の芝居である。堀越勸玄は、将来の大器を今から予感させる舞台度胸で、むずかしい言立てでは、余裕さえ感じさせる。観客席は万雷の拍手。こうして御曹司として生まれた役者は、演じることのおもしろさを身につけて行くのだろう。二十八日まで。

付記 この劇評を書き終えてアップしたのは14日。翌日の15日には海老蔵の休演が発表された。病名は急性咽頭炎である。役者にとって声は生命線である。大事を取り、しっかり休養してほしいと思う。

2019年6月15日土曜日

【劇評142】博多座へ菊之助の『土蜘』を観に行く

歌舞伎劇評 平成元年六月 博多座

菊之助は歌舞伎舞踊の名手としての地位を確立しつつある。特に今年の前半は『関の扉』(国立劇場小劇場)、『京鹿子娘道成寺』(歌舞伎座)と舞踊の大曲に敢然と挑んでいる。
六月の博多座では、五代目菊五郎が初演し、六代目によって熟した家の藝『土蜘』を勤めると聞いて取るものもとりあえず出かけた。
初日には芝居の途中で、平井保昌役の左團次が舞台に出られなくなって、いったん幕を下ろして続きをはじめるアクシデントがあったという。私の見た八日は、左團次に替わった彦三郎、彦三郎が勤めていた番卒次郎の橘太郎も安定した出来で、舞台は落ち着いていた。
病の床についている源頼光(梅枝)に薬を届けに来た侍女胡蝶(尾上右近)の舞は、華やかに終わるが、どこか不吉な低音が響いているかのようだ。学僧を名乗る智壽(菊之助)は、第一声から不気味な気配を放つ。これまでの修業を聞いて、頼光に祈祷を頼まれた智壽の全身から妖気がほどばしる。
菊之助は自らの来歴を語るが、長唄を挟んで「春の花、秋の月 人はたたえて、めずれども」と華やかであるはずの景色を語るが、怪異にこだわって、叙景の力に欠ける弱みがある。
欠点と云えばそれくらいで、後シテの土蜘の精となってからは古墳から現れた妖怪変化に変じて破綻がない。蜘蛛の糸もスペクタクルに終わせまいとの姿勢が感じられ、地霊として地下にすまう蜘蛛の不気味が、所作の端々に込められている。
眼目の畜生口もカッと決まって揺るぎがない。大曲を踊り込んできた体力、気力の充実がある。加えて、立役を勉強してきた甲斐もあり、声量や力みに頼るのではなく、内に秘めたエネルギーが舞台を圧していた。
石神をめぐる間狂言は、権十郎と橘太郎、坂東亀蔵と萬次郎がうまくからんで楽しい。代役ながら腕のある橘太郎が舞台を引き締める。
菊之助の進境を考えると、この秋には歌舞伎座で、ぜひ『春興鏡獅子』を久しぶりに観たくなった。二十六日まで。