長谷部浩ホームページ

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2020年12月14日月曜日

【劇評172】新型コロナウィルス下の「対面」上演のむずかしさ。

 九月の歌舞伎座は、四部制の第一部に『対面』がかかった。言わずと知れた曾我狂言の代表的な作品であり、きわめて様式性が強く、歌舞伎座の間口の広い舞台をさまざまな人物が埋め尽くしていく。  芯となるのは、「工藤館」とあるように、座頭役の工藤祐経で、今回は梅玉が勤める。立女形が勤める大磯の虎は、魁春。六代目歌右衛門の手元で育ったふたりが、工藤と大磯の虎かと思うと、ゆかしい心地がする。  この工藤に立ち向かうのは、松緑の五郎時致と錦之助の十郎祐成。  荒事と和事の代表的な役だが、役者の仁と柄が共にとわれる。怒りと柔らかさのせめぎ合いを愉しむ劇である。  今回、『寿曽我対面』の骨格を体現していたのは、又五郎の小林朝比奈と、歌六の鬼王新左衛門。  又五郎は、この芝居の祝祭性をよく理解して、理に落とさず、なお、言葉は名跡である。歌六の鬼王は、出のとき、線が細いかと思ったが、友切丸を持参する役だから、やりすぎないでさらりとやって本寸法になっている。  坂東亀蔵の小藤太成家、莟玉の八幡太郎がすっきりと芝居を運ぶ。米吉の化粧坂の少々は可憐で花を添える。  かつて、亡くなった勘三郎は、平成中村座には、劇場として似合う演目とそうでない演目があるといった。  現在、歌舞伎座は、客席を半減し、厳格なアナウンスとチェックが行われ、しかも開演中も晴海通りへ向かって開け放たれている。  もちろん役者が悪いわけではない。「対面」は、歌舞伎座にふさわしい演目だと思うが、今の劇場の雰囲気でこの狂言を高い水準に持って行くのは、残念ながらきわめて難しい。