歌舞伎座、昼の部は、『菅原伝授手習鑑』の半通し。
「加茂堤」「筆法伝授」「道明寺」と、丸本歌舞伎の真髄というべき演目。三月の『新薄雪物語』とともに、どんなことがあろうとも、間を空けすぎずに舞台にあげなければいけない演目となる。
とくにこの半通しは、松嶋屋、片岡仁左衛門家にとっては、もっとも重要な狂言。
特に「筆法伝授」「道明寺」は、十三世による神品というべき舞台が伝説として残っている。
今回の上演では、仁左衛門、秀太郎、孝太郎、千之助が渾身の舞台を勤めている。藝の継承がこうして世代から世代へ伝えられていく過程を観るのは、歌舞伎の醍醐味なのだなあとしみじみ思った。
まずは「加茂堤」。のどかな土手。
斎世親王(米吉)と刈屋姫(千之助)の逢瀬が一転して大きな悲劇へと結びついてく。それは桜丸(勘九郎)と女房八重(孝太郎)の流転とも繋がっている。
米吉、千之助の旬の美しさ。勘九郎、孝太郎のおっとりした気分が、一転する。人生はこんなふうに人間を弄ぶのだと実感する。
続いて「筆法伝授」。この場は、秀太郎の園生の前が迫り来る運命にひっしで向かい合う姿を見せる。
仁左衛門の菅丞相は、あくまで沈痛。武部源蔵(梅玉)と戸浪(時蔵)が、前場の斎世親王と刈屋姫と二重写しになり、失われた関係は、二度と取り戻せないと世の残酷を告げている。
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『仮名手本忠臣蔵』の判官切腹の場と並んで、ひたすら沈痛な一幕。孝太郎の立田の前が、夫の宿禰太郎(彌十郎)とその父土師兵衛(歌六)の悪巧みに抗して、はかなく死んでいく。忠義に生る女性である。孝太郎にとって、現在できるかぎりの藝を見せている。
困難な伯母覚寿は玉三郎。さすがに品格高く、菅丞相に対する尊敬と遠慮が見えてくる。
ただし老けている気配はなく、あくまで美しい覚寿であった。
輝国はこの幕のなかで、一点の曇りもあってはならず、困難な役。今回は芝翫が勤めている。
さて、仁左衛門の菅丞相。舞台姿を観ていると、この幕が木像を使った伝説をめぐる物語だとよくわかる。
単なる型を見せるのではない。
右大臣が讒訴によって都から流され、時代を経て学問の神となった。その縁起が語り起こされているとよくわかった。
役者もまた、追善によって伝説となり、歴史のなかで像を結ぶ。
二十五日まで。