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2018年1月22日月曜日

【劇評101】デヴィッド・ルヴォー演出のスタイリッシュな論争劇。三島由紀夫の『黒蜥蜴』

 現代演劇劇評 平成三十年一月 日生劇場

三島由紀夫の『黒蜥蜴』は、スタイリッシュな論争劇である。
代表作とされる『サド侯爵夫人』や『我が友ヒットラー』や『近代能楽集』のいくつかの作品と比較すると、甘い誘惑に充ちている。ところが筋立てを楽しむエンターテインメントとあなどると、手ひどいしっぺがえしをくらう。デヴィッド・ルヴォーの演出は、緑川夫人=黒蜥蜴と明智小五郎の言葉での論争を丁寧にたどっている。言葉で相手をやりこめ、叩きのめし、押しつぶす。その営みは、恋愛のプロセスとよく似ている。そんな解釈を根底に置いて、微動だにせず、全編を精緻な論争劇とした。
もとより三島戯曲の根幹には、言葉と論理がある。けれどもエンターテインメントとしては、登場人物たちの輝かしい肉体とその存在を彩る衣裳が不可欠だろう。もちろん美を際立たせる照明も重要である。緑川夫人=黒蜥蜴を演じた中谷美紀は、成熟期にある女優のカリスマに充ちている。そればかりではない。特権的な美をそなえた人間の誇りと弱さをよく表現している。初舞台『猟銃』で舞台女優としての才能を示したが、この『黒蜥蜴』でも、三島の幻影を体現するだけの力量を示した。
明智小五郎を演じた井上芳雄は、ロジックの隘路のなかで緩慢な自殺を繰り返すインテリの孤独を体現している。
相楽樹の早苗は可憐だが、ブルジョアに生まれた令嬢の無神経さを見せる。たかお鷹は、成金のいやらしさを誇張してみせる。酔ってランニング姿になるあたりは絶好調だ。そして自意識の堂堂巡りに陥った青年、雨宮潤一の絶望を成河がよく演じている。朝海ひかるの家政婦ひなは、黒蜴蜓に対する屈折までも感じさせる。総じて、俳優陣の役の掘り下げが徹底していて、デヴィッド・ルヴォーの戯曲解読と相まって高い水準の舞台となった。偽物にこそ、真の熱情がこもる。嫉妬によってしか恋の内実は確かめられない。まさしく三島独自の世界観がここにはある。
乱反射する天窓、海の表情を写す映像、マストを使った航海の描写、スタッフワークも充実している。美術は伊藤雅子、照明は西川園代、衣裳は前田文子、音楽は江草啓太、音響は長野朋美、映像は栗山聡之、振付は柳本雅寛。スタッフの能力を引き出し、総合するのが演出の仕事だと今更ながら思い知らされた。二十八日まで。二月一日から五日まで大阪公演。