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2018年9月25日火曜日

【劇評120】現在を生きる。中川晃教のジャージー・ボーイズ再演

ミュージカル劇評 平成三十年九月 シアタークリエ

ヴォーカルとは、不思議な存在だと、『ジャージー・ボーイズ』(マーシャル・ブリックマン、リック・エリス脚本 ボブ・コーディオ音楽)の再演を観て思った。
今回も、中川晃教のフランキー・ヴァリはシングルキャスト。新しいメンバーが入ったチーム・ブルーを観る機会を得た。伊礼彼方のトミー、矢崎広のボブ、spiのニックという配役である。中川、矢崎は、前回も同じ役で出演。伊礼とspiが新しく加わった。
藤田俊太郎の演出は、前回と大きく代わったわけではない。ジャージーの不良たちが、メディアに乗り、ツアーを重ねることによって立場が変わり、金銭が動き、家族関係が崩壊する。けれど、ジャージー生まれの信義だけは変わらない。仲間はあくまで守る。この旧弊にして、まっとうで、今では失われつつある価値観を前提に、少年から老年へと至るエンターテイナーの成長譚を緻密に描いていく。
藤田演出は、現実の舞台をヴィデオカメラが捉えた映像を多数のモニターに映し出す。その乱反射する様子は、まるで万華鏡のような藝能の世界を象徴しているかのようだ。スタッフワークも見直されているが、なかでも照明の精緻さが目立つ。また演技面では、主役以外の俳優の芝居をすきなく演出している。
中川の透明感のある声、キレがあり、しかも揺るぎない所作は、カリスマの輝きを放っている。矢崎はジャージー・ボーイズと一線を画す「外部」を代表し常に客観的な視点を守って的確であった。伊礼は野性とともに、兄貴風を吹かせることでしか自己確認できないトニーを造型した。そして、spiのニックは「ビートルズでリンゴ・スターであること」の悲哀を醸し出していた。
前回よりも、それぞれの個性のぶつかり合い、あえていえば、ヴォーカルであることの自負心と負けん気が強調されている。のちに、フォーシーズンズは、「フランキー・ヴァリとフォーシーズンズ」となる。リード・ヴォーカルとメンバーという立場の違いが鮮明になる。けれども、四人組で新たな楽曲を作り、お互いを競い合っていた時代こそが輝かしかったのだと強いメッセージが伝わってきた。
こうした関係は、この『ジャージー・ボーイズ』のプロダクションの成り立ちと成長と重なり合う。だからこそ、このミュージカルは、懐かしのメロディを愉しむ夕べではなく、まさしく現在を生きるエンターテイナーたちの物語となっているのだった。十月三日まで。