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2018年5月11日金曜日

【劇評106】海老蔵の新しい革袋

歌舞伎劇評 平成三十年五月 歌舞伎座昼の部

新しい酒は新しい革袋に盛れ。
『新約聖書』マタイ伝第九章にある一節だが、近年の海老蔵による歌舞伎十八番を踏まえた創作を見るとそんな言葉が浮かんでくる。
古典を単に新しい演出で模様替えをするのではない。古典を「新しい酒」として見つめ直す。それに見合った演出、演技、ついには型を作り上げようとする。そう簡単に結果がでるはずもないが、何度も上演を繰り返すうちに、説得力を持った舞台が出来つつあるのを感じている。
さて、五月團菊祭に選んだのは、『通し狂言 雷神不動北山櫻』である。パネルを使った口上によって、これから海老蔵が演じ分ける役柄をまず説明してしまう。沢潟屋ゆずりのやり方で、役を兼ねる歌舞伎の演出になれない観客にも通じる舞台を作ろうとしている。
序幕は、早雲王子(海老蔵)が帝位を狙う大きな枠組みの提示となる。
続いて『毛抜』の粂寺弾正(海老蔵)、三番目は『鳴神』の鳴神上人(海老蔵)、さらに大詰は早雲王子の立廻りを見せる。最後に『不動』となって不動明王(海老蔵)が地から離れ浮遊する趣向となっている。
もとより、『毛抜』『鳴神』は、すでに古典としての型が確立している。海老蔵も何度も手がけているから、破綻はない。粂寺弾正の持ついたずらな滑稽味、鳴神上人が雲の絶間姫(菊之助)の色香に惑わされていく人間くささ、いずれも野性が舞台全体を覆っていた時期と比べると、歌舞伎役者としての成熟が確かに感じられる。
『毛抜』では、雀右衛門の腰元巻絹がすぐれている。役者としての落ち着きがあって、はじめて粂寺弾正との戯れにおかしみが生まれる。
『鳴神』は菊之助の雲の絶間姫が亡き團十郎の相手役を勤めた名古屋御園座の舞台からずいぶん成長した。もっとも、規矩正しい鳴神上人と対峙した経験が、今になって生きたのだろう。勅命を帯びて誘惑を仕組む雲の絶間姫の深い思い。あえていえば権力を笠に着るのではなく、鳴神上人を墜落させる役割を負ったことへの悲しみが出た。
打ち出しは、時蔵の『女伊達』。先月に続いて「時蔵祭り」と呼びたくなるほどの大役続きだが、ここでも種之助、橋之助を相手に達者な女伊達を見せる。女の魅力がほとばしりつつも、強くたくましい。助六を真似るくだりも稚気がほのみえた。二十六日まで。