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2016年3月9日水曜日

【劇評41】五代目雀右衛門襲名。堪え忍ぶ女

歌舞伎劇評 平成二八年三月 歌舞伎座


四代目雀右衛門が惜しまれつつ亡くなったのは、平成二十四年。体調が思うままにならないにもかかわらず、海老蔵の襲名につきあって、襲名口上の席に連なっていたのを思い出す。日本俳優協会の会長だというばかりではなく、この世界に責務があることをよく承知した人だった。
この五月、実力派で知られた芝雀が父の名跡を継ぐことになった。
だれもが待ち望んでいた襲名である。それほど敵のいない女方として、芝雀はすべてを尽くした。
堪え忍ぶ女を造形し、可憐な魅力を解き放つところは、四代目とそっくりだから、この襲名は、まさしく家の藝の継承だといっていいだろうと思う。
昼の部は、時姫。夜の部は、雪姫。三姫のうち二役を歌舞伎座での襲名で一気に見せるところに新・雀右衛門の並々ならぬ意欲を感じた。そして、手堅い結果をだした。
まずは『鎌倉三代記』「絹川村閑居の場」。立役の高綱は吉右衛門。二枚目の三浦之助は菊之助。菊五郎体調不良のための代役である。
雀右衛門の時姫は、重ねて言うが「出」から可憐。緋縅の鎧、手負いのために戸口で倒れた三浦之助を助け起こしてから、恋する気持をあふれさせたクドキまで、刻々と変化する堪え忍ぶ女の心の照り曇りがあざやかに描出される。
三浦之助が「それも益なし、もうさらば」と立ち上がったとき、雀右衛門の受けの芝居は哀切きわまりない。父時政と愛する三浦之助のはざまで煩悶するが、三浦之助への思慕が一貫して、ときに神々しく見えるのが、今回の時姫の手柄だろう。
吉右衛門の高綱ははじめチャリで出るが、井戸からふたたび現れたときの怪しさ。大きさは比類がない。この芝居が血で血を洗う戦場を背景としており、登場する人間達はいずれも死の匂いをまとい、現実界から異界へと移りつつあるのだと語っている。その高綱を黄泉国から呼び出す三浦之助もまた同様に、死へと限りなく接近している。時姫はこのふたりの存在を死の国から引き戻そうと懸命になっているように思えた。
単に戦国の世、父と恋人の身勝手に引き裂かれた女の悲劇ではない。生と死が隣り合わせにあるとき、女性という性が果たす役割を指し示したところで『鎌倉三代記』は、時代を超えた普遍性を持った。
昼の部は、松緑の五郎、勘九郎の十郎、橋之助の工藤の『対面』。こうした祝祭性のある劇が、あるべき秩序を失いつつあるのを憂う。
時蔵、菊之助、錦之助の『女戻駕』は、歌舞伎座にかかるのがめずらしく、楽しんでみた。梅玉、魁春、孝太郎の『俄獅子』は、祭りの浮き立つような気分が薄い。役者自身がもう少し舞台を楽しんでくれないと困る。
切りは、仁左衛門、孝太郎の『団子売』。勘三郎、三津五郎の踊りが記憶に刻まれているが、この踊りはあくまで風俗を写した愉しさが身上。今回はほどがよく、舞台を賑やかにした。

さて、夜の部の『金閣寺』は、雀右衛門の雪姫の「出」がつつましく、その姿のはかなさで観客の心をさらっていく。幸四郎の松永大膳には、巨悪の太さがあり、大膳が雪姫を足蹴にする件りに、被虐的な官能がこもっている。幸四郎が渾身の芝居で、『金閣寺』を盛り上げている。歌六の軍兵実は佐藤正清は、口跡あざやか。仁左衛門の東吉実は真柴久吉は、二枚目の典型とはなにかを的確に描出する。後半は、綱を打たれ、上手袖から引っ立てられてくる梅玉の狩野直信が出色の出来。夫のはかない姿に身もだえる雪姫が生きた。花道に去って行く夫の命はないだろう。その絶望がこの件りの雪姫に宿っている。いつまでも目で追う。けれど救い出すどころか、もう二度と会えないかも知れない。切ない心情が舞台を覆っている。
桜の花びらを集め、足先で鼠を描くと、二匹の白鼠が現れ、いましめの綱を食い破る。この有名な件りは、まさしく幻と見えたものが現実を、その相貌を変えていく。フィクションの愉悦そのものであった。思えば、この芝居のすべての人物は、人間のようで人間ではない。すべてが桜が舞い散る季節の幻のように思えてくる。雀右衛門の雪姫は、その幻想を紡ぎ出す核として舞台上にあるのだった。大膳弟は錦之助。
夜の部は他に『角力場』が出た。橋之助の濡髪。菊之助の長吉と与五郎。橋之助は角力小屋の出をよく形にしていて大きく、のちの長吉とのやりとりでも、大人としての分別と力士としての実力を兼ね備えた濡髪をよく演じている。ちょこまかした長吉とつっころばしの若旦那の与五郎。いずれもこれまでの菊之助とは遠い役だが、健闘している。贔屓に愛想を売る商売としての力士、長吉の愛嬌。濡髪にだれより惚れて入れ込む与五郎の育ちのよさ、鷹揚さ。昼の部の三浦之助といい立役として幅がある。器用にこなすだけではない。地力がついてきたのがよくわかる。
鴈治郎、勘九郎、松緑の『関三奴』。三人の踊り比べになるだけに、日頃の鍛錬が如実に出る。二十七日まで。