歌舞伎劇評 平成二十七年五月 歌舞伎座昼の部
五月の團菊祭は、昼の部『摂州合邦辻』の玉手御前、『天一坊大岡政談』の法澤のちに天一坊、夜の部『丸橋忠弥』の松平伊豆守、『め組の喧嘩』の藤松と、菊之助が四役を勤めた。一日に玉手御前と藤松のような性格の異なる役をひとりの役者が勤めた例を、近年知らない。若女方から立役へと役の幅を広げつつある菊之助の進境がよく見渡せる舞台となった。
なかでも三度目となる『摂州合邦辻』の玉手御前は、この役に格闘し続けた歩みが見えて、菊之助の当り狂言といっていい。平成二十二年五月の大阪松竹座。合邦に十代目三津五郎、俊徳丸に時蔵、浅香姫に梅枝、奴入平に團蔵、おとくに東蔵を配した「合邦庵室」のみのミドリの舞台だが、「十九、二十(つづや、はたち)」の詞章にふさわしく清新な「お辻」がいた。細い針がふるえるようで、花道の出から祈りとともに死へと至るその過程は、不器用ながら若さゆえの振幅として説得力を持った。このあたりの事情については、『菊之助の礼儀』(新潮社)の第十八章に書いたので、ご参照いただきたい。
続く同年十二月、日生劇場では久方ぶりの通しとして出た。配役は合邦が菊五郎、俊徳丸に梅枝、浅香姫に尾上右近、奴入平に松緑、おとくは変わらず東蔵である。が、同じ年にもかかわらず通し狂言として出した甲斐もあって、俊徳丸を見初めて、毒酒を呑ます件りにすぐれ、若さは勿論だけれども、誘惑者としてのしたたかさもそなわって、この女形のスケールの大きさが感じられた舞台だった。
そして今回、満を持しての歌舞伎座大舞台。しかも團菊祭の冒頭である。それだけの内実をそなえているのは勿論だが、なにより芸容が大きくなって、豊潤たる色気がしみわたるようになった。合邦は歌六。俊徳丸の梅枝、浅香姫の右近、おとくの東蔵は変わらず。奴入平は巳之助が抜擢された。
まず、花道の出がいい。人目を忍ぶ夜の道の心細さがしみ通っている。身体を押し殺して、袖模様だけが闇のなかに浮かび上がる。戸口に立っての「かかさん」の呼びかけ、父合邦と母おとくのやりとりを聞きながらのこなしも精密で、心の揺れが見事に身体化されている。
家内に招き入れられたのち「かかさんのお言葉なれど」からのクドキも、ここばかりは恋に身をやつした女の清新さをたもつが、いったん暖簾口へ母に手を引かれて引っ込んでのち、さらに現れて上手屋台にいるはずの俊徳丸の姿を追い求める必死さもすぐれている。
さらに現実の俊徳丸と対面してから、浅香姫への嫉妬。俊徳丸へのしなだれかかり。「恋路の闇に迷うたこの身」から、入平を戸口へ追い出すときの迫真力。ともに竹本をよく聞き、義太夫の詞章を詳細に検討した結果を踏まえての狂乱である。ただ頭の上で狂いをなぞっているのではなく、俊徳丸へのエロティシズムが横溢したために説得力を持った。梅枝、右近も役の理解がすすんで、このような重い時代物をよく運んでいる。
さらに計略を明かし、俊徳丸を本復させるとき「聞いたときのこのうれしさ」で女の身の法悦と歓喜が見えてきた。この色気があるからこそ、幕切れ世界と合一したかのような澄み渡った心境が生きてくる。もう、目が見えない。合掌する手もあわない。「恋路の闇」から「真の闇」へと去って行った女の祈りが浮かび上がる。
菊之助が玉手御前を自らの当り役とした舞台である。
続く『天一坊』だが、前半、序幕第一場「お三住居の場」で、法澤として婆さんを殺し、御落胤と証明する二品と、毒薬石見銀山を手に入れる残酷。
第二場「加太の浦の場」では岩見銀山の毒を用いて、法澤は既に、世話になった師匠を殺してしまっている。久助(亀三郎)に師匠殺しの罪をなすりつけるために、偶然通りかかった伊勢参りの男を殺害する残酷。この二場は悪の魅力にあふれており、もはや菊之助が白塗りの二枚目、貴公子ばかりが似合う役者ではないと明らかになる。
これまで用いられてきた台本では、お三ばあさんと法澤に関係があったとする奈河本があるが、この件りについては今回は採らない。
また、第二場、お伊勢参りの男を殺す件りを採用したために、久助との確執も明らかになって後の場に生きた。
二幕目、常楽院本堂の場では、かなりテキストレジを行って、天忠(團蔵)、赤川大膳(秀調)、藤井左京(右之助)との関わりが速度感をもってまとまっている。
海老蔵はこの伊賀亮を『伽羅先代萩』の仁木弾正を意識して作っているのか、終始、国崩しとしての重みを狙っているようにみえる。法澤から天一坊に変わって白塗りとなってからの菊之助は終始、御落胤を意識して格をたもつ。その格が高いだけにときに世話に砕けての黙阿弥らしい悪党振りが生きてくる。役の向こう側に『河内山』が見えている。いずれはこの役も射程に入れているのだろう。
さて、三幕目「広書院」では、我慢を重ねる菊五郎の大岡越前守と海老蔵の伊賀亮の対決が見どころとなる。
網代問答では、駕籠(乗り物)の格をめぐってのやりとりが眼目だが、海老蔵が台詞を作りすぎており、しかも語尾が流れる難点が目立ち、問答としての緊迫感が崩れてしまっている。
四幕目、大岡越前守が嫡子忠右衛門(萬太郎)妻小沢(時蔵)と死装束をまとって、詮議のために紀州に送った池田大助(松緑)の帰りを待つ。趣向としての面白みはあるが、芝居の実質がないので、より短く刈り込む手もあるのではないか。
大詰は、越前の叡智による上下逆転の場。菊五郎の口跡のよさと位取りのほどがすぐれて胸がすく結末となった。
重みのある時代ものと肩の張らない通し狂言。陽春にふさわしい舞台である。二十六日まで。