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2015年4月12日日曜日

【劇評15】鴈治郎、渾身の襲名。『吉田屋』『河庄』

 【歌舞伎劇評】平成二十七年四月 歌舞伎座 鴈治郎、渾身の襲名。『吉田屋』『河庄』

團十郎、勘三郎、三津五郎の急逝を受けて、立役が払底している。現在の大立物、藤十郎、菊五郎、幸四郎、吉右衛門、仁左衛門が七十の坂を越えたこともある。今回の翫雀による鴈治郎襲名は、その大きな断絶を埋めるべき人が、ようやく名乗りを上げた感がある。
襲名の狂言は、昼の部が『吉田屋』。夜の部が『河庄』。いずれも成駒屋鴈治郎家の当たり狂言である。この二本に鴈治郎が全力で取り組んでいる。
まずは『吉田屋』翫堂の阿波のお大尽にとぼけた味があり、餅つきで場を盛り上げたところに、鴈治郎の藤屋伊左衛門が花道から笠をかぶったまま登場する。勿論、衣装は,本来は零落した表現だが、歌舞伎では贅を尽くしたあでやかな紙衣、金糸銀糸に彩られたこの着物が似合うかどうかがまず第一。〽冬編笠の垢張りて」。鴈治郎は七三のこなしが柔らかくなかなかの風情である。迎えるのは通例は若い者大勢だが、又五郎ひとりでこの旧来の客を拒むところに、幸四郎の喜左衛門が出て窮地を救う。鴈治郎が編み笠をとった瞬間、愁いがこぼれる。
喜左衛門の女房おきさは秀太郎。この夫婦が廓にも情があることをさりげなく伝えるのが、ファンタジーとしての『吉田屋』の根底にある。
仮寝のあとの嘆き、盃から酒をこぼして膝を濡らしたときの哀しさ、零落した男が正月とはいえ、冬の寒い夜、ひとり馴染みの花魁を待つ。そのよるべなき身の上が胸を打つ。
ようやく夕霧が座敷に来る。懐紙で覆った顔を現したとき、最長老となったにもかかわらず、まごうことなく華がこぼれる。ここからは、駄々っ子のような伊左衛門と哀しみに暮れる夕霧のやりとりとなる。鴈治郎の愛嬌、藤十郎の一途な様子。長煙管を使ってのキマリもよい。一転してふたりが仲直りし、勘当が解けて身請けの金が届き、大団円となる。千両箱が積み上がっていく様子はご陽気で、いかにもめでたい襲名にふさわしい。常磐津は一佐太夫。三味線は一寿郎。
夜の部は『河庄』。風情だけで物語らしい物語のない『吉田屋』より、現在の鴈治郎にとっては与しやすい狂言だろう。
天満屋の丁稚三五郎は、虎之介。薄幸な紀伊國屋小春は芝雀。まずは、このふたりのやりとりが弾むが、明るさのなかにもしめやかな心持ちが感じられるのは、やはり、立女形の風格を備えつつある芝雀の地力があってのことだ。敵役の江戸屋太兵衛に染五郎、五貫屋善六に壱太郎。役の性根を踏まえて、チャリを含むが、なかなかいやらしい二人組だ。染五郎は既にこうした役柄を得意としているが、壱太郎は藝域の広さを示す。『碁盤太平記』の大石主税、『石切梶原』の梢、『石橋』の獅子の精とこの興行では大活躍で、いずれも穴がない。鴈治郎の襲名とともに、壱太郎のお披露目ともなっている。
加えて、粉屋孫右衛門の梅玉が出色の出来。武士に身をやつしているが、刀を置き忘れてふっとみせる身体のこなし、ちょっとした含羞はこの人ならではのもの。舞台が暖まっているから、鴈治郎も花道から出やすいだろう。
〽魂抜けてとぼとぼと」竹本に合わせて、ほっかむりした鴈治郎の紙屋治兵衛が身も心も虚ろになって歩いてくる。立ち止まり、足元を見る、右手で着物の裾をとる。型があって、なお自在でありたい上方狂言の役の後継者としての地力を示した。
紙屋治兵衛は、女房のおさんとのあいだに子をもうけながらも、新地の遊女小春となじみとなり、身動きがとれなくなる。治兵衛と小春は心中を覚悟しているが、おさんから手紙をもらった小春は縁切りを覚悟する。そこへ弟の身を案じた孫右衛門が侍となってやってきた。
ここからは、小春との別れを迫る孫右衛門と、未練をあからさまに嫉妬さえ見せる治兵衛の芝居となる。兄弟の相克を芝雀の小春は、細やかな受けの芝居を見せる。左の手で右の胸を押さえる仕草、ほつれ髪をいとう仕草、いずれも哀しみにうちひしがれた苦界の女の哀感がにじむ。勤めのなかにも実(ジツ)のある女のありようが胸を打つ。
鴈治郎は、三年ごしの小春とのゆききを兄に問わず語りに語る件りがいい。なんともやるせない男の未練を恥ずかしがることなく貫いてリアルであった。こうした心性は江戸と平成の隔たりはない。人間のどうしようもない苦しみ、哀しみに芝居が届いている。廓から立ち去る時がくる。花道の七三に座り込んでの断腸。初役にして十分な出来である。
廓に取り残された小春は襦袢の袖を口に噛んで嗚咽を耐える。その紅絹の色が目にしみた。
他に扇雀、染五郎、孝太郎、東蔵による『碁盤太平記』。大立物が連なる『六歌仙』。幸四郎、錦之助、高麗蔵、彦三郎の『石切梶原』。幹部勢揃いの『成駒屋歌舞伎賑』。染五郎、壱太郎、虎之介の『石橋』が出た。二六日まで。