長谷部浩ホームページ

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2017年5月15日月曜日

【閑話休題64】蜷川幸雄の一周忌と蜷川実花の「美しき日々」。遠い声、遠い部屋

 蜷川幸雄が亡くなって一年が過ぎた。
そのあいだ私は一冊の本を書いた。
『権力と孤独 演出家蜷川幸雄の時代』と題した一冊で、四月の終わりには書店に並んでいた。
この本を書こうと思ったのは、いくつかの理由がある。
なによりも自分自身の老いを感じているからで、体力、気力、そして記憶力も昔のようではない。時間が過ぎるにつれて、私の人生によってかけがえのない蜷川さんの舞台の記憶、個人的な交友の記憶も失われるだろうと思ったからだ。
前年に書いた勘三郎と三津五郎の場合は、まだしもメールのやりとりがある。なんらかのやり方で保存すれば、後世に残せる。けれど、蜷川とのやりとりは、面と向かってか、電話に限られていたので、あとかたもなく消え去ってしまう。そんな怖れがあった。
命日だからなあ。墓参りもどうかと思ったが、私は蜷川のお墓がどこにあるのか、お墓があるのかも知らない。月曜日には一周忌の会が、彩の国さいたま芸術劇場である。そのときに対話すればいい。そんな気持もあった。
ふっと思い立って、蜷川幸雄の長女、実花の写真展「うつくしき日々」に行った。御殿山の原美術館である。私は東京芸術大学に勤務しているから、実花さんは遠い存在ではない。美術の、そして写真の大スターで表現の幅を篠山紀信より更に広げるだけの度量を持っている。
二十年ほど前になるだろうか。
あまりにも前なので、いつだったかよく覚えていない。
蜷川幸雄に「実花さんの色彩は、蜷川さんを超えてますね」と雑談の席で言ったことがあった。
大きく笑ったのちに、
「前にね、蜷川先生いらっしゃいますかと電話がかかってきて、僕です、と応えると実花なんだよな」
と、自慢げに語っていたのを思い出した。  

「うつくしき日々」は、よく構築された展覧会だと思う。原美術館の狭い空間は扱いにくいと思うが、よく考えられている。そんな細部はまあ、いい。なにより、まず、実花による文字表現がある。文藝としての断章に、写真がその響きを受ける。私たちは言葉の残照のなかで、写真の具体と抽象のただなかで、思いをめぐらしている。
父、蜷川幸雄とは直接関係ない風景写真、とくに桜さえもが、日本的美意識の化身に思える。
咲く。散る。
人は必ず死ぬということ。私も死ぬ。あなたも死ぬ。それを見ているそなたも死ぬ。犬も死ぬよ、猫もね。人は次の季節まで生きられるかどうかを、つねに問われているということでもあった。人の定めにはあらがえない。
写真家は、生と死の峻厳なありようを知りつつ、シャッターを押した。
冷厳な関係性が、撮影者と被写体を結び、深い結びつきがあることの哀しさ、そしてあえていえば歓びが、「うつくしき日々」の連作を貫き、響き、揺らぎ、私たちをほんのすこし傾かせる。
傾きが頂点に達したときに、原美術館の窓に目を向けて、新しく生まれた庭のさかんな緑にこころを遊ばせると、ふたたび傾きが少し直線へと戻る。傾きは左から右へ、右から左へ、頭から足へ、足から頭へ。傾きの。
しっかりと気丈を持って世界へ挑め、と私は蜷川幸雄に教わったように思う。それは、日本的な美意識に溺れるなとの忠告でもあった。私はその教えにどれほど忠実であったかはわからない。今回書いた『権力と孤独 演出家蜷川幸雄の時代』も、日本にあること、その季節を甘受することを重く見て、目次を作った。私は世界への通路を見つけられずに終わるのだろう。
けれども、この写真展は明らかに異なっている。桜が散る哀しさに父の死を重ねあわせる悲嘆に終わっていない。
大切な一枚がある。横断歩道の前にふたりの人影がある。それは構図からすると撮影者とその同伴者に思える。間違いかもしれないが、蜷川実花とその長男は、死の刻限に閉じ込められているかに思える。写真という墓標が人間の前にそびえたっている。
けれど、今回の個展は、父の死を甘受し、甘い陶酔にいる境地にはない。偉大な表現者の死を受け入れ、父のいない時代へ踏み出しているのか。いや、踏み出そうとしているのだろうか。
その歩みをとどめる覚悟。
けれど、幼い子供の力をかりて、幼い子供の手をかりて、私たちはたちどまり、ふっと足や手に、そして全身に、なにか力が動き出しているのがわかる。
ほんの少しの動きが、世界を変えていく。