長谷部浩ホームページ

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2015年2月8日日曜日

【劇評6】歴史は繰り返す 『エッグ』(作・演出 野田秀樹)

【現代演劇劇評】二〇一五年二月 東京芸術劇場

二年の月日を隔てて再演された『エッグ』(野田秀樹作・演出)が、初演を遙かに上回る出来で驚いた。戯曲のバックグラウンドについては、拙著『野田秀樹の演劇』(河出書房新社)収録の「昭和史のバトンリレー」と題した劇評に書いた。阿部比羅夫(妻夫木聡)、粒来幸吉(仲村トオル)、苺イチエ(深津絵里)など役名の由来。一九四○年に東京で開催される予定だった東京オリンピックとその公式競技について。満州国にあった第七三一部隊と細菌兵器などについてである。
また、その劇評のなかで
「劇の幕切れ、苺は車椅子を押している。爆音とともに阿部は立ち上がる。
「『満州には、余りにもたくさんの絶望がある。だから満州の夕日はあんなにも赤く大きい……無念です。無念です。無念です。けれども、人が絶望の淵で、全身全霊を込めて、未来に賭けた思いは、ぺらぺらと歴史のマルタにはりつく。そして、俺は多分……もうじき目を閉じる』
阿部の長台詞は、この『エッグ』が野田秀樹にとって昭和史を後世へとリレーしていくためのバトンに相当するのだとわかる。平成の今から振り返れば、満州国も遠い霧の向こうにある。忘れ去れさられていく歴史を次の世代へと残していきたい。そんな強い意志が伝わってきた。この舞台が3.11を経験してはじめての新作であることも意味を持った」
と、私は記している。
今回の再演の舞台で思い直した。この劇は、満州国にあった第七三一部隊の犯罪を糾弾するために書かれたのではない。むしろ、スポーツと音楽がつねに権力によって利用されてきたこと。そして、満州国のような大きな虚構が崩れるときには、その犠牲となった難民が長い旅を強いられること。その「無念」が胸に迫ったのである。
満州国から日本へと帰国する人々の列に野田は、その後の人生がどうであったかをナレーションのようにかぶせている。あえていえば、その列が、原発事故と津波を受けて、福島から逃れざるをえなかった人々のように私には思えてならなかった。古今東西を問わず、戦争は難民をつくりだす。戦争とは無縁でいるかに見えたこの日本にも難民がまたしても作り出されたではないかと語りかけているように思えてならなかった。
こうした社会的、政治的な意味ばかりではない。キャストの成長によって、男女間の関係もあざやかに浮かび上がった。妻夫木聡の阿部比羅夫の陽気さのなかに翳りが感じられるようになった。深津絵里の苺イチエにファンキーなだけではない屈折が読み取れるようになった。そのためにこの不仲に見える夫婦が、実は愛憎という深い絆で結ばれているように思えたのである。
愛して、そして憎む。男と女のさまざまな衝突。それは苺イチエの父母にあたる消田監督(橋爪功)とオーナー(秋山菜津子)の間にもあって、またしても阿部とイチエによって繰り返されたのではないかと思えてくる。
歴史は繰り返す。人間もまた繰り返す。この残酷な事実が、いかに美しい夕日のもとにあばかれたかを、この劇から読み取ったのである。