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2018年4月10日火曜日

【劇評105】蠱惑の魅力、悪党を演じて比類のない仁左衛門

 歌舞伎劇評 平成三十年四月 歌舞伎座夜の部

『女殺油地獄』に続いて当り芸を次々と「一世一代」で演じる仁左衛門。今回、底光りする悪の権化を二役で演じる『絵本合法衢』もまた、もう二度と見られないのかと溜息が出る。体力、気力を厳しく計り、余力のあるときに止めようとする仁左衛門ならではの矜恃があるのだろう。
さて、四世南北の作だけあって、一筋縄ではいかない劇作である。仁左衛門は御家横領を企む左枝大学之助と武家奉公から離れて立場で働く太平次を演じる。傍若無人で容赦のない悪大学之助と、ときに小悪党ならではの愛嬌を見せる太平次、この相反する二役がともにいいのが仁左衛門の身上。玉三郎とあたりを取った『桜姫東文章』はじめまさしく南北ものに工夫を重ねてきただけに、総決算の舞台と私は受け止めた。
序幕第三場「多賀屋陣屋の場」でみせる大学之助の謀略。二幕目第一場「四条河原の場」では、その不良性に、時蔵のうんざりお松がなびいていくのも、納得がいく。第二場「今出川道具屋の場」でみせる時蔵のゆすりに緊張感があって出色。昼の部の政岡とともに、うんざりお松もすぐれ、菊五郎、仁左衛門の芝居をしっかりと受け止める立女形として立派だった。
三幕目第四場では、仁左衛門が胸のすく殺し場をみせる。この奮闘をみると切れ味があり、「一世一代」が惜しくなる。
二枚目役者はこれからも出るだろう。けれど心のなかに氷のような冷たさを感じさせる巨悪と、その愛嬌で人をひきつける小悪党を二役で演じて破綻のない役者はそうそう得られるものではない。急に仁左衛門の『盟三五大切』が観たくなった。二十六日まで。

【劇評104】世話と時代をもろともに味わえる菊五郎の『裏表先代萩』

 歌舞伎劇評 平成三十年四月 歌舞伎座昼の部

平成を代表する大立者、菊五郎と仁左衛門の通し狂言が、昼夜それぞれに並ぶ。かつてのように、昼と夜の両方に芯となる出し物をするのはむずかしいとしても、どちらかならば、まだまだ重量感のある舞台を見せる。どれだけの気力の充実を感じた。
まず、昼は菊五郎の『裏表先代萩』。いわずと知れた『伽羅先代萩』の書替狂言だが、菊五郎の芸質が生きるのは、世話の幕。悪党の下男小助にすがれた色気が漂う。「大場同益宅の場」では、同益(團蔵)がお竹(孝太郎)を妾にしようとする欲得を利用して、計略をめぐらすあたりが江戸の小悪党小助が鮮やかに描き出される。
二幕目の「御殿」は、飯炊きこそないものの政岡を演じる時蔵の地力がよくわかる。出じから憂いの霧も深く、鶴千代(亀三郎)と千松のやりとりを見守りながらも痛みが心に突き刺さっているとわかる。栄御前(萬次郎)の出に品格があり、八汐(彌十郎)も立役ならではの凄みが出た。沖の井に孝太郎、松島に吉弥。周囲の人々に支えられて、時蔵が存分に芝居を見せる。栄御前が去ってからの放心と嘆きがみどころとなる。
「床下」は彦三郎の荒獅子男之助も健闘。また、なにより菊五郎の仁木弾正に妖気が漂う。本人も筋書で語るようにこの役は仁ではないが、さすがに藝境高く、地霊までもが呼びさまされる花道の引っ込みとなった。
「問注所」では、菊五郎は小助で出る。『伽羅先代萩』の仁木で出るときのふてぶてしさはないが、『裏表先代萩』ならではの小助の愛嬌がみもの。世話を運んでいくうまさは、当代一だろう。
一転して「刃傷」では、仁木となって、ふてぶてしさがある。お竹に「ざまあねぇや」と自嘲するときの絶妙な味に魅了された。坂東亀蔵の民部が神妙。善悪を超えた人間の大きさを見せる東蔵の外記左衛門。錦之助の勝元はすっきりとして姿がいい。
時代と世話をもろともに楽しめる『裏表先代萩』は、顔ぶれが揃ってこその演目。細部に目を凝らし、じっくりと楽しめる舞台となった。外に松緑、錦之助の『西郷と勝』が朝幕に出た。二十六日まで。