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2020年4月14日火曜日

【劇評160】菊五郎劇団の正月

邪気のない愉しさ

 菊五郎劇団の正月は、邪気のない愉しさにあふれています。

 国立劇場は、妙に繭玉が似合う劇場でもあります。樽酒が積まれた正面玄関を入ると、おめでたい気分になります。戦争なんぞにならず、楽しく暮らせればいいのにと、切ない願いで一杯になります。

 今年の復活狂言は、『菊一座令和仇討(きくいちざれいわのあだうち)』と題されています。四世南北作の『御国入曾我中村』を原作としています。 復活といっても、かつての上演台本そのままを上演するのではありません。大胆な改訂を加えて、しかも、新たに場を創作して付け加えるのが通例になっています。
 国立劇場には、文芸研究会という組織があって、そのメンバーがこの書き替えの作業(補綴といいます)に毎回、心を砕いています。
 
 さて、今回の『菊一座令和仇討』は、現在の観客の好みに合わせて、とても簡潔にまとまった台本になりました。

 良い点をいくつかあげます。
両花道の活用 

南北の原作は「権三と権八」とも言われます。権三に松緑、権八に菊之助を配役して、見えない力で交錯するふたりの人生を描写していきます。上手側にも仮花道を作りました。この両花道で、ふたりの入場、退場をダイナミックに見せて、宙乗りなどの派手なケレンによらず、スペクタクルな歌舞伎にまとめたのです。

 第二に、趣向を大切にする視点が一貫しています。
 南北の作は、綯い交ぜといわれる作劇法で知られています。そのため、それぞれの世界に標準とされる登場人物のキャラクターが頭にはいっていないとわかりにくいので、そのあたりを整理しています。

 今回の焦点は、現実の怪我が、劇に入り込んでいるところです。
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 さきにいった権三と権八が、負傷を追い、傷をなおすうちに、町医者閑心(菊五郎)の家に居候する。そこに、悪婆といわれる伝法な女三日月おせん(時蔵)夫婦とからみができる。やがて閑心は範頼という天下を狙う大悪党だとわかる。
 権三と権八のからみあう人生が、敵討という歌舞伎の定型に収まっていく。このあたりが見ていて楽しい。
 つまり、御家の宝物が失われたくだりと、敵とねらう悪党を追い詰める仇討このふたつのエンジンは、話のつじつまや合理性に優先しています。
 偶然が多すぎるとか考えるのは、禁句です。


 このごろ作られた新作歌舞伎は、どうしても私たちの現代的な考えにそまっていますが、こうした復活狂言は、古風です。
 このおっとりした世界が、国立劇場の丹精な大道具とあいまって、こせこせしない楽しみを生んでいます。
去年の怪我さえも、趣向とみる

 第三は、菊之助の怪我のからみです。
 今月の国立劇場に来たお客さんのほとんどは、去年の十二月、新橋演舞場で上演された『風の谷のナウシカ』で、菊之助が左手の肘を負傷したと知っているでしょう。

 今回の『菊一座令和仇討』は、時間的なことを考えると、負傷した時点ですでに第一稿は出来上がっていたでしょう。

 先に筋を書きましたが、菊之助の権八は、典型的な二枚目ですが、劇の途中から負傷している設定です。現実の怪我と劇の虚構がまぜこぜになっていく。
 今も菊之助は痛みを抑えて演じているのではないか。そんな想像を愉しみながら見るのも趣向となっています。

 白塗りの二枚目として登場した菊之助が、なぜか女性となって、吉原へ売られていくくだり。そして、宝物を手に入れると女形の演技を投げ出して男にもどるくだり。なかなか見どころが多い。
 
 近年の菊五郎劇団の正月復活狂言のなかでも、なかなかの佳品です。正月松の内が過ぎて、月半ばとなっても、おっとり江戸の芝居を愉しめるそんな舞台になりました。お薦めできる愉しさです。二十七日まで。