長谷部浩ホームページ

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2020年2月22日土曜日

【劇評153】自己撞着を怖れぬ玉三郎の覚悟。

十二月大歌舞伎の夜の部もまた、梅枝の活躍に目を見張った。

『神霊矢口渡』は、女方のためにある狂言である。
一夜の宿を求める義峯(坂東亀蔵)への思慕から、過激な行動へと駆り立てられる娘の話である。ついには父頓兵衛(松緑)にはばまれようとも、義峯を逃がそうとする。一目惚れにはじまり、みずからの死を厭わないところまで、一気に走り抜ける。若さゆえの疾走感、一途なありようを梅枝は、よくつかまえている。

 梅枝は同世代のなかでも、理知的な俳優といえるだろう。すべてに破綻がない。所作も台詞回しも、「あれっ」と違和感を感じさせない。役の性根をよく掴んでいる。
 世話物も新作もよいが、この『神霊矢口渡』では、時代物を大きく捉えている。義太夫の詞章をよく吟味して、舞台でもきちんと台詞を聴いているのがよくわかる。
 隙がないと言ってしまうと、せせこましい演技に思えるが、そうではない。恋の狂いにも緻密な表現力が必要とされる。「父さん、おまえはなあ」と頓兵衛に訴えかけるときの絶望に深さがあった。

 松緑の頓兵衛もなかなかの出来。まず、容易には肚を割らない。謎を秘めた人物として舞台にあって、説明的にならない。
 現代的な父娘関係などは、一切持ち込まず、ただただ、自分の信念に生きる男であり続ける。花道のひっこみにも力感があり、途中、息を整えるあたりも、執念の人として頓兵衛をよく捕まえている。

『神霊矢口渡』が終わると、玉三郎の新作『本朝白雪姫譚話』(竹柴潤一脚本、玉三郎補綴・衣裳考証)が出た。
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 序幕から打ち上げるまで、休憩をのぞいても二時間を費やす。この物語、台詞の密度で、二時間をもたせるのはむずかしい。衣裳考証とあるからは、俳優の美意識をみせるのも狙いの一つであろう。なるほど、素晴らしい衣裳に打たれた。玉三郎が関わるかぎり、この水準の高さは、保証されている。

 けれども、このグリム童話の「白雪姫」は、女性の美しくありたい願望を扱っている。これは、俳優がいつまでも若く、美しくありたい願いと重なる。
 野分の前(児太郎)が、鏡に向かって、一番の美女はだれかと問いかけるが、鏡のなかの鏡の精(梅枝)の答えは、野分の前ではない。白雪姫(玉三郎)と答え続ける。
 
 ここで問われているのは、相対的な美しさなのだろうか。それとも、絶対的な美しさなのだろうか。
 美を表現の手段とする女方が扱うには、自己撞着が起こってしまう。取りようによっては、自分自身の美しさは永遠であり、だれも凌駕できない。そんな信念がこの狂言を貫いているともとられかねない。

『本朝白雪姫譚話』は、かなり危険な領域に踏み込んでいる。批判をはねかえすだけの覚悟があって、作られた作品なのだろうと思う。
 それだけに、短編や掌編を思わせる舞踊劇に仕立てたほうが小気味よかったのではと思った。