長谷部浩ホームページ

長谷部浩ホームページ

2017年10月22日日曜日

【閑話休題69】投票率と未必の故意

 午後八時で、衆議院選挙の投票が締め切られる。私自身は、昨日のうちに期日前投票を済ませた。自宅から投票所までは至近の距離なので台風を恐れてではない。自分のなかで投票行為を早く完結させたかったからだ。
私の住む投票区は、公明と共産の一騎打ちとなった。したがって有権者はほぼこの二択を迫られることになる。比例区でどの政党を選択するかが選択肢となる。したがって、投票日まで迷うような余地もなく、期日前に投票してしまった。
今回の投票率もはかばかしくないようだ。とはいえ私自身がそれほど投票行動に熱心だったわけではない。時代の変化が感じられる節目に投票してきたに過ぎない。ただし、死に票となることが明らかな場合にも、それをいとわずに投票してきた。
近年は地方選挙にも積極的に投票するようになった。それは現在の政権と時代の空気があまりにも息苦しく、危険な兆候を感じるからだ。このままでは憲法改悪どころか「不可避的に巻き込まれた」などの名分のなかで戦争に日本が関与していくことも充分ありえると思っている。有権者である以上、投票行動は政治参加の基本にある。一部に棄権をすすめるような言動も観られるが、これも逆説と受け取るべきだろう。棄権をすすめることで、投票をすすめられていると私は考えている。
今、五時半を少し過ぎた。
地域によっては暴風雨となっているだろう。けれど、もし可能であれば、投票にいっていただきたいと私は思う。
六十歳近くなるまでは、政治的な意見を公表することはなかった。保守であれ、リベラルであれ、レッテルは問わない。ある程度の投票率があれば、その結果に納得がいく。無力感しかない投票率であれば、今後の日本がどこへ進むか「未必の故意」が有権者にあったと、のちに責められても仕方がないとさえ思う。