長谷部浩ホームページ

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2017年3月29日水曜日

【閑話休題63】虚ろで浮遊したような感触。

 書き下ろしを終えた後は、必ずといっていいほど空虚な感じに心身がとらわれてしまう。これまでのような張り詰めた毎日は、もうないのだ。開放感があってもよさそうだが、何か虚ろで、浮遊したような感触にとらわれてしまっている。
「権力と孤独 演出家蜷川幸雄の時代」は、表紙や帯のデザインも決まった。帯の背表紙側には、あとがきの冒頭部分が抜いてある。

修羅の人だったと思う。
私が知るのは稽古場の蜷川さんに限られるけれども、みずから修羅場を引き寄せ、喜び、怒り、哀しみ、楽しみ、人生のすべてをその場にいる人々と共にした。まぎれもない成功者ではあったが、その意味で蜷川幸雄の舞台人としての人生は、決して安楽なものではなかった。絶望のなかで、かすかに希望を見いだす舞台に全力を投じて一生を終えた。

本来は、野田秀樹の『パンドラの鐘』を演出した章の冒頭のために書いた。若い友人のアドバイスに従って、この部分をあとがきに持ってくることにした。はじめに書いたあとがきは、寂しく暗い空気に包まれていたが、改稿によって、かすかな希望が見える文章になった。
もう、原稿は私の手を離れて編集者のもとにある。あるいは三校で頁調整の仕事があるかもしれないが、大勢には影響がない。あとは見本本が出来るのをのんびり待つばかり。4月のはじめからは、新学期がはじまり、勤務先の大学の仕事に追われることになる。しばらくは、この空虚感を味わっていたいと思っている。