2015年3月24日火曜日

【閑話休題7】野田秀樹さんとのトークショー

昨夜3月23日19時半より野田秀樹さんとのトークショーを蔦屋代官山店で行いました。突っ込んだ話が出来て、何よりでした。3月初旬にパリのシャトレ国立劇場で上演された『エッグ』の話を皮切りに、『THE BEE』『パンドラの鐘』などNODA MAP設立以降の野田作品を概観する内容になりました。また、3.11を受けて書かれた『エッグ』と東北、福島との関連についても本人の口から語られた件りは、私としても貴重に思えます。

35年に渡るつきあいですが、公開の席で話をしたのは、これがはじめてです。インタビューとはまた違って、ライブならではの勢いがあり、一時間半をふたりで駆け抜ける爽快感がありました。作り手と批評家として、ずっと緊張感を持ってきましたが、この数年、お互い年齢を重ねたこともあって、意固地に距離を置く必要もないのではないかと考え始めたのも、大きいかも知れません。

1月の菊之助さんとのトークショーも楽しかったですが、私もこれからは教壇ばかりではなく、外部のこうしたトークショーに積極的に出て行こうと思い始めました。

2015年3月22日日曜日

【劇評13】若手花形が南座を沸かす

 【歌舞伎劇評】平成二十七年三月 南座 午前の部 『流星』が示す本格

正月の浅草から弱冠メンバーを変更しつつ、博多座をめぐって、南座で花形歌舞伎の幕が開いた。いずれも大作揃いだが、真摯な姿勢で取組み、清新な舞台となった。また、昼の部、夜の部ではなく、午前十一時開演の午前の部と、午後三時開演の午後の部の編成とした。全体の上演時間を短く抑え、料金も一等席で一万円とした興行上の工夫もあって、私が観た日は、いずれも満員だった。若手の芸を楽しむ層には、こうした上演形態がふわさしいのだろう。
まずは『矢の根』。歌舞伎十八番の荒事である。歌昇の五郎時致に胆力があり、荒事役者としての可能性を示した。きっぱりとして稚気にあふれ、舞台を踏み抜くかと思われるほどの覚悟に満ちている。「ツラネ」に感情をいれることなく、「悪態」も力強い。荒事の条件を守りつつ、身体のキレで見せていく。隼人の文太夫。蝶十郎の馬士。種之助の十郎祐成に柔らかみ、幻のような存在に徹している。
続いて、これもまた歌舞伎十八番の『鳴神』。松也の鳴神上人、米吉の雲の絶間姫。
松也は元々色気のある役者である。姫の色香に迷うこの高僧に似合うかに思われるが、実はそう簡単にはいかない。出から上人の威厳を示すことができなければ、荘厳な行者が堕ちていく変わり目が見えない。高僧の潔癖さが必要である。
米吉もやはり出から色気にあふれすぎている。夫を亡くした姫の哀れさ、苦しみがまずあっての雲の絶間姫だろう。語りも工夫はよくわかるが、心の内の変化がついていっていないので、平坦になっている。破戒と墜落。勅定と計略。古劇の風格を目指さなければならない。ただし、後半、雲の絶間姫が注連縄を切る件り、また上人が憤怒の相となって六法を踏んで引っ込む件りは、様式があるだけに一応の成果を示した 
切りは『流星』。亡き十代目得意の演目だが、巳之助が自分なりに本格を目指して、懸命に稽古したのがよくわかる。
隼人の牽牛、右近の織姫がせりあがると、美男美女ぶりに客席からジワがきた。「ご注進」の声も高らかに花道から巳之助の流星が登場する。本舞台にかかって軸に狂いなくきっぱり踊る。〽聞けばこの夏流行の」から、雷の夫婦と老いた姑、幼い子供、この四役を踊り分けるが、単に百面相に終わるのではなく、身体全体をつかって変わっているのがよい。総じて趣向に流れず、それぞれの性根を掴んで踊ろうとする姿勢が明確だった。巳之助が坂東流の大曲に、次々と挑んでいくのが楽しみになった。二十七日まで。

2015年3月21日土曜日

【閑話休題6】十代の歌舞伎俳優とは。

20日初日のKAAT公演『葛城山蜘蛛絲譚』を観た。おもしろかった。
勘十郎の作・演出・振付。勘十郎、菊之丞、鷹之資、玉太郎と、花柳時寿京、花柳凜の出演。
「子役から大人の俳優への移行期」にある俳優をクローズアップした新作だが、今月三月南座、正月は浅草公会堂に出演していた花形たちが、十年から十五年前には、こんな風に芸と格闘していたと思うと興味深い。
これまで、「学業に専念する」とのお題目で、このむずかしい年代の役者がどのように芸に取り組んでいるかがあまり明らかになっていなかった。少なくとも二人は、次代を背負うべく自らの人生を見詰めているのがよくわかった。鷹之資の金時におおらかな味があり、技巧の洗練と役を生きることとの難しさと向かい会っているのがわかる。玉太郎の山神は巧まざる品位があり、こせこせしない芸風がそなわっている。
作品の全体としては、スペクタクルとしてよく演出されていて、新作の弊がない。『紅葉狩』『山姥』『戻橋』などの古典を巧みに取り入れている。
いわずとしれたことだが、勘十郎は歌舞伎の振付師であり、また、勘十郎と菊之丞は日舞の家元でもあるわけだが、歌舞伎と日舞の関係の複雑さがよくわかる。
勘十郎振付の才気がすぐれている。若手女流をツレての大胆な振付。奥のキャットウォークを使っての幕切れなどおもしろくみた。
また、菊之丞の台詞回しの見事さは玄人はだしで驚くほどであった。役者っぷりのよさを堪能した。
日舞の世界から若手女流の花柳時寿京と花柳凜が加わり、「新作歌舞伎舞踊」の枠組のなかで健闘している。
技術の正確さをめざしているのは日舞ならではだが、そこにとどまらない。時寿京には、身体に切れ味があり、性根へと向かっている。力が抜けて、扇を従えればもっとよい。
凜はあたりを払う品のよさを冒頭からみせる。ふたりにとって、よい修業の機会を与えられた幸運を思う。
歌舞伎役者の身体が年代を追って、どう成長していくか。歌舞伎役者と舞踊家の身体にはどのような差異があるか。興味は尽きない。
そのあたりに関心のある方には、ぜひおすすめしたい。
http://www.kaat.jp/d/wakatebuyou

2015年3月12日木曜日

【閑話休題5】ネットでの情報伝搬

ブログを始めて二ヶ月が過ぎました。
この一ヶ月は、三津五郎さんのご逝去もあって、
慌ただしく過ぎました。
現在のところ劇評は12本をアップロードしましたが、
意外なことにアクセス数が一番多かったのは、歌舞伎ではなく、
ケラリーノ・サンドロヴィチ演出の『三人姉妹』でした。
これもKERAさんがリツイートしたのが理由かと思います。
ネットでの情報伝搬の仕組みについて考えるようになりました。
また、ネットでの書き込みを読むと、歌舞伎についていえば、
渡辺保さんの劇評と併読されている方もいるようです。

この「長谷部浩の劇評」ブログについていえば、ページビューは9000足らず。
伸べの数字なので読者数は、もっと少ないと思いますが、
望外に多くの方に読んでいただいているように思います。
これからも更新を心がけますので、
どうぞご愛読下さい。

2015年3月10日火曜日

【劇評12】『髪結新三』の新たな展開

  【歌舞伎劇評】平成二十七年三月 国立劇場 『髪結新三』の新たな展開

『髪結新三』は、河竹黙阿弥の代表作といっていいだろうと思う。七五調の音楽的な台詞を粋な身体のこなしとともに見せる。時鳥の啼き声、初鰹を売る声、「薩摩サア」の黒御簾。音、音楽が重要な役割を果たす狂言である。
私たちは七代目菊五郎、十八代目勘三郎の手に入った名演になじんでいるので、橋之助の新三に違和感を感じてしまう。特に序幕、白子屋見世先の場では、台詞が流麗に流れず、しかも忠七に駆け落ちを焚きつける件りでは、声が太く、張りすぎている。また、身体のまろやかな愛嬌が欠けるために「一銭職」のへりくだった感じがない。いいかえれば武張った新三で、町人で博奕打ちの空気が薄いのである。
永代橋川端の場も同様で、新三、忠七のやりとりには年輪が必要なのだろう。まるで武士が町人をいじめているかのようで、橋之助がこの役を手に入れるには、課題はまだまだあると思う。
ただ、菊五郎劇団のような脇の手練れがいないにもかかわらず、新しい配役を組んだために収獲があった。もっとも瞠目させられたのは、家主長兵衛の團蔵である。もともと敵役を得意とするが、ここでは家主の貫禄でぐいぐいと新三をやりこめていく。論理ではない。破綻した論理でも押し込んでいく小さな権力者の横暴がよく出ている。左團次、彌十郎の後を追うのは、團蔵になるとすれば、『助六』の意休も射程に入ってくる。
萬次郎の家主女房、秀調の善八はいずれもこなれていて、そのため家主長兵衛内での、團蔵、萬次郎、秀調のやりとりに破綻がなく、もっとも芝居になっている。
門之助は本来、忠七はこうあるべきだと思わせる仁と柄があるので、回数を踏めば、女形から来た忠七を寄せ付けない芝居を見せるのではないか。可能性を感じさせた。
錦之助の弥太五郎源七は、癇性なところがいい。新三にやりこめられるときの怒りを押さえつける表現にすぐれる。ただし、閻魔堂では橋之助の貫禄に押されている。落ち目の親分という役回りを考えれば、このバランスでもよい。
国生の勝奴は、裏での仕事の多い至難な役。深川の気の利いたおあにいさんの粋を追求するべきだろう。新三の次を狙う一癖ある男という造形だが、「次」ではなくあくまで「次の次」だ。今現在は、機知と愛嬌で新三に可愛がられ、大家にも子守を追い回しているとからかわれるくだりを自然に見せたい。
児太郎の白子屋お熊。美貌は輝かしいが、母お常と下女お菊に因果を含められ、婿をとるのを納得させられる場面、あまり芝居をしないほうがよい。耐えてこそ美しさが引き立つ。
白子屋後家お常の芝喜松、下女お菊の芝のぶ。確かな芝居をするふたりだが、いかんせん化粧が白すぎて、登場したときにぎょっとしたのを書いておく。

2015年3月9日月曜日

【閑話休題4】三津五郎と勘三郎、ふたりのやさしさ。

一昨日の土曜日から日曜日にかけて、坂東三津五郎さんの追悼文を書いた。
雑誌演劇界の求めによるもので枚数は2800字。編集部からの依頼にできるだけ紙幅がほしいと願った。

亡くなった当日、読売新聞の求めでコメントを出した。
追って翌日、時事通信に短い追悼文を書いた。いくつかの新聞社から依頼があったが、速報性のある追悼文は、一社限りとしたいと思った。

当日は特に、かなり取り乱していたから、とても原稿を書くような状態ではなかった。

個人的な思い出は、少し落ち着いてから、このブログに書いた。
役者と評論家の関係にとどまらずに、よく呑みにいったから思い出はつきない。
書いていると、にっこり笑った三津五郎さんの顔が思い出されてならなかった。

演劇界の原稿で、追悼文はもう終わり。
気が重いことの多い仕事だけれど、私は書くことで、自分を慰撫しているのではないかと思うことがある。
もとより書いただけではない。
三津五郎さんを知る友人たちと、とりとめなく思い出話をした。
こうやって人はだんだんに、事実を受け入れていくのだろう。

五年ほど前の秋、私の同僚だった渡辺好明教授が亡くなったとき、勘三郎さんと三津五郎さん、両方と約束があった。
両者に「心が折れていて、打ち合わせを延期したい」とメールした。

勘三郎さんは、「よくわかるよ、延期しましょう」といってくれた。

三津五郎さんは、「いや延期は困る、明治座の楽屋に来て下さい」と返信が来た。

家に閉じこもっていたので、息も絶え絶え、這うようにして楽屋に行った。
聞書きの仕事をして終わったら、
三津五郎さんは、ご両親を立て続けになくした話をしてくれた。
「人はね、忘れなければ生きていけないんですよ」
と、いった。
私を家から連れだし、慰めるために、あえて呼んでくれたのだとわかった。

勘三郎の優しさ、三津五郎の優しさ。どちらも当時の私にとって救いになった。

追悼文は終わりと思ったのに、また書いている。
思い出は尽きない。

2015年3月8日日曜日

【劇評11】『菅原伝授手習鑑』通し。『車引』の霊、 『賀の祝』の美と哀切

 【歌舞伎劇評】平成二十七年三月 歌舞伎座夜の部 美と哀切

三月歌舞伎座夜の部は、『菅原伝授手習鑑』の『車引』から。愛之助の梅王丸、染五郎の松王丸、菊之助の桜丸、彌十郎の時平公と、これまで意外に顔合わせが少ない四人が揃って格別な舞台となった。
まず、深編笠をかぶっての梅王丸と桜丸のやりとり、身体のこなしがよく、言葉ばかりではなく物語る力がある。合理性はここでは重く見られない。言葉のみならず身体が語る物語は、霊的な存在を呼びさます。この『車引』は、人間たちの葛藤を描いているのではない。日常生活から離れて、ひとの無意識がうごめきだす時間を扱っているとわかる。
深編笠を取ると、剛と柔、ふたりの存在が顕現する。愛之助は折り目正しく荒事の梅王丸であろうとし、菊之助はなんとも柔らかで和事を踏まえた桜丸であろうとする。愛之助の飛び六方も力感があふれ無理がない。
牛車には、菅丞相を流罪に陥れた時平公が乗っているという。黒牛によってひかれ、黒に塗られた牛車はただそこにあるだけで古怪な雰囲気を醸し出す。「加茂堤」の牛車と対になっている。
染五郎の松王丸がまたいい。座頭の風格さえ感じるようになったのは、最近のことだ。力みが取れて、荒事では心理主義的な演技を周到に回避している。三人の見得もそれぞれいいが、菊之助の形のよさは、舞踊で鍛えた身体があってのことだろう。
彌十郎の時平公、本来の仁からは遠い役だが、牛車からの出から、硬質でしかも人間とはほど遠い超自然的な存在になりおおせている。なにより四者が絵面に決まっての幕切れが、歌舞伎の美を堪能させてくれる。
続いて五幕目は『賀の祝』である。
松王丸女房の千代(孝太郎)と梅王丸女房の春(新悟)のやりとりから始まるが、底を割らずに白太夫(左團次)の古希の祝いの気分がある。染五郎の松王丸と愛之助の梅王丸の米俵を使っての喧嘩「俵立て」も動きがよく、この世代の役者の充実を見る。
『賀の祝』は、三つ子を相手に複雑な心の内をみせる白太夫の芝居といってもいい。左團次は、主君菅丞相への忠義に貫かれており、また三つ子へ情もあわせもっている。ただし情を垂れ流しにはせず、あくまで強面である。菊之助の桜丸が暖簾を割って登場してからは、父親としての嘆きに終始するが、泪に溺れない。
菊之助の桜丸は、平成中村座に続いて二度目だが、格段の進境を見せる。出の「女房ども、さぞ待つらん」では「さぞ」を抜いて、文楽の本行を真似る。また、息継ぎで楽をせずに、竹本とまっこうから渡り合う気迫に充ち満ちている。
自らの失態によって、主君の流罪へと至った。その後悔と絶望が、父により九寸五分が与えられるうちに澄み渡った心境となる。ここでは祖父梅幸にならって、島台に乗るのは、腹切り刀ではなく、鞘のある刀である
「これまで馴染む夫婦の仲」では、梅枝の女房八重と目を見交わし情をみせる。
また、白太夫へ「親人、はばかりながら御介錯」からは、腹を切った痛みの向こうに、死へと向かう人間の法悦さえも漂う。
『仮名手本忠臣蔵』の判官、『摂州合邦辻』の玉手御前と切腹の幕切れを数多く演じてきた経験が生きている。まことに美しく哀れな桜丸であった。梅枝が行儀良く八重を勤めている。
幕切れは『寺子屋』。染五郎の松王丸、孝太郎の千代、松緑の源蔵、壱太郎の戸浪、高麗蔵の園生の前、廣太郎の涎くり。錦吾の下男三助、亀鶴の玄蕃。今回は丁寧に寺入りから出たので、源蔵の出が唐突にならない。また、昼の部から見ている観客には、『筆法伝授』でいかに、源蔵と戸浪が苦境にあったかとつながり、この幕におかれたふたりの心情がわかる。
ただし、理が通ったからといって舞台成果が保証されるわけではない。源蔵と戸浪の間に気持ちの通い合いが薄く、また松王丸に大きさはあるが、嘆きがしみ通らない。千代も子を犠牲にする親の強い覚悟が感じられない。全体に肚が薄いので、『寺子屋』が持つ不条理ばかりが立って、観客の共感を巻き込むには至らなかった。二十七日まで。

2015年3月7日土曜日

【劇評10】『菅原伝授手習鑑』通し。本格の意味を問う。

【歌舞伎劇評】平成二十七年三月 歌舞伎座昼の部  本格であることの意味を考える。

三月の歌舞伎座は『菅原伝授手習鑑』の通し。仁左衛門中心の一座に、左團次、秀太郎、魁春、歌六が加わり、松緑、菊之助も参加する。三大名作といわれる古典中の古典。義太夫狂言の代表的な作品である。それがゆえに、今、現在の歌舞伎俳優の力量が問われる舞台となった。
序幕は「加茂堤」。菊之助の舎人桜丸に、梅枝の桜丸女房八重。主君の色事を手伝う夫婦なので、下卑た笑いに堕ちるのを、このふたりの清潔な芸風がとどめている。反面、親王と姫が車に入ってから、むつ言を聞いて「女房ども、たまらぬたまらぬ」と抱き合うときの色気が薄い。この仲のいい夫婦の息は、日にちが経つうちに熟成されてくるだろう。梅枝は菊之助の女房役として、不足のない芸を見せるようになった。若女方の筆頭にいるといって差し支えない。萬太郎の齋世親王、壱太郎の刈屋姫は、いかにも初々しい。この悲劇の発端が、若い二人とまだ世知に乏しい夫婦によって起こったことがよくわかる。亀寿の三善清行はほどがよい。
二幕目は「筆法伝授」。昭和十八年の歌舞伎座で復活した幕がすっかり定着した。「奥殿」では、染五郎の源蔵、梅枝の源蔵女房戸浪の出が神妙。主家をしくじったふたりの沈潜した心持ちが衣装の工夫ばかりではなく、身体に通っているから場が落ち着く。迎える仁左衛門の菅丞相の威厳、御台園生の前の情味、いずれも源蔵、戸浪のありようと対になって、四人の複雑な思いがありありと浮かび上がってきた。橘太郎の稀世が、緊張した場を救う。橘太郎は幹部になってから、ますます芸が自在になってきた。
続く「学問所」は、菅丞相から源蔵が筆法を伝授される件り。稀世に邪魔をされながらも、苛立ちさえもみせず、筆写に打ち込む源蔵、その姿を端然と見守る菅丞相。仁左衛門、染五郎いずれも本格をめざして揺るぎがない。この場をきっちり成立させてこそ続く「道明寺」へ向けて菅丞相の肚が観客へ伝わる。「門外」は、菅丞相が引きたてられて、太宰府へながされていく。また、愛之助の梅王丸が、源蔵夫婦に菅丞相の嫡男菅秀才をあずける。愛之助は短い場面ながら、忠義の人であると伝えている。昼の部夜の部を通して、愛之助は一貫してよき梅王丸を見せる。
そして、昼の部の見どころとなる「道明寺」である。ちょうど五年前の歌舞伎座で仁左衛門は、玉三郎の覚寿を相手に「道明寺」を出している。そのときと比べても、仁左衛門の芸境はさらに澄み渡り、菅丞相の乱れのない心の内が伝わってきた。
今回の覚寿は秀太郎。枯れ果てた身体に一本芯の通った精神が見て取れる。刈屋姫とその姉立田を折檻する「杖折檻」の絶望の深さが比類ない。
歌六の土師兵衛と彌十郎の宿禰太郎が巧みな芝居を見せる。芝雀の立田を殺害して、鶏を早鳴きさせる「東天紅」の場面では、歌六、彌十郎、芝雀と腕のある三人が芝居を運び破綻がない。これもまた「本格」への意思にとどまらず、こうした場面でもおもしろさを観客に伝えようとする誠実が感じられる。芯をとる役者だけではなく、脇が充実してこその古典だと納得させられた。
菅丞相を迎えるのは判官代照国の菊之助。菅丞相と対になる役だが、軽さがみじんもなく、弁慶に対する富樫の位置づけで演じているようだ。媚びのない誠実がこもる。
菅丞相が木造と本物を演じ分ける件りは、どうも操り人形めいて、私自身は好きではない。けれど偽りの使いがわかり、ふたたび上手屋台に納まってからの仁左衛門の静謐なありようは、この年齢、この舞台歴をあってこそのことだろう。荒事や派手な演出に代表される動の歌舞伎がある。それとは対照的に、芯にある人の心の内を観客が息をつめて見詰める静の歌舞伎もある。二十七日まで。

2015年3月6日金曜日

【閑話休題3】魔法のランプ

昨日は歌舞伎座。『菅原伝授手習鑑』の通し。義太夫狂言の重い演目を昼夜通しで見るのはしんどい。
ロビーを歩いていたら、幕間に高校時代に古文をならった和角仁先生とばったり会う。三十五年ぶり。
思えば、蜷川幸雄が東宝で初演出した『ロミオとジュリエット』は、和角先生に連れて行っていただいたのだった。
日生劇場の三階席のチケットを私が買いにいったのを思い出した。
そのときから私が今の仕事につく準備がはじまっていたのだろうと思う。
もっとも、中学二年生のときに、唐十郎作・演出の状況劇場の芝居を上野の水上音楽堂に観にいったのが、自主的に観劇した最初の体験かも知れなかった。
お元気な先生のお顔を拝見すると、むかしの思い出が魔法のランプに触れたようによみがえってきた。いつか機会があったら昔話を書いてみたい。

2015年3月2日月曜日

【閑話休題2】新聞書評を読んで。誤解。

三月一日付の東京新聞読書面に、『菊之助の礼儀』書評が出た。
「新刊」のコーナーで十四行の評である。
新聞評が出るのはありがたいけれど、内容が誤解をまねくような表現ばかりで困ってしまった。

「一九九九年以来、菊之助に伴走しながら取材した演劇評論家のインタビュー集」
とあるが、本書のほとんどが地の文であり、「インタビュー集」というのは、あまりに内容とかけ離れているのではないか。
確かに、菊之助の発言は使っているが、本書は一問一答や大部分を括弧付きの発言で占められているような「インタビュー集」ではない。
「野田秀樹や蜷川幸雄など現代演劇劇作家による舞台にここ数年取り組んでいる」とある。野田秀樹が執筆予定だった『曾根崎心中』の企画は、平成二十六年に予定されていたが、勘三郎の急逝によって実現不可能になった。
また、蜷川との『NINAGAWA 十二夜』は、平成一七年に初演されている。
三演のロンドン公演は、平成二十一年に実現している。
この数年はまったく動きはない。
いずれも、「この数年取り組んでいる」と評するにはあたらないのではないか。
また、残念ながら、この数年蜷川らとの企画が、歌舞伎の舞台に乗っている例はないのにもかかわらず、
「取り組んでいる」とはどんな意味かわからない。

「芸に対する透徹した意思と創意を『曾根崎心中』や『勧進帳』などの作品に探り、その姿勢にエールを送る」とある。
『曾根崎心中』は先に述べたように実現しなかった企画である。
また、『勧進帳』は、菊之助は富樫、義経はすでに勤めている。
この本の末尾の趣旨としては、音羽屋菊五郎家の家の芸ではないにもかかわらず、
「弁慶を四〇過ぎやれたらいいなと思っています」
と語り、菊之助がいつか弁慶を勤めたいと思ってると結んでいる。
なぜ、本書で取り上げた多くの演目から、実現できなかった『曾根崎心中』や
これから弁慶を初役として取り組みたいとする『勧進帳』を、取り上げるのか理解しがたい。

いずれにしろ書評を書いた人物は、『菊之助の礼儀』をまともに読んではいないように思える。

ありがた迷惑である。

読者を混乱させなければいいと思っている。