ミュージカル劇評 平成三十年九月 シアタークリエ
ヴォーカルとは、不思議な存在だと、『ジャージー・ボーイズ』(マーシャル・ブリックマン、リック・エリス脚本 ボブ・コーディオ音楽)の再演を観て思った。
今回も、中川晃教のフランキー・ヴァリはシングルキャスト。新しいメンバーが入ったチーム・ブルーを観る機会を得た。伊礼彼方のトミー、矢崎広のボブ、spiのニックという配役である。中川、矢崎は、前回も同じ役で出演。伊礼とspiが新しく加わった。
藤田俊太郎の演出は、前回と大きく代わったわけではない。ジャージーの不良たちが、メディアに乗り、ツアーを重ねることによって立場が変わり、金銭が動き、家族関係が崩壊する。けれど、ジャージー生まれの信義だけは変わらない。仲間はあくまで守る。この旧弊にして、まっとうで、今では失われつつある価値観を前提に、少年から老年へと至るエンターテイナーの成長譚を緻密に描いていく。
藤田演出は、現実の舞台をヴィデオカメラが捉えた映像を多数のモニターに映し出す。その乱反射する様子は、まるで万華鏡のような藝能の世界を象徴しているかのようだ。スタッフワークも見直されているが、なかでも照明の精緻さが目立つ。また演技面では、主役以外の俳優の芝居をすきなく演出している。
中川の透明感のある声、キレがあり、しかも揺るぎない所作は、カリスマの輝きを放っている。矢崎はジャージー・ボーイズと一線を画す「外部」を代表し常に客観的な視点を守って的確であった。伊礼は野性とともに、兄貴風を吹かせることでしか自己確認できないトニーを造型した。そして、spiのニックは「ビートルズでリンゴ・スターであること」の悲哀を醸し出していた。
前回よりも、それぞれの個性のぶつかり合い、あえていえば、ヴォーカルであることの自負心と負けん気が強調されている。のちに、フォーシーズンズは、「フランキー・ヴァリとフォーシーズンズ」となる。リード・ヴォーカルとメンバーという立場の違いが鮮明になる。けれども、四人組で新たな楽曲を作り、お互いを競い合っていた時代こそが輝かしかったのだと強いメッセージが伝わってきた。
こうした関係は、この『ジャージー・ボーイズ』のプロダクションの成り立ちと成長と重なり合う。だからこそ、このミュージカルは、懐かしのメロディを愉しむ夕べではなく、まさしく現在を生きるエンターテイナーたちの物語となっているのだった。十月三日まで。
2018年9月25日火曜日
2018年9月9日日曜日
【劇評119】天人の宿命。玉三郎の『幽玄』について
歌舞伎劇評 平成三〇年九月 歌舞伎座夜の部
宿命について考えることがある。
天人もまた、いつかは以前のようには、天を飛び回れない日が訪れる。
秀山祭大歌舞伎夜の部、吉右衛門の『俊寛』が終わり、三十五分間の休憩ののち、坂東玉三郎、花柳寿輔演出・振付の『幽玄』が出た。「新作 歌舞伎舞踊」と角書きがついたこの舞台は、鼓童の太鼓による音楽を背景に、お能の演目「羽衣」「石橋」「道成寺」の歌舞伎舞踊化を試みている。松羽目物とは異なるアプローチで、歌舞伎音楽を使わず、あえて鼓童を起用したところに斬新さがある。
まず、「羽衣」は、天女に玉三郎、歌昇を中心に、萬太郎、種之助ら総勢十一人の伯竜が出る。こうした多人数を伯竜としたのは、玉三郎ならではの舞踊演出である。玉三郎演出は、フォーメーションを重く見る。また、若手花形を盛り立てようとする意志が反映してのものだろう。フォーメーションについていえば、踊り手が動くのは理解出来るが(たとえば『勧進帳』の四天王らの動き)、鼓童のメンバーと太鼓が山台に乗って前後左右に動くのは、いささか作品の感興を削ぐ。清冽にして豪華な衣裳は、玉三郎の美意識あってのことでこれだけでも観賞に値する。照明も含めて行き届いているとわかる。
ただし、能の鳴物を太鼓に置き換えるには、かなりの創意工夫が必要となる。同じ打楽器といっても、裂帛の気合いと間によって成り立つ能楽囃子は、きわめて高度でかつ長い修業が必要である。専門家の指導があっても、佐渡太鼓を発祥とする鼓童の音楽世界には大きな隔たりがあった。視覚的な美意識の透徹と「舞」を支える音楽が、アンバランスな状態で舞台にあった。
続く「石橋」は、獅子物の毛振りを太鼓のビート感にのせて試みてはどうかとの発想だろうか。『春興鏡獅子』をはじめとして歌舞伎の石橋物の毛振りは、必ずといっていいほど観客の拍手を集める。歌昇、萬太郎、種之助、弘太郎、鶴松による踊りに不足はないが、歌舞伎の石橋物にある極限状態への挑戦が伝わってこない。これは鼓童の音楽そのものが、人間の体力が極限へと至るときのカタルシスが主軸となっているためだろう。音楽と毛振りが、お互いがお互いを高めあうようには仕組まれていない。
さらに、「道成寺」だが、かつて玉三郎が見せた数々の道成寺物に郷愁を感じた。『京鹿子娘道成寺』『京鹿子二人娘道成寺』ばかりではない。荻江による『鐘の岬』の静謐と比較しても、残念な結果に終わっている。『京鹿子娘道成寺』の振りが散見されるとともに、長唄の音楽が私自身の頭の中に鳴る。かつて玉三郎がみせた官能のしびれるような美しさがフラッシュバックする。途中、両袖を大胆に遣った振りもあるが、これも違和感がある。こうした折衷案のようなやり方ならば、短い「手習子」をきっちりと観たいと願う。
日本舞踊は身体の緊張感によって成り立っている。これまでも身体的に早く敏捷には踊れなくても、最小限の動きのなかで、緊張感を作りだす名人の舞踊を数々観てきた。玉三郎は、その域にいる歌舞伎役者である。踊りに生涯を賭けてきた名人としての舞台を期待したい。
宿命について考えることがある。
天人もまた、いつかは以前のようには、天を飛び回れない日が訪れる。
秀山祭大歌舞伎夜の部、吉右衛門の『俊寛』が終わり、三十五分間の休憩ののち、坂東玉三郎、花柳寿輔演出・振付の『幽玄』が出た。「新作 歌舞伎舞踊」と角書きがついたこの舞台は、鼓童の太鼓による音楽を背景に、お能の演目「羽衣」「石橋」「道成寺」の歌舞伎舞踊化を試みている。松羽目物とは異なるアプローチで、歌舞伎音楽を使わず、あえて鼓童を起用したところに斬新さがある。
まず、「羽衣」は、天女に玉三郎、歌昇を中心に、萬太郎、種之助ら総勢十一人の伯竜が出る。こうした多人数を伯竜としたのは、玉三郎ならではの舞踊演出である。玉三郎演出は、フォーメーションを重く見る。また、若手花形を盛り立てようとする意志が反映してのものだろう。フォーメーションについていえば、踊り手が動くのは理解出来るが(たとえば『勧進帳』の四天王らの動き)、鼓童のメンバーと太鼓が山台に乗って前後左右に動くのは、いささか作品の感興を削ぐ。清冽にして豪華な衣裳は、玉三郎の美意識あってのことでこれだけでも観賞に値する。照明も含めて行き届いているとわかる。
ただし、能の鳴物を太鼓に置き換えるには、かなりの創意工夫が必要となる。同じ打楽器といっても、裂帛の気合いと間によって成り立つ能楽囃子は、きわめて高度でかつ長い修業が必要である。専門家の指導があっても、佐渡太鼓を発祥とする鼓童の音楽世界には大きな隔たりがあった。視覚的な美意識の透徹と「舞」を支える音楽が、アンバランスな状態で舞台にあった。
続く「石橋」は、獅子物の毛振りを太鼓のビート感にのせて試みてはどうかとの発想だろうか。『春興鏡獅子』をはじめとして歌舞伎の石橋物の毛振りは、必ずといっていいほど観客の拍手を集める。歌昇、萬太郎、種之助、弘太郎、鶴松による踊りに不足はないが、歌舞伎の石橋物にある極限状態への挑戦が伝わってこない。これは鼓童の音楽そのものが、人間の体力が極限へと至るときのカタルシスが主軸となっているためだろう。音楽と毛振りが、お互いがお互いを高めあうようには仕組まれていない。
さらに、「道成寺」だが、かつて玉三郎が見せた数々の道成寺物に郷愁を感じた。『京鹿子娘道成寺』『京鹿子二人娘道成寺』ばかりではない。荻江による『鐘の岬』の静謐と比較しても、残念な結果に終わっている。『京鹿子娘道成寺』の振りが散見されるとともに、長唄の音楽が私自身の頭の中に鳴る。かつて玉三郎がみせた官能のしびれるような美しさがフラッシュバックする。途中、両袖を大胆に遣った振りもあるが、これも違和感がある。こうした折衷案のようなやり方ならば、短い「手習子」をきっちりと観たいと願う。
日本舞踊は身体の緊張感によって成り立っている。これまでも身体的に早く敏捷には踊れなくても、最小限の動きのなかで、緊張感を作りだす名人の舞踊を数々観てきた。玉三郎は、その域にいる歌舞伎役者である。踊りに生涯を賭けてきた名人としての舞台を期待したい。
2018年9月8日土曜日
【劇評118】吉右衛門の、時代、世話を問わぬ高い藝境
歌舞伎劇評 平成30年9月 歌舞伎座
初代吉右衛門の業績をたたえる秀山祭も、今年で十一年目。こうした追善にもあたる興業が毎年行われるのは、二代目吉右衛門の確固たる実力があってのことで、慶賀の至りである。
さて、吉右衛門の出し物は、昼の部は『河内山』、夜の部は『俊寛』で、いずれも昭和の大立者たちが鬼籍に入った後、時代物、世話物ともに歌舞伎の屋台骨を背負っている気迫に充ちている。
気迫にと書いたが、芝居はあくまで自在。時代と世話、台詞のめりはり、描写と情、キマリが押しつけがましくなくさらりしているところ、いずれも舞台を遊ぶ藝境で、『河内山』は上州屋質見世の場からすぐれている。吉三郎の番頭、魁春のおまさ、歌六の清兵衛はいずれもさらさらと流れるような芝居だが、この腕利きを受け流し、ときに圧するように、河内山の吉右衛門は舞台を運んでいく。脇がすぐれていて世話物の息のよさを味到できる。
松江邸広間に移ってからは、新・幸四郎の松江出雲守が充実している。癇性でわがまま、けれど大名の品格を失わない。したたかで、一歩もゆずらぬ河内山に懸命に対抗する肚がいい。又五郎の高木小左衛門の篤実と、主君をいさめる覚悟がすぐれている。歌昇の宮崎数馬も若侍の一途な気持ちにあふれる。進境著しく若手花形を代表する存在になりつつある。吉之丞の北村大膳もこの役の規を守ってあくまで憎々しい。米吉の浪路のういういしさ。
書院の場では、やはり若手の種之助、隼人が神妙に勤める。吉右衛門は絶妙の芝居運びだが「在家の料理は」で出された料理を断り、侍たちを威圧し、暗に金銭を催促するあたりの綱渡りがよい。
玄関先となってからは、「こういう訳だ。聞いてくれ」からの名調子を聞かせる。「馬鹿め」の捨て台詞が効くのは、又五郎、吉之丞、そして幸四郎が場の緊張を支えているからだろう。これほどの水準の舞台が、平成の終わりに、まだ、観ることができる幸福を思う。
朝の『金閣寺』では、長く休養をとっていた福助が、慶寿院尼で出て、短い時間ながら、品格ある舞台を見せた。
夜の部の『俊寛』がまた格別の出来である。
平成二六年九月の俊寛と比較しても、絶望の色が濃い。まず、「出」がいい。不自由で喜びのない孤島の生活のなかで、精神を強く保とうとしている男の懸命なありようが見て取れる。雀右衛門の海女千鳥と菊之助の丹波少将成経の息も合って、情深く、ふたりが睦み合っている様子が伝わってくる。錦之助の平判官康頼も出過ぎず、男三人、女ひとりのささやかな喜びの祝言が進む。菊之助は白塗りの二枚目の役だが、柔和なこなしがあってもいい。都へ帰るまじとする決意がよい。
都から船が来た途端、運命が一転する。又五郎の上使瀬尾が裂帛の気合いで場を圧する。温厚な空気を漂わせる歌六の丹左衛門は、単なる善人に終わっていない。瀬尾に対して、いささかの冷厳さを見せ役の造型が深い。
船が去ってから、吉右衛門の俊寛のひとり芝居となる。前回は、嘆きの深さ、激しさで見せた芝居を淡々たる様子で運んでいく。当代一の名優を観る喜び。花道の浪布、波頭が帰る。盆が回って俊寛は岩にのぼり去って行く船に向かって右の手をのばす。その手が落ちて、岩を押さえる揃った指が白い。圧倒的な孤独が充ちてくる。打っては返す波のように、その孤独に終わりはない。吉右衛門は静かにそう語って、幕となった。
二十六日まで。
初代吉右衛門の業績をたたえる秀山祭も、今年で十一年目。こうした追善にもあたる興業が毎年行われるのは、二代目吉右衛門の確固たる実力があってのことで、慶賀の至りである。
さて、吉右衛門の出し物は、昼の部は『河内山』、夜の部は『俊寛』で、いずれも昭和の大立者たちが鬼籍に入った後、時代物、世話物ともに歌舞伎の屋台骨を背負っている気迫に充ちている。
気迫にと書いたが、芝居はあくまで自在。時代と世話、台詞のめりはり、描写と情、キマリが押しつけがましくなくさらりしているところ、いずれも舞台を遊ぶ藝境で、『河内山』は上州屋質見世の場からすぐれている。吉三郎の番頭、魁春のおまさ、歌六の清兵衛はいずれもさらさらと流れるような芝居だが、この腕利きを受け流し、ときに圧するように、河内山の吉右衛門は舞台を運んでいく。脇がすぐれていて世話物の息のよさを味到できる。
松江邸広間に移ってからは、新・幸四郎の松江出雲守が充実している。癇性でわがまま、けれど大名の品格を失わない。したたかで、一歩もゆずらぬ河内山に懸命に対抗する肚がいい。又五郎の高木小左衛門の篤実と、主君をいさめる覚悟がすぐれている。歌昇の宮崎数馬も若侍の一途な気持ちにあふれる。進境著しく若手花形を代表する存在になりつつある。吉之丞の北村大膳もこの役の規を守ってあくまで憎々しい。米吉の浪路のういういしさ。
書院の場では、やはり若手の種之助、隼人が神妙に勤める。吉右衛門は絶妙の芝居運びだが「在家の料理は」で出された料理を断り、侍たちを威圧し、暗に金銭を催促するあたりの綱渡りがよい。
玄関先となってからは、「こういう訳だ。聞いてくれ」からの名調子を聞かせる。「馬鹿め」の捨て台詞が効くのは、又五郎、吉之丞、そして幸四郎が場の緊張を支えているからだろう。これほどの水準の舞台が、平成の終わりに、まだ、観ることができる幸福を思う。
朝の『金閣寺』では、長く休養をとっていた福助が、慶寿院尼で出て、短い時間ながら、品格ある舞台を見せた。
夜の部の『俊寛』がまた格別の出来である。
平成二六年九月の俊寛と比較しても、絶望の色が濃い。まず、「出」がいい。不自由で喜びのない孤島の生活のなかで、精神を強く保とうとしている男の懸命なありようが見て取れる。雀右衛門の海女千鳥と菊之助の丹波少将成経の息も合って、情深く、ふたりが睦み合っている様子が伝わってくる。錦之助の平判官康頼も出過ぎず、男三人、女ひとりのささやかな喜びの祝言が進む。菊之助は白塗りの二枚目の役だが、柔和なこなしがあってもいい。都へ帰るまじとする決意がよい。
都から船が来た途端、運命が一転する。又五郎の上使瀬尾が裂帛の気合いで場を圧する。温厚な空気を漂わせる歌六の丹左衛門は、単なる善人に終わっていない。瀬尾に対して、いささかの冷厳さを見せ役の造型が深い。
船が去ってから、吉右衛門の俊寛のひとり芝居となる。前回は、嘆きの深さ、激しさで見せた芝居を淡々たる様子で運んでいく。当代一の名優を観る喜び。花道の浪布、波頭が帰る。盆が回って俊寛は岩にのぼり去って行く船に向かって右の手をのばす。その手が落ちて、岩を押さえる揃った指が白い。圧倒的な孤独が充ちてくる。打っては返す波のように、その孤独に終わりはない。吉右衛門は静かにそう語って、幕となった。
二十六日まで。
【劇評117】アーティストとアルチザン。野田秀樹『贋作・桜の森の満開の下』をめぐって
現代演劇劇評 平成三〇年九月 東京芸術劇場プレイハウス
『贋作・桜の森の満開の下』は、私にとっても思い出深い演目である。
夢の遊眠社の公演として行われた一九八九年の日本青年館と南座、九二年の日本青年感と中座。いずれの舞台も観ている。東京での公演はもとより、なぜ関西まで観に行ったのか、今は記憶に定かではないが、伝統演劇の劇場でこの作品がいかに変容するかを観たかったのだろう。
また、十七年前、新国立劇場の中劇場で行われた公演と、つい昨年、歌舞伎座で行われた歌舞伎役者による公演もまた、記憶に刻まれている。そしてまた、時を置かずに今回の再演である。さまざまな偶然が働いているのだろうけれど、野田秀樹自身にとって『贋作・桜の森の満開の下』が重要な作品、いや愛すべき作品に位置づけられているのは間違いない。
二○〇一年の公演について、私は以下のように書いた。
「『贋作・桜の森の満開の下』は、アーティスト耳男が、芸術の源泉となるちからを探索し、発見する物語でもある」
この断言は、今回の東京芸術劇場の公演では、見事に裏切られた。夢の遊眠社の初演、再演では、野田秀樹が耳男を務めた。無邪気で幼い面を残した耳男で、野田の役柄のなかでも出色だといえる。けれども、野田は夢の遊眠社の舞台で、作・演出を兼ねており、知識人としての顔が舞台にほのみえるのはいたしかなたない。
耳男の役は、二○○一年では、堤真一、一七年では中村勘九郎、さらに今回は妻夫木聡が勤めている。アーティスト耳男といってしまえば、十九世紀以降の芸術家が思い出される。しかし、妻夫木はこの耳男役を純粋に飛騨の匠として捉えている。すなわち、アーティスト、芸術家ではなく、匠、アルチザンとしての耳男が鮮明になった。深津絵里は〇一年、十八年と共通して夜長姫を勤めている。天性の素質から、地獄の釜の蓋をあけることにためらいのない高貴な娘を自在に演じている。この演技の進化を受けて、妻夫木はミューズたる女性に翻弄されたあげく、匠としての意地と野望に燃える男を造型した。
さらに今回の公演ではオオアマに天海祐希を配している。大和朝廷の確立者としてのちの天智天皇となるこのクニツクリの設計者を、天海は雄大なスケールで描き出した。特に冒頭の演技は、明らかに宝塚の男役の演技スタイルを意識している。高貴で汚れがなく、しかも品位があり智勇にすぐれた人間を描くのには、様式的な演技スタイルが向いている。天海は一九九五年に宝塚を退団して時間は経過しているが、その身体に埋めこまれた自立する力は今も輝きを失っていない。
今回の公演は、日本の演劇界を代表する俳優が揃って出演している。古田新太のマナコには、人生の裏街道を歩く人間の屈折が色濃い。ハンニャの秋山菜津子、青名人の大倉孝二、赤名人の藤井隆は、人間たちから疎外された鬼たちを個性豊かに演じている。今回の公演では、社会が常に鬼のような存在を作りだして、周縁へと追放していく構造がよく見えた。
さらにエナコの村岡希美、エンマの池田成志、アナマロの銀粉蝶は、ベテランならではの安定感がある。しかもその実力に安閑とせずに、過激なアイデアを追求していく意欲にあふれていた。
早寝姫に門脇麦。夜長姫と対になる何役だが、ついには死に追い込まれていく影の存在の哀しさが伝わってきた。
ヒダの王は野田秀樹。野田は、消え去っていく王、廃王にことさら心を寄せているのだろうか。王としての威厳ばかりではなく、権力者がその座を追われたときの弱さが感じられた。
九月の終わりには、パリのシャイヨー宮国立劇場での公演が待っているという。この作品がいかにフランスの観客に迎えられるのか、愉しみに思えてきた。アーティストとアルチザンの違いは、おそらく日本よりフランスの方が鮮明だろうと思う。職人が仕事を徹底して追求するとき、ついには芸術的な領域へと踊り込んでいく不思議が、フランスでは理解されるような気がしてならない。九月十二日まで。パリは九月二十八日から十月三日まで。帰国して後、大阪、北九州、東京公演と続く。大千穐楽は、十一月二十五日、東京芸術劇場プレイハウス。
『贋作・桜の森の満開の下』は、私にとっても思い出深い演目である。
夢の遊眠社の公演として行われた一九八九年の日本青年館と南座、九二年の日本青年感と中座。いずれの舞台も観ている。東京での公演はもとより、なぜ関西まで観に行ったのか、今は記憶に定かではないが、伝統演劇の劇場でこの作品がいかに変容するかを観たかったのだろう。
また、十七年前、新国立劇場の中劇場で行われた公演と、つい昨年、歌舞伎座で行われた歌舞伎役者による公演もまた、記憶に刻まれている。そしてまた、時を置かずに今回の再演である。さまざまな偶然が働いているのだろうけれど、野田秀樹自身にとって『贋作・桜の森の満開の下』が重要な作品、いや愛すべき作品に位置づけられているのは間違いない。
二○〇一年の公演について、私は以下のように書いた。
「『贋作・桜の森の満開の下』は、アーティスト耳男が、芸術の源泉となるちからを探索し、発見する物語でもある」
この断言は、今回の東京芸術劇場の公演では、見事に裏切られた。夢の遊眠社の初演、再演では、野田秀樹が耳男を務めた。無邪気で幼い面を残した耳男で、野田の役柄のなかでも出色だといえる。けれども、野田は夢の遊眠社の舞台で、作・演出を兼ねており、知識人としての顔が舞台にほのみえるのはいたしかなたない。
耳男の役は、二○○一年では、堤真一、一七年では中村勘九郎、さらに今回は妻夫木聡が勤めている。アーティスト耳男といってしまえば、十九世紀以降の芸術家が思い出される。しかし、妻夫木はこの耳男役を純粋に飛騨の匠として捉えている。すなわち、アーティスト、芸術家ではなく、匠、アルチザンとしての耳男が鮮明になった。深津絵里は〇一年、十八年と共通して夜長姫を勤めている。天性の素質から、地獄の釜の蓋をあけることにためらいのない高貴な娘を自在に演じている。この演技の進化を受けて、妻夫木はミューズたる女性に翻弄されたあげく、匠としての意地と野望に燃える男を造型した。
さらに今回の公演ではオオアマに天海祐希を配している。大和朝廷の確立者としてのちの天智天皇となるこのクニツクリの設計者を、天海は雄大なスケールで描き出した。特に冒頭の演技は、明らかに宝塚の男役の演技スタイルを意識している。高貴で汚れがなく、しかも品位があり智勇にすぐれた人間を描くのには、様式的な演技スタイルが向いている。天海は一九九五年に宝塚を退団して時間は経過しているが、その身体に埋めこまれた自立する力は今も輝きを失っていない。
今回の公演は、日本の演劇界を代表する俳優が揃って出演している。古田新太のマナコには、人生の裏街道を歩く人間の屈折が色濃い。ハンニャの秋山菜津子、青名人の大倉孝二、赤名人の藤井隆は、人間たちから疎外された鬼たちを個性豊かに演じている。今回の公演では、社会が常に鬼のような存在を作りだして、周縁へと追放していく構造がよく見えた。
さらにエナコの村岡希美、エンマの池田成志、アナマロの銀粉蝶は、ベテランならではの安定感がある。しかもその実力に安閑とせずに、過激なアイデアを追求していく意欲にあふれていた。
早寝姫に門脇麦。夜長姫と対になる何役だが、ついには死に追い込まれていく影の存在の哀しさが伝わってきた。
ヒダの王は野田秀樹。野田は、消え去っていく王、廃王にことさら心を寄せているのだろうか。王としての威厳ばかりではなく、権力者がその座を追われたときの弱さが感じられた。
九月の終わりには、パリのシャイヨー宮国立劇場での公演が待っているという。この作品がいかにフランスの観客に迎えられるのか、愉しみに思えてきた。アーティストとアルチザンの違いは、おそらく日本よりフランスの方が鮮明だろうと思う。職人が仕事を徹底して追求するとき、ついには芸術的な領域へと踊り込んでいく不思議が、フランスでは理解されるような気がしてならない。九月十二日まで。パリは九月二十八日から十月三日まで。帰国して後、大阪、北九州、東京公演と続く。大千穐楽は、十一月二十五日、東京芸術劇場プレイハウス。