2018年9月9日日曜日

【劇評119】天人の宿命。玉三郎の『幽玄』について

 歌舞伎劇評 平成三〇年九月 歌舞伎座夜の部

宿命について考えることがある。
天人もまた、いつかは以前のようには、天を飛び回れない日が訪れる。
秀山祭大歌舞伎夜の部、吉右衛門の『俊寛』が終わり、三十五分間の休憩ののち、坂東玉三郎、花柳寿輔演出・振付の『幽玄』が出た。「新作 歌舞伎舞踊」と角書きがついたこの舞台は、鼓童の太鼓による音楽を背景に、お能の演目「羽衣」「石橋」「道成寺」の歌舞伎舞踊化を試みている。松羽目物とは異なるアプローチで、歌舞伎音楽を使わず、あえて鼓童を起用したところに斬新さがある。
まず、「羽衣」は、天女に玉三郎、歌昇を中心に、萬太郎、種之助ら総勢十一人の伯竜が出る。こうした多人数を伯竜としたのは、玉三郎ならではの舞踊演出である。玉三郎演出は、フォーメーションを重く見る。また、若手花形を盛り立てようとする意志が反映してのものだろう。フォーメーションについていえば、踊り手が動くのは理解出来るが(たとえば『勧進帳』の四天王らの動き)、鼓童のメンバーと太鼓が山台に乗って前後左右に動くのは、いささか作品の感興を削ぐ。清冽にして豪華な衣裳は、玉三郎の美意識あってのことでこれだけでも観賞に値する。照明も含めて行き届いているとわかる。
ただし、能の鳴物を太鼓に置き換えるには、かなりの創意工夫が必要となる。同じ打楽器といっても、裂帛の気合いと間によって成り立つ能楽囃子は、きわめて高度でかつ長い修業が必要である。専門家の指導があっても、佐渡太鼓を発祥とする鼓童の音楽世界には大きな隔たりがあった。視覚的な美意識の透徹と「舞」を支える音楽が、アンバランスな状態で舞台にあった。
続く「石橋」は、獅子物の毛振りを太鼓のビート感にのせて試みてはどうかとの発想だろうか。『春興鏡獅子』をはじめとして歌舞伎の石橋物の毛振りは、必ずといっていいほど観客の拍手を集める。歌昇、萬太郎、種之助、弘太郎、鶴松による踊りに不足はないが、歌舞伎の石橋物にある極限状態への挑戦が伝わってこない。これは鼓童の音楽そのものが、人間の体力が極限へと至るときのカタルシスが主軸となっているためだろう。音楽と毛振りが、お互いがお互いを高めあうようには仕組まれていない。
さらに、「道成寺」だが、かつて玉三郎が見せた数々の道成寺物に郷愁を感じた。『京鹿子娘道成寺』『京鹿子二人娘道成寺』ばかりではない。荻江による『鐘の岬』の静謐と比較しても、残念な結果に終わっている。『京鹿子娘道成寺』の振りが散見されるとともに、長唄の音楽が私自身の頭の中に鳴る。かつて玉三郎がみせた官能のしびれるような美しさがフラッシュバックする。途中、両袖を大胆に遣った振りもあるが、これも違和感がある。こうした折衷案のようなやり方ならば、短い「手習子」をきっちりと観たいと願う。
日本舞踊は身体の緊張感によって成り立っている。これまでも身体的に早く敏捷には踊れなくても、最小限の動きのなかで、緊張感を作りだす名人の舞踊を数々観てきた。玉三郎は、その域にいる歌舞伎役者である。踊りに生涯を賭けてきた名人としての舞台を期待したい。