歌舞伎劇評 平成30年9月 歌舞伎座
初代吉右衛門の業績をたたえる秀山祭も、今年で十一年目。こうした追善にもあたる興業が毎年行われるのは、二代目吉右衛門の確固たる実力があってのことで、慶賀の至りである。
さて、吉右衛門の出し物は、昼の部は『河内山』、夜の部は『俊寛』で、いずれも昭和の大立者たちが鬼籍に入った後、時代物、世話物ともに歌舞伎の屋台骨を背負っている気迫に充ちている。
気迫にと書いたが、芝居はあくまで自在。時代と世話、台詞のめりはり、描写と情、キマリが押しつけがましくなくさらりしているところ、いずれも舞台を遊ぶ藝境で、『河内山』は上州屋質見世の場からすぐれている。吉三郎の番頭、魁春のおまさ、歌六の清兵衛はいずれもさらさらと流れるような芝居だが、この腕利きを受け流し、ときに圧するように、河内山の吉右衛門は舞台を運んでいく。脇がすぐれていて世話物の息のよさを味到できる。
松江邸広間に移ってからは、新・幸四郎の松江出雲守が充実している。癇性でわがまま、けれど大名の品格を失わない。したたかで、一歩もゆずらぬ河内山に懸命に対抗する肚がいい。又五郎の高木小左衛門の篤実と、主君をいさめる覚悟がすぐれている。歌昇の宮崎数馬も若侍の一途な気持ちにあふれる。進境著しく若手花形を代表する存在になりつつある。吉之丞の北村大膳もこの役の規を守ってあくまで憎々しい。米吉の浪路のういういしさ。
書院の場では、やはり若手の種之助、隼人が神妙に勤める。吉右衛門は絶妙の芝居運びだが「在家の料理は」で出された料理を断り、侍たちを威圧し、暗に金銭を催促するあたりの綱渡りがよい。
玄関先となってからは、「こういう訳だ。聞いてくれ」からの名調子を聞かせる。「馬鹿め」の捨て台詞が効くのは、又五郎、吉之丞、そして幸四郎が場の緊張を支えているからだろう。これほどの水準の舞台が、平成の終わりに、まだ、観ることができる幸福を思う。
朝の『金閣寺』では、長く休養をとっていた福助が、慶寿院尼で出て、短い時間ながら、品格ある舞台を見せた。
夜の部の『俊寛』がまた格別の出来である。
平成二六年九月の俊寛と比較しても、絶望の色が濃い。まず、「出」がいい。不自由で喜びのない孤島の生活のなかで、精神を強く保とうとしている男の懸命なありようが見て取れる。雀右衛門の海女千鳥と菊之助の丹波少将成経の息も合って、情深く、ふたりが睦み合っている様子が伝わってくる。錦之助の平判官康頼も出過ぎず、男三人、女ひとりのささやかな喜びの祝言が進む。菊之助は白塗りの二枚目の役だが、柔和なこなしがあってもいい。都へ帰るまじとする決意がよい。
都から船が来た途端、運命が一転する。又五郎の上使瀬尾が裂帛の気合いで場を圧する。温厚な空気を漂わせる歌六の丹左衛門は、単なる善人に終わっていない。瀬尾に対して、いささかの冷厳さを見せ役の造型が深い。
船が去ってから、吉右衛門の俊寛のひとり芝居となる。前回は、嘆きの深さ、激しさで見せた芝居を淡々たる様子で運んでいく。当代一の名優を観る喜び。花道の浪布、波頭が帰る。盆が回って俊寛は岩にのぼり去って行く船に向かって右の手をのばす。その手が落ちて、岩を押さえる揃った指が白い。圧倒的な孤独が充ちてくる。打っては返す波のように、その孤独に終わりはない。吉右衛門は静かにそう語って、幕となった。
二十六日まで。