2015年8月30日日曜日

【閑話休題21】年表作成が終わり、死が過去になった

「天才と名人」(仮題)の書き下ろしために、
執筆と並行してふたりを比較対照する年表作りをしてきた。
それぞれの活動がわかるだけではなく、共演の月や演目が一目瞭然となる。
また、私が劇評を執筆した公演も
書き込んでいくと考えさせられることが多い。この二ヶ月、毎日、毎日進めてきたが、昨日、ようやくというべきか、
それとも、ついにというべきか平成27年にまで達してしまった。
勿論、年表が完成したのはうれしいけれど、
ほぼ同年齢の私にとっては、死が急に間近に見えてきた。

夏風邪を引いたらしく、今日は用事を辞退させてもらって家にいる。
ネット中継で国会前の中継を見ると、雨交じりの天気にもかかわらず、
戦争法案に反対する若い世代、いや幅広い世代が抗議行動を続けている。
民主主義を失わない強い意志を感じた。

勘三郎や三津五郎とは、政治向きの話をしたことはないが、
まだ、存命だったらどんなことをいうのだろう。
あの世に無線電話、いや携帯を掛けてみたくなった。

2015年8月25日火曜日

【閑話休題20】歌昇、種之助が地力を示した勉強会

土曜に続いて月曜も三宅坂の国立小劇場で勉強会。又五郎を父にもつ歌昇、種之助が清新な勉強会を開いた。
荒事に才能を示してきた歌昇が、本格的な義太夫狂言に挑む『毛谷村』。
お園に芝雀、微塵弾正に松緑、お幸に京紫。しかも竹本は葵太夫という完璧な布陣で臨む。
歌昇は、なにより竹本の詞章をよく聞いているのがよく、男ひとりでいたいけない子供を抱えている淋しさ、そして優しさがにじむ六助だった。
妙にあてこむところがなく、弾正の悪行があばかれ仇討ちを決意してからも、無理に力まず、張るべきところは張っている。
田舎住まいの純朴さ、その性根を最後まで失わない。言いかえれば、後半、急に武士としての貫禄を示したくなるところだが、
きちんと自分を律する賢さがあって好ましい。吉右衛門の指導、父の訓育があってのことで、初役として次へ向けた階段を上った。

さて種之助の『船弁慶』。いわずとしれた舞踊劇の大曲だが、出色の出来だった。期待の若武者颯爽たる出陣である。
又五郎の弁慶、染五郎の義経、長唄は里長、鳴り物は伝左衛門と本興行でも揃わない布陣でこれもまた恵まれている。
前シテの静は、出からよい。兄頼朝に追われて流浪の身の義経。別れを予感して沈んだ心を飼い慣らそうとこらえる。
その悲しみが舞台に静かにしみ通っていった。愛妾の身の孤独があふれんばかり。
続いて後シテになってからも、内に気をためて大きさが出た。
知盛の霊の怨念には乏しいが、力感、体のキレともに過不足ない。幕外も小気味よい。
正月浅草の『猩猩』と比べても、たった半年あまりでまたしても成長している。
今後の活躍が期待されるが、女方の踊り、しかも大曲を第二回には観てみたい。
『藤娘』などいいだろうなと思わせるだけの力量を示したのだった。

2015年8月23日日曜日

【閑話休題19】勉強会のすがすがしさ

昨日夕方、国立劇場小劇場で行われた研の會に行った。
尾上右近の勉強会で、『義経千本桜』の「吉野山」の忠信実は源九郎狐と『春興鏡獅子』の小姓弥生のちに獅子の精を踊った。
「吉野山」の静は、市川猿之助。ぎっしり満員の客席で、なによりだった。
右近は言わずと知れた名子役の岡村研祐だが、近年は菊五郎のもとで、女方を中心に修業している。
その成果もあって、今回の踊り二題では、きっちりとまっすぐに踊ってすがすがしい。
そればかりではなく、ほのかな色気がそなわってきている。
生来、器用だと思うがそれを表に出さずに、しっかり自分を見つめているのがわかる。
欲をいえば、踊りとしての完成度とともに、役になりきる姿勢があっていい。
「吉野山」の舞台面は、華やかだが、静に付き従う狐の悲しみが底流にある。
「鏡獅子」は、獅子の精に身体を突き動かされた弥生のよるべなさが観たい。
巧い踊りから、見せる踊りへ迫っていくところが、今回の課題となった。

勘三郎と三津五郎の年表がほぼ完成しつつある。
ふたりは確かに納涼歌舞伎が立ち上がるまでは、本格的な役に恵まれなかった。
そのなかで「勘九郎の会」「登舞の会」を開き、よく勉強している。
猿之助の今日の成功は、なんと十回を数えた「亀治郎の会」あってのことだと思う。
右近さんは才能にめぐまれているだけに、あせらず本格の役者に成長してほしいと願った。

2015年8月15日土曜日

【劇評25】勘九郎、七之助、巳之助らの清新

 歌舞伎劇評 平成二十五年八月 歌舞伎座
今年も納涼歌舞伎の八月がやってきた。勘三郎ばかりではなく、三津五郎もいない。その哀しさ、淋しさを振り払うように、若い世代が力いっぱい舞台を勤めている。
第一部は、七之助のおちくぼの君、隼人の左近少将、巳之助の帯刀、新悟の阿漕が清新な芝居を見せる。中世の落窪物語が原作だが、実質は平安時代の衣装をつけた現代劇。継子イジメにあうおちくぼの君が晴れて左近の少将に迎えられるシンデレラ物語だ。
七之助は絶望的な状況でも健気に生きる少女を活写する。隼人は爽やかな公達ぶりだが、いかんせん上背があり、衣装の着付に難がある。純古典の演目ではないだけに、色柄に独自の選択があってもよいのではないか。巳之助と新悟は、ときに剽軽なやりとりを難なくこなす。芝居心があるからだろう。亀蔵、高麗蔵、彌十郎のベテランが劇を底支えした。
勘九郎の次郎冠者、巳之助の太郎冠者、彌十郎の曽根松兵衛。勘三郎と三津五郎の当り狂言を継承したかたちだが、冒頭の十五分がむずかしい。春風駘蕩たる空気を醸成するのはなまなかなことではない。酔い始めてからも、勘九郎、巳之助ともに「演技としての酔い」が立ってしまっている。このコンビで長く踊り続けることによって、次第に成熟していくのだろう。
第二部は橋之助の『逆櫓』。松右衛門実は樋口次郎兼光だが、大きさはあるが貫目が足りない。義太夫の詞章をよく踏まえた舞台でありたい。時代物の次を担っていく橋之助だけに、遙かな高みを望みたい。女房のおよしはさすがに今の児太郎には荷が重すぎた。彌十郎の権四郎、扇雀のお筆。時代物には脇もまた年輪と経験が求められる。脇が揃ってこそ芯となる松右衛門の特に前半の芝居が生きてくる。
続く『京人形』は遊び心あふれるファンタジー。勘九郎の左甚五郎、新悟の女房おとく、七之助の京人形の精。柄にはまって、よくまとまっている。ただし、踊りとしての妙味に乏しく、後半、立廻りとなるまでが厳しい。洒落を愉しむ職人とその女房の粋を感じさせたい。
第三部は、『棒しばり』と同様、十世坂東三津五郎に捧ぐと副題のついた『芋掘長者』。治六郎を勤めてきた橋之助が藤五郎に回り、巳之助が治六郎に。藤五郎、治六郎がお互いを思いやる気持ちが伝わってくる舞台となった。いずれ巳之助が藤五郎に回り、あえてへたくそに見える踊りを踊る日がくるのだろう。愉しみになってきた。秀調の後室にさすがの安定感。七之助の緑御前は息をのむほどの美しさ。
切りは『祗園恋づくし』。さすがに小幡欣治の作だけあって、人物配置がうまく、戯曲の力で役者を生かす。扇雀の大津屋次郎八と女房おつぎの演じ分けがおもしろい。勘九郎が戯画化された江戸っ子留五郎を巧みに演じた。こうしたときに喜劇センスのあるなしがよくわかるが、七之助のあっけらかんとした当世風の芸者染香。巳之助の手代文吉は、台詞だけではなく、身体の表情がおもしろい。代役の鶴松のおそのもお嬢様らしいおっとりとした様子を見せる。歌女之丞、高麗蔵、彌十郎のいぶし銀のような芝居があってこその新作だ。

2015年8月9日日曜日

【閑話休題18】勘三郎と三津五郎の納涼歌舞伎

8月の1日に、納涼歌舞伎を記念して、勘三郎と三津五郎についての書き下ろし執筆に入った。
あれから10日、ようやく400字詰で70枚を超えた。このあたりまでは、
私自身が子供で舞台を観ていないか、観ていても鑑賞眼などなかったので、
どうしても資料に頼らざるをえないので、本の山に埋まっていました。

ようやく時期も昭和の終わりから平成に入り、納涼歌舞伎が始まった時代に差しかかりました。
私自身は現代演劇の劇評家でしたが、徐々に本人たちとの接触がはじまります。

たぶん、このあたりで筆致がどうして変わっていくので、
書き進めるのが慎重になってしまいます。

けれど手元の日記やメモ、自分が書いたインタビュー記事や劇評をもとに、
ふたりのことを書き継ぐのは楽しい。

この夏休みは、ふたりから与えられた楽しみを、大切に味わいたいと思っています。

平成二十年、納涼歌舞伎について演劇界に寄稿した原稿で私はこんなことを書いています。

「勘三郎、三津五郎という大きな名跡を継承し、五十の坂を越えたふたりにとって、こうした役は、もはや八月でなくとも、その身にふさわしい。
観客にとっておもしろく、なお実験の場でもある。こうした納涼歌舞伎の精神は受け継がれ、遠からず、納涼歌舞伎もそのかたちを自ら変えていくことになるのだろう。
平成二年から、もう二十年の年月が過ぎた。強い期待を集めていたふたりは、ひとかどの役者になりおおせたのである。
その道筋で、納涼歌舞伎がどんな役割を果たしたかは、八月の公演を愉しみにしてきた観客がよく知っている」

遠い昔をみるような気持ちになりました。

2015年8月3日月曜日

【閑話休題17】天才と名人 勘三郎と三津五郎

『天才と名人 勘三郎と三津五郎の短すぎた人生』(仮題)で、
ほほ同世代にあたるふたりの藝に生きた人生をたどる試みをはじめました。

先月来、書き下ろしのために、年表作りをしてきました。
七月中に年表の完成を予定していましたが、ふたりの仕事量は精力的で、
なかなか終わりまでいきません。
なので八月一日より、年表制作と平行して原稿の執筆に取りかかりました。

『天才と名人 勘三郎と三津五郎の短すぎ人生』(仮題)で、
ほほ同世代にあたるふたりの藝に生きた人生をたどる試みです。

今回の執筆にあたって、このふたりについて書いた原稿を集めたのですが、
自分でも驚くほどふたりについて劇評を書き、インタビューをしてきたことがわかりました。
今回の書き下ろしは、すでに書いた評論やインタビューも折り込み、
私の劇評家としての集大成となればと願っています。

先週、文春の編集者と打ち合わせをしたのですが、
2月の三津五郎さんの命日には、書店に並ぶように、
執筆を進めたいと思っています。

まだ三日目で、400字詰め原稿用紙30枚あまりにすぎませんが、
このふたりについては、書くべきことがたくさんあるのが実感できました。

むしろ、いかに枚数を絞り込むかのほうが大変です。

厳しい暑さが続いています。
しばらくは家に籠もって、この仕事に専心するつもりです。
どうぞ、ご期待ください。