土曜に続いて月曜も三宅坂の国立小劇場で勉強会。又五郎を父にもつ歌昇、種之助が清新な勉強会を開いた。
荒事に才能を示してきた歌昇が、本格的な義太夫狂言に挑む『毛谷村』。
お園に芝雀、微塵弾正に松緑、お幸に京紫。しかも竹本は葵太夫という完璧な布陣で臨む。
歌昇は、なにより竹本の詞章をよく聞いているのがよく、男ひとりでいたいけない子供を抱えている淋しさ、そして優しさがにじむ六助だった。
妙にあてこむところがなく、弾正の悪行があばかれ仇討ちを決意してからも、無理に力まず、張るべきところは張っている。
田舎住まいの純朴さ、その性根を最後まで失わない。言いかえれば、後半、急に武士としての貫禄を示したくなるところだが、
きちんと自分を律する賢さがあって好ましい。吉右衛門の指導、父の訓育があってのことで、初役として次へ向けた階段を上った。
さて種之助の『船弁慶』。いわずとしれた舞踊劇の大曲だが、出色の出来だった。期待の若武者颯爽たる出陣である。
又五郎の弁慶、染五郎の義経、長唄は里長、鳴り物は伝左衛門と本興行でも揃わない布陣でこれもまた恵まれている。
前シテの静は、出からよい。兄頼朝に追われて流浪の身の義経。別れを予感して沈んだ心を飼い慣らそうとこらえる。
その悲しみが舞台に静かにしみ通っていった。愛妾の身の孤独があふれんばかり。
続いて後シテになってからも、内に気をためて大きさが出た。
知盛の霊の怨念には乏しいが、力感、体のキレともに過不足ない。幕外も小気味よい。
正月浅草の『猩猩』と比べても、たった半年あまりでまたしても成長している。
今後の活躍が期待されるが、女方の踊り、しかも大曲を第二回には観てみたい。
『藤娘』などいいだろうなと思わせるだけの力量を示したのだった。