2015年7月20日月曜日

【閑話休題16】「学者100人記者会見」に参加します。

25歳で雑誌「新劇」に劇評を書き始めてからもう、33年になる。
ずいぶん長い間、新聞や雑誌に原稿を書いてきた。この10年は、インターネット上で活動することも増えてきた。
ただ、執筆してきたのは、主に演劇とその周辺に限られる。ときに、政治的な主張が盛り込まれた舞台について書くとき、
私自身の立場を明らかにしたことはあるが、それも例外に過ぎない。
ほとんどの場合、私自身は物書きとして、政治的には、沈黙してきたことになる。

ただ、20年ほど前から教壇に立つようになった。はじめは中央大学の総合政策学部で、現代哲学を教えていた。
はじめての講義の日、まだ4月なのに緊張のためにシャツの背が汗でびっしょりになったのを思い出す。
私なりに、大学人となったことについて自負と責任を持った。

今でもありありと思い出す。
このとき、大学から戦場へ学生を送り出すようなことがあってはならないと考えた。
第二次世界大戦を振り返るとき、大学人として省みなければならないのは、
学生が、大人達の妄想や狂騒によって、戦場に駆り立てられていったことだと思った。
この考えは、折々にふれて、教壇から学生に語ってきた。

安全保障関連法案が衆院を通過した。
このまま黙視することはできない。
はじめて教壇に立った日の決意を改めて思い返す。

今日の夕方17時から「学者100人記者会見」に参加します。
http://anti-security-related-bill.jp/

2015年7月13日月曜日

【劇評24】海老蔵の藝域とその未来について

 【歌舞伎劇評】平成二十七年七月 歌舞伎座
海老蔵は、『勧進帳』の弁慶、『助六由縁江戸桜』の助六、『伽羅先代萩』の仁木弾正など輝かしい肉体のなかに埋蔵されている野性を解放することで評価を得てきた。その野性を発揮するべき演目は限られるために、藝域を広げられず、やむなく停滞していると感じてきた。今月の歌舞伎座で見せた海老蔵の芝居は、垂れ込めた曇り空を払う気概に満ちていて、難点はあるものの面白く観た。
まず昼の部は『与話情浮名横櫛』の与三郎だが、「見染め」は宿命の恋に落ちた坊ちゃんの空気感をよく出していた。平成十六年、平成十九年の与三郎と比べても、おっとりとした育ちが無理なく伝わってくる。
「源氏店」は、まず、玉三郎が極上のお富を見せる。湯上がりの風情といい、雨宿りする藤八(猿弥)との軒先のこなしといい、家内に入ってからの化粧を直しながらの台詞に囲い者の倦怠がある。この丁寧な仕事を受けて、蝙蝠安(獅童)と海老蔵が登場する。門口の外での退屈そうなそぶりに、強請り騙りに成り下がっても、なおも純な心を失わない男の愛嬌が感じられた。与三郎は元々、いい役者が、いい男に成りおうせるかが勝負である。台詞回しに問題があるにしても、この輝きはかけがえのないものと思う。玉三郎が海老蔵に良質の緊張感を与えているのがわかる。
多左衛門は中車だが、心理主義では解けない役柄は意外にむずかしい。獅童は生なリアリズムで勝負するしかないために、全体の空気を乱している。登場する役すべてが醸し出す場の空気が重要な芝居なのだと、改めて実感させられた。
昼の部は他に梅玉の円熟が見物の『南総里見八犬伝』と、猿之助が六変化をみせて女形に精彩がある『蜘蛛糸梓弦』。
夜の部の『熊谷陣屋』は、吉右衛門に教わったと聞くが、海老蔵が規矩正しく演じようと心がけているのがわかる。弥陀六の左團次、相模の芝雀、魁春の藤の方、梅玉の義経と現在望むべき最高の布陣を得て、ここで成果を出さなければいつ出すというのか。そんなプレッシャーのなかで、一子、小次郎を犠牲にした男の絶望がよく出ていた。また、「出」ののち本舞台にかかり、相模を叱るくだりから、この夫婦が平坦な道のりを歩いてきたわけではないとわかる。この点がすぐれている。芝雀、会心の相模であり、歌舞伎座の立女形としてのたしなみが備わってきた。左團次がまた、いい。世にまじらわず、内省を重ねつつ生きてきた元武士。その枯淡の境地がしみじみと伝わってくる。ここに至って、ついに澄んだ藝境をこの役者は手に入れたといっていだろうと思う。
墨染めの衣となってからは、さすがに海老蔵の年齢では、武将としての生を断念した諦観を示すのはむずかしい。けれども幕外に出てからがよく、「十六年は一昔、夢だ」も無理に張らず、観客の心に届けた。海老蔵がさらに藝域を広げて、古典の継承をまっすぐに進める転機となるべき七月となった。
夜の部は玉三郎演出による『通し狂言 怪談牡丹灯籠』。大西信行の脚本だが、第二幕、お国のくだりを大胆に整理し、伴蔵(中車)と女房お峰(玉三郎)のもつれ合った人生をしみじみと見せた。中車は玉三郎という場の見える演出家を得て、のびのびと芝居をしている。これほど安定した中車を観るのははじめてで、この顔合わせで『刺青奇偶』を観たいと思った。押せば引き、引けば押す。芝居の緩急にすぐれている。
狂言回しの円朝は猿之助。本職の落語家の技巧には及ばないが、ないものねだりというもの。鏑木清方の円朝像からよく盗んで、思わず、にやりとさせられた。二十七日まで。

2015年7月12日日曜日

【劇評23】時代物の立役として 菊之助の進境

 【歌舞伎劇評】平成二十七年七月 国立劇場
「柄があっている」とか「仁にない」といいならわす。柄は身体的な条件だろうし、仁は本質的な性向を指している。菊之助は、これまで女形と二枚目を中心に役を勤めてきたこともあって、『義経千本桜』「渡海屋・大物浦」の渡海屋銀平実は平知盛は、柄にも仁にもあっていないとだれもが思っていた。
ところが、七月の国立劇場の舞台を観ると、柄にあっており、仁もなかなかに思えたから不思議である。舞台成果をあげるごとに、役者の柄や仁も次第に変わっていく。そのよい例をみたように思った。
まずは「渡海屋」から。菊之助の銀平はまず「出」がよい。厚司を羽織った姿がすがすがしい。七三でふっと止まって家内の様子を察する。亀三郎の相模五郎、(尾上)右近の入江丹蔵の無理難題に困惑する梅枝の銀平女房お柳。この無体を菊之助の銀平は、単純な暴力ではなく、人間の厚みで押し返しているところがいい。亀三郎もチャリをよくこなすばかりではなく、身体に強さがある。右近は踊りで鍛えているためか安定感がある。
梅枝は町家の女房でありながら、芯に位の高さが漂い出色の出来。亭主自慢の件りも夢中になっていく様子がよく、近い将来、『吃又』のお徳が観たくなった。
上手屋体では全身白の狩衣となって、彫像のように現れるときの静謐さ。ただし、眉を強く引きすぎてはいないか。萬太郎の義経が出てからは、銀平が海へ、そして戦へと向かう気持ちが高まっていく様子がよく伝わってくる。出立の前の謡いも焦らず荘重に舞って大きさが出た。大きさとはすなわち強さではない。余裕を持って事にあたり、感情の振幅があれば、大きさが出る。
さて「大物浦」子役の安徳天皇を奉じた典侍の局(梅枝)が、知盛の敗北を知って入水を心に決めていく。このむずかしい件りも梅枝が丁寧に勤めている。深手を負った知盛が順を追って心境を変化させていく。まずは義経への恨み、そして局が自害してからの絶望、そして平家の専横を振り返る嘆き、ついには父清盛を例に取り、人間が陥る「三悪道」と向かい合うことになる。こうした段階を持ち前の美声を響かせることをあえて封じ、黙阿弥調で台詞を歌うことに慎重になって演じたために、碇を持って死へと向かう件りが説得力を持った。
時代物の立役の芯を取る役者として菊之助が一段上へいったことがよくわかる。次は『逆櫓』の樋口か。亀三郎、右近、梅枝、萬太郎がそれぞれ全力で役を勤め、舞台水準は鑑賞教室と思えぬほど高い。弁慶は怪我で休演した團蔵に替わって菊市郎。「歌舞伎のみかた」の解説は萬太郎。客に媚びずにきびきびと語り清々しい。二十四日まで。

2015年7月5日日曜日

【再告知】「扇田昭彦さんを送る会」のお知らせ   2015年6月3日 当日は午後4時から5時半まで、会場内にどなたでも献花していただける場所を設けます。この時間帯においでいただく場合は、事前のご連絡と会費は不要です。

*当日は午後4時から5時半まで、会場内にどなたでも献花していただける場所を設けます。
会費やお香典は、必要ありません。
ゆかりのある方は、どうぞ、遠慮なくいらしてくださいとのことです。

「扇田昭彦さんを送る会」のお知らせ  
2015年6月3日

去る5月22日に急逝された演劇評論家、扇田昭彦さん(元朝日新聞編集委員)を送る会を下記の通り催すことになりましたので、ご案内申し上げます。

日時 2015年7月6日(月)午後6時半開会(6時より受付)
場所 東京芸術劇場プレイハウス(中ホール・2階)
東京都豊島区西池袋1-8-1

呼びかけ人
巖谷國士、大笹吉雄、小田島雄志、唐十郎、川本三郎、串田和美
桑原茂夫、出口典雄、蜷川幸雄、野田秀樹、福田善之、別役実

◆当日は午後4時から5時半まで、会場内にどなたでも献花していただける場所を設けます。この時間帯においでいただく場合は、事前のご連絡と会費は不要です。

◆どうぞ平服でお越し下さい。御香典などはご辞退申し上げます。

◆当日は劇場休館日のため、午後4時に開扉いたします。それより前には、お入りいただけません。どうぞご了承ください。

2015年7月1日水曜日

【閑話休題15】友人たちの急逝に学んだ

「菊之助の色気」を新潮社から刊行したとき、PR紙の「波」に向けて、評論家の矢野誠一さんの原稿をいただきありがたかった。
今回、「坂東三津五郎 歌舞伎の愉しみ」「坂東三津五郎 踊りの愉しみ」を岩波現代文庫に収めるにあたって、岩波書店発行の「図書」7月号に、
原稿を書く機会をもらった。舞台と伝承と題して、三津五郎さんの思い出を書いたのですが、演劇界のような専門誌とは違った追悼文になった。
文庫化をはじめとして、私も全力で動いた。嘆いているよりは、ずっとはなむけになると思ったからだ。
哀しみに沈んでいても何もならないと、渡辺好明教授、勘三郎さんの逝去のときに学んだ。
三津五郎さんのときは、私に今すぐ、出来ることはなにかと探した。

「図書」7月号大きな書店のカウンターなどで無料で入手できます。
東京の神保町であれば、「岩波ブックセンター 信山社」に行けば、確実に手に入ります。
他にも充実した読みものが並んでいます。
どうぞ、品切れにならないうちに。
http://www.iwanami.co.jp/tosho/