2017年10月13日金曜日

【劇評85】エロティシズムの醸成。玉木宏、鈴木京香による『危険な関係』

現代演劇批評 平成二十九年十月 Bunkamuraシアターコクーン

舞台の根本にはエロティシズムがあるのは洋の東西を問わない。肉体を観客の視線にさらす演劇や舞踊では、色気がその空間を支配しているならば、そこには演じる者と観る者の間に陶酔が生まれる。
クリストファー・ハンプトンによる『危険な関係』(広田敦郎訳、リチャード・トワイマン演出)は、書簡小説の嚆矢といわれるラクロの原作を基にしている。貴族社会の頽廃を描いて、人間の奥底に眠った欲望を掬い取っている。今回の舞台も、こうしたエロティシズムの醸成に怯まない。あえていえば、上質なポルノグラフィであることを恐れない。けれども、決して品位を失わない。このあたりが、トワイマン演出、ジョン・ボウサー美術・衣裳の洗練された演出と視覚イメージの手柄であろう。
けれども、いかに洗練された演出を得ようとも、俳優の肉体に魅力がなければ、『危険な関係』は成り立たない。ヴァルモン子爵を演ずる玉木宏の引き締まった上半身。誘惑の視線があって観客は、まず魅了される。さらにメルトゥイユ侯爵夫人を勤めた鈴木京香の豊満で華やかな空気感もまた、作品全体にゴージャスな彩りを与えていた。
トゥルヴェル法院長夫人の野々すみ花が貞淑なたたずまいから、急激に恋にもだえる過程の振幅。ダンスニーの千葉雄大の幼さがゆえの残酷。セシルの青山美郷の可憐と、恋愛と謀略のただなかにいる人物の造形が多彩なのは、配役のみならず、演出の手腕だといっていい。娼婦エミリの土井ケイトも不埒な様子がおもしろい。
そして全体を引き締めるのは、セシルの母ヴォランジュ夫人の高橋惠子、ヴァルモンの叔母ロズモンド夫人の新橋耐子で、枯れたそぶりのなかに、かつての放埒な日々を感じさせるのはさすがである。
美術・衣裳ともに十九世紀の時代には、あえてこだわらない。フランスのインテリアから離れて、盆栽や襖を思わせるセットを組んだ。演出家と美術家の幸福な緊張関係があって、このような美的な舞台が生まれる。
一九九一年。ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーは、パナソニック・グローブ座で来日公演を行った。デヴィッド・ルヴォー演出の舞台が思い出される。今回のトワイマン演出は、まぎれもなく二十一世紀の頽廃を映し出していた。三十一日まで。