2019年5月12日日曜日

【閑話休題81】蜷川幸雄の思い出。そして平山周吉の『江藤淳は甦える』について。

一ヶ月前に、平山周吉の『江藤淳は甦える』(新潮社)を送っていただき、連休の間、読みふけっていた。
江藤淳について書かれた評伝について、書評めいた文章を書くほどの知識は持ち合わせていない。
なので、踏み込んだことは書けない。書けないのだが、亡くなった人を弔う本については、少し思うところがあった。
私は蜷川さんが亡くなって、息もつかずに『権力と孤独 演出家蜷川幸雄の時代』を書いた。
なぜだろうと、今になって思い返す。
少し、時間をかけて、十分に取材も幅広く行い、足音を追い、ゆかりの土地も踏んで書いてもよかったと、今更ながら思う。
ただ、当時思っていたのは、今、その瞬間を駆け抜けるという蜷川さんの生き方にふさわしく、
なにもかもが私の内部で風化したりしないうちに書き留めておこうと思った。
それについて悔いはない。ないのだけれども、二十年前、文學界の編集長として最後の原稿をもらった平山の、江藤に対するどうしても許せない思いが伝わってくる。なぜ、あなたは死んだのか。しかも自決したのか。
その凄まじい執念に貫かれた調査と文章の密度は、類書の群を抜いている。
また、誤解を恐れずに云えば、弔うというよりは、死んだ魂を揺り起こすほどの力に満ち満ちている。
私はいつか、蜷川について、こんな本を書けるのだろうか。
いや、演出家について、そんな本は書けるものなのだろうか。

昨日、アンヌ=テレサ・ケースマイケル振付の『至上の愛』を東京芸術劇場のプレイハウスで観た。
いわずとしれたジャズ、テナーサックスの巨人コルトレーンの音楽で踊っている。
渡されたパンフレットには、ケースマイケルの言葉が記されていた。

「おそらく、振付家ないしダンサーである私たちは、作曲家のように確たる作品の痕跡を後世に残すことがありません。しかしながら、音楽史上における重要な作品に対して振付やダンスで応答することは、芸術的な挑戦であると考えています。このようなかたちで、私たちは何かを具現化するコンテンポラリーダンスの力に身を捧げることができるのではないでしょうか。私たちは今、新世代の才能あふれる若きダンサーたちとこうした挑戦ができることを嬉しく思っています」この作品で、アンヌはサルヴァ・サンテスと共同振付をしている。

応答と痕跡。挑戦と敗北。そして若い世代へ。
平山周吉の『江藤淳は甦える』には、複雑な声が聞こえている。その多重的な和声の混乱が、読む人を惑わせ、そして感動へと導いている。

【劇評139】二十年振りの『勧進帳』。三之助の今を観る

歌舞伎劇評 令和元年五月 歌舞伎座昼の部 夜の部3

令和となってはじめての歌舞伎座大歌舞伎。明治の偉大なふたりを記念する團菊祭だが、團十郎を欠いて久しい。ただし、明くる年には、海老蔵の團十郎襲名という大事業が控えている。すべてが喜ばしく、春の風もさわやかに感じられる。
昼の部の朝幕は『寿曽我対面』。松緑が工藤。梅枝、萬太郎が十郎、五郎。大磯の虎が(尾上)右近。化粧坂の少将が米吉。朝比奈には歌昇。(坂東)亀蔵の新左衛門、松江の小藤太。新しい世代の胎動を意識した配役で、平成から令和へ、歌舞伎も大きく舵を切ったと実感する。松緑は藝の積み重ねと経験によって工藤の大きさ、もうすこし踏み込んで云えば鷹揚さが見えてきた。右近の大磯の虎はまだまだ若いと思いきや、落ち着きと余裕があって役の性根をつかまえている。出色は歌昇で、この人は同世代のなかでも一頭地抜けて藝の幅も広いとわかる。十郎、五郎の面会を工藤に取り次ぐだけの器量をそなえている。この配役に不足があるわけもないが、新しい世代を配した他の『寿曽我対面』もまた、歌舞伎の水準を維持していくためには、早めに出すことが必要と思えた。
海老蔵の弁慶による『勧進帳』。富樫は松緑、義経は菊之助。平成十一年一月浅草公会堂でどぎもを抜かれた舞台と同じ配役である。あれから二十年。だれもが変わり、だれもが大きくなり、だれもが大人になった。
なかでも暴力的なまでの圧力で舞台を支配した海老蔵が進境を示している。團十郎としての責務がすでに感じられているのだろう。海老蔵襲名の折、父團十郎の急病のために、三津五郎が弁慶を替わった。富樫は海老蔵。あの「緊迫感を来年の襲名で弁慶を勤めるときには期待される。弁慶、富樫、義経は、乱反射する鏡のようでもある。
松緑の富樫には実がある。菊之助の義経は、この役はいじったりせず、品位を押し通せばよいのだとよくわかる。
そして菊五郎の『め組の喧嘩』。ドラマとしての内実がないわけではないが、やはりこの舞台は鳶と力士の粋、意地をありのままに見せる風俗劇の愉しさにある。菊五郎は劇団のDNAを伝える柱にいるが、菊之助ばかりではなく、松也の世代までが、このDNAの伝承を重いものと考えているのがよくわかる。
左團次の四ツ車、時蔵のお仲が熟練の味。又五郎が九龍山で、歌六が喜三郎を勤めて、吉右衛門を欠くが、菊吉合同公演の一幕とも見える。又五郎、歌六の厚みが、力士の弟分と留男の重要さを実感させた。

夜の部の『鶴寿千歳』(岡鬼太郎作・演出)は令和の御代を慶祝する一幕。時蔵、松緑が芯となる。梅枝がその落ち着きで、大曲を手がけてきた経験を生かす。歌昇、萬太郎、左近。
夜の部の切りは『御所五郎蔵』。松也が若くて、愚かで、けれど憎めない五郎蔵を勤める。役者っぷりで見せる役だから理屈はいらない。「おれはいい男だ」この一言に尽きるが、松也はもっと自分を信じていいと思った。もう一度、そう遠くなく手がけてもらいたい。
五郎蔵を支えるのは、土右衛門の彦三郎。声の張りは申し分ないが、二幕目からは敵役ばかりとはいえないこの役の怪しさ(仁木弾正に通じる)がほしい。梅枝は皐月。これもまた不本意ながら去り状を書くむずかしい役回りだが、沈潜する心の内をよく見せている。(尾上)右近の逢州は儲け役だが、右近の実力がよくわかる。人の良いこの人の優しさがあって、殿の寵愛を受け、周囲にも憎まれず、生きているとわかる。それだけに五郎蔵の誤認による死があわれにみえる。二十七日まで。

【劇評138】七代目丑之助襲名。音羽屋、播磨屋。藝統のまじわり。

歌舞伎劇評 令和元年五月 歌舞伎座夜の部2

團菊祭五月大歌舞伎。夜の部の『絵本牛若丸』(村上元三脚本 今井豊茂補綴)は、この月、七代目丑之助を襲名した寺嶋和史がおっとりとした御曹司ぶりで将来を期待させた。
なんといっても、幕外に彦三郎、(坂東)亀蔵、松也、(尾上)右近、権十郎、秀調の渡りゼリフからはじまり、幕が開くと、舞台中央の大ゼリから迫り上がる場面が圧巻。下手に菊五郎、上手に吉右衛門に挟まれて、中央に丑之助いどころを定めるが、現代歌舞伎の頂点にあるふたりの藝容の大きさが、ひとりの少年を引き立てるためにあるという不思議。いや孫を思う祖父のありように心打たれる。そう、こうしたふんだんに注がれる愛情なくしては、等身大の人間ならぬ、異様な宿命を生きる歌舞伎の役柄と一体化する役者が生まれないのかも知れぬ。

それにしても、これまで直接、交わらなかった二つの藝統がこの少年をきっかけに大きく変容したことを重く見る。
菊五郎が鬼次郎、時蔵がお京、吉右衛門が鬼一法眼、雀右衛門が鳴瀬となる趣向もおもしろく、また松緑、海老蔵が山法師となって暴れるのも気が利いている。菊之助がこの後の幕で白拍子花子を踊るにもかかわらず、あえて荒々しい弁慶を勤めるのも、藝統の交わりといってもいいだろうと思う。
御曹司はあまたいるけれどもこれほどの初舞台を得る役者はめったにいるものではない。丑之助は過度に緊張することなく、この場を柳に風と愉しんでいる。ときに(こういってよければ)飽いている。このあたりの春にふわさしい風を受けて、襲名の狂言は終わる。若き丑之助は母方の祖父吉右衛門から、兵法書の虎の巻を渡され、この巻物をかざして花道を引っ込む。途中で父菊之助に「馬になれ」と命じて、肩車をしてもらうが、巻物はしっかりと握って振りかざす。こうした勘所は絶対にはずすまいと周囲はさぞ苦労しただろう。また、丑之助もその教えを守ろうと懸命に勤めていた。二十七日まで。

【劇評138】菊之助、歌舞伎座で『京鹿子娘道成寺』を披く。

歌舞伎劇評 令和元年五月 歌舞伎座夜の部1

未来を信じるといえばたやすい。が、これほど困難な時代を生きていれば、あらゆる芸術ジャンルが果たして伝統と革新を継続的になしうるのかが疑われるのは致し方ないだろうと思う。
今月の歌舞伎座、團菊祭五月大歌舞伎の眼目は、尾上菊之助による『京鹿子娘道成寺』に尽きるだろう。菊之助自身がひとりで『道成寺』を踊ったのは、平成十一年の一月、浅草公会堂である。坂東玉三郎の薫陶を受けて『京鹿子二人娘道成寺』を踊り、回を重ねるうちに重要な件りを任されるようになっていた。菊之助にとって久しぶりの『京鹿子娘道成寺』となったのは、平成二十六年三月の京都南座。今回、歌舞伎座の出し物となった。
歌舞伎座にとって『京鹿子娘道成寺』は、特別な意味を持つ。戦後、ひとりで踊ったのは、年代順に数えると、六代目歌右衛門、七代目梅幸、二代目時蔵、二代目橋蔵、十七代目勘三郎、五代目富十郎、七代目菊五郎、七代目芝翫、五代目玉三郎、五代目時蔵、四代目雀右衛門、九代目福助、十八代目勘三郎、十代目三津五郎に限られる。わずか十四名。独自の公演で出した橋蔵を除けば、十三名となる。しかも父七代目菊五郎でさえ、大名跡襲名の折りに踊ったのであり、この演目が興業会社の松竹にとっても、歌舞伎界にとっても、重要なメルクマールとなっているのがわかる。おおげさな言い方ではなく、気力体力に充分な自信がなければ、松竹や先輩方が許しても、出し物として出せるはずもない。もはや、ひとりでは踊りきれぬと思えば、若手を起用して『二人道成寺』や『男女道成寺』とする他はない。
さて、菊之助の道成寺はどうだったか。
平成二十六年三月の京都南座でも、すでに技術的な不安はなかった。当然のことながら振りは身体化されており、ぎくしゃくする箇所はない。長唄にのって花の季節を美しい娘として踊るそれに尽きて満足な舞台であった。菊之助自身は、みずからの玲瓏な美貌に頼らず、巧まざる色気を醸し出したいと願っているように見えた。
今回はさらに、その境地が進んでいる。この巧まざる色気さえもさして意識されない。「道行」の持つ、長い道のりをひとり行く女の感覚。「金冠」での格調をお能へのコンプレックスではなく、歌舞伎の品位として見せていく姿勢。「云わず語らぬ」では町娘に一転するが、袖使いのあでやかさを強く打ち出す。「鞠唄」でも、幻の鞠を浮かび上がらせることに腐心せず、ただ、鞠とたわむれる女を廓尽くしの詞章とともに、自然に踊っていく。流れる川のごとしであった。
これまでの舞台のなかで、今回目を見張ったのは「花笠踊り」の件りである。短い時間に三段の振り出し笠の扱いを見せるが、これもひたすら正確にと心がけているように見えた前回を軽々と越えている。笠と傘は、空間を切りとって、異界が現れる意味を持つが、ここで菊之助は華やかな風俗にこめられた民族の記憶を甦らせている。藝の力が一段とあがったから、華やかな件りの背景にある精霊のうごきまでもが見えてくる。
さらに、〽恋の手習」のくどきである。手拭の扱いもまた、意味の伝達はあくまで長唄にまかせて、女がひとりじぶんのこころのうちをのぞきこむときの密やかな時が浮かび上がってきた。〽ふっつり悋気」で長唄は、女の悋気を語るが、憎悪でもなければ、未練でもなく、あくまで他愛のない悋気に見える。また「のしほ」はこの人ならではのもので、可憐さを出すためにごく内輪に踊っている。
〽恨み恨みてかこち泣き」では、一転して、伝説上の清姫の執念をみせる。ここでもきっちり鐘に対する執着をただならぬものとしているので、鈴太鼓から鐘入りまでの烈しい動きとつながっている。
ほぼ完成に近づいた菊之助の課題は、鞨鼓の踊りに尽きるだろう。私が観た初日は「山づくし」の前半に迷いがあった。正しく間をはずさない想念から離れて、みずから躍動する舞踊を作りだし、導いていく覚悟が必要だろう。後半、バチ先がきれいな弧を描いてふっきれたように思う。
〽ただ頼め」の手踊りは菊之助が得意とするところで、鞨鼓からさらに進展して、からだそのものが拍子となって、舞台全体を支配していく。多くの日本舞踊の流派には、この件りはないから、歌舞伎舞踊の役者として、自分なりの解釈を打ち出す場と観るべきなのだろうと思う。菊之助は、「云わず語らぬ」と同様ではあるが、やや年かさで、まだ若さの俠(キャン)を貫く江戸娘の意気地がほの見えて楽しい。「祈り北山」で面差しを深くするとさらに祈りの要素が深くなるだろうと思う。
鐘入りから蛇体となって鐘にあがってきまるまでは、すっとして凛々しい。清姫の僧安珍に対する執念はあくまで下地であって、主題ではない。なんとも江戸の粋を貫いた『京鹿子娘道成寺』であり、音羽屋の藝の継承者としての姿勢を鮮明にした舞台であった。