2019年1月23日水曜日

【閑話休題79】芸談の行方

藝談を読む読者を、いったいどこに想定したらいいのか。
私には藝談らしき本が何冊かある。
もっとも藝談に近いのは、『坂東三津五郎歌舞伎の愉しみ』、『坂東三津五郎踊りの愉しみ』(いずれも岩波現代文庫)だろう。取材を重ねていた頃、もっとも(十代目)三津五郎さんと気にしたのは、すでに歌舞伎をよく知っている人を前提にはしない。かといって、まったくの入門書にはしない。歌舞伎を見始めて2−3年の観客に、もう少し歌舞伎や踊りを好きになってもらうにはどうしたらいいかを考えて、取材をし、原稿をまとめ、初校、再校とゲラを三津五郎さんとやりとりして出来上がったのを覚えている。
昨年の終わり、演劇評論家の犬丸治さんから『平成の藝談 歌舞伎の真髄にふれる』(岩波新書)をご恵贈いただいて、ようやく読み終わった。博覧強記の犬丸さんにしか書き得ない労作である。二代目又五郎や二代目松緑の芸談から、二代目吉右衛門まで。それぞれの時期に採られた藝談を入口に、犬丸さんの歌舞伎はこうあってもらいたいという強い思いが伝わってくる。
また、歌舞伎座の三階に、亡くなると写真が飾られる大立者ばかりではなく、小山三、歌江の藝談も収録されている。歌舞伎は伝承の芸術であるが、親から子へ藝が伝わるとは限らない。その残酷をもよく伝えている。

この二冊以外は、いわゆる藝談ではなく、役者から話を採りつつ、歌舞伎を生業としたひとりの人間のルポルタージュとして、『菊五郎の色気』や『天才と名人 中村勘三郎と坂東三津五郎』などを書いた。純然たるノンフィクションとはいいがたい本からも、『平成の藝談』は、役者の発言を、引用して下さっているので、私としては面はゆいばかりである。

藝談がこれから先の時代に、どのようなかたちで生き残っていくのかが、本書では問われている。あるいは、役者自身が、アメーバーなどのブログやインスタグラムで自ら発信し始めた時代に、藝談は成り立つのか。その危うい分水嶺に私たちはいる。