2017年2月8日水曜日

【劇評68】『足跡姫』阿国と猿若勘三郎の魂

現代演劇劇評 平成二十九年一月 東京芸術劇場プレイハウス

『足跡姫』(野田秀樹作・演出)を観た。
野田が歌舞伎界に進出した『野田版 研辰の討たれ』が二重写しになる作品となった。『野田版 研辰の討たれ』は、いうまでなく、十八代目中村勘三郎、十代目坂東三津五郎との共同作業で生まれた新作歌舞伎である。敵討ちを大義とする武家社会のなかで、刀の研ぎ屋あがりの辰次(勘三郎)が、誤って家老(三津五郎)を殺してしまったために、子息ふたり(染五郎、勘太郎・現勘九郎)に追われるが、ついには満開の紅葉の下で捉えられる。自らが切られるための刀を研ぎつつ辰次はいう。
「お研ぎします。お研ぎします。研げといえば、お研ぎします。根は研屋、武士になろうなどと思った私が痴れ者、研いでおります、研ぎまする、研いだ刀で討たれまする。散るのは春の桜ばかりじゃねえや、枯れた紅葉もこれが終わりと、おのれの終わりと知りながら散っていきます、散りまする。生きて生きて、まあどう生きたかはともかくも、それでも生きた緑の葉っぱが、枯れて真っ赤な紅葉に変わり、あの樹の上から、このどうということのない地面までの、その僅かな旅路を、潔くもなく散っていく、まだまだ生きてえ、死にたくねえ、生きてえ、生きてえ、散りたくねえ、と思って散った紅葉の方がどれだけ多くござんしょう」
一度は助かったと思った辰次は、引き返してきたふたりに惨殺される。その死体に一葉の紅葉がふりかかり、カヴァレリア・ルスティカーナが、琴、胡弓、尺八で流れる。
初演は二〇〇一年八月だから、当時勘九郎を名乗っていた勘三郎は四十六歳。自分が死ぬなどとは遠い未来と思っていたに違いない。
野田秀樹は『足跡姫』宣伝のためのチラシで「作品は、中村勘三郎へのオマージュです。」とはっきり書き、「もちろん作品の中に、勘三郎や三津五郎が出てくるわけではありませんが、「肉体の芸術にささげた彼ら」のそばに、わずかの間ですが、いることが出来た人間として、その「思い」を作品にしてみようと思っています」としている。
『足跡姫』を二度観て、この「思い」があふれる舞台に強く胸を動かされた。
劇のしつらえは、野田作品にはめずらしく、時間が直線的に流れ、空間をまたぎこすこともない。ふたつの時空がパラレルに叙述されるのではなく、過去から現在へと流れていく。ならば、平易かというと、そんなことはない。将軍の前で舞台を披露したいと願う「三、四代目出雲お国」(宮沢りえ)と、狂言作者をめざす阿国の弟「淋しがりサルワカ」(妻夫木聡)が、はじめ「死体」と思われた「売れない小説家」(古田新太)と出会うことで、舞台で起こる事件の虚実が曖昧になっていく。象徴的なのは4度に傾斜した「開帳場」の舞台には、盆が切られているばかりか、セリを思わせる穴が上手、下手にしつらえられているところだ。
一六〇三年頃に成立した阿国の女歌舞伎踊りが、数々の禁制を受けながら、一六二四年に猿若勘三郎(初代中村勘三郎)が江戸中橋に櫓をあげるまで。初期の阿国は当時のかぶき者といわれた若者が茶屋に通う姿を男装して扮したという。また「猿若」と呼ばれる道化役の滑稽な藝もからんだという。また、のちにはかぶき者として名を馳せ、斬り殺された名古屋山三郎の亡霊を登場させるたともいう。野田は資料の乏しいこの期間に何があったのかを奔放な想像力で埋めようとしている。
執拗に問われているのは、舞台で人が死ぬ演技だ。舞台では殺しの場面が古今東西、頻繁に上演されるが事故がないかぎり、役者が死ぬことはない。幕が閉じれば、立ち上がって楽屋に去って行くと誰もが知っている。この虚の上に成り立っている俳優と観客の共犯関係があるならば、本当に死んでしまった勘三郎や三津五郎の死も、幕さえ引いてしまえば、なかったことになるのではないか。ひょっこり生き返ってくるのではないか。そんな切ない夢想が全体を覆っている。
歴史上の阿国の踊りもその初期はストリップまがいの色気にあふれた群舞だったろう。けれど図像に残されている異形の踊りが、演劇の体裁をとるためには「筋」が必要だ。傾城買からはじまったとされるが、淋しがりサルワカが苦悶するのは、この「筋」であり、物語が成立したとたん、またしても虚実が入り乱れる構造になっている。
こうした構造をさらに攪拌するのが、穴のなかから現れた謎の「戯けもの」(佐藤隆太)であり、阿国の座を狙う「踊り子ヤワハダ」(鈴木杏)であり、一座を率いる吉原あがりの「万歳三唱太夫」(池谷のぶえ)なのであった。佐藤の野性、鈴木の豊潤な色気、池谷の迫力とよい間。いずれもすぐれている。
とりわけ、「伊達の十役人」(中村扇雀)は、大岡越前を思わせる好色な役人を中心にさまざまな役人を演じ分ける。この演じ分けにも劇作上の必然性があるわけではなく、物語の単純化を妨げるための混乱を作りだす役割を負っている。野田自身は、「腑分けもの」という死体の腑分けを望む男を演じているが、この人物も作品世界が一方向に安定するのを嫌って、舞台の空気をかき混ぜ続けるのだった。
おそらくは病院で管につながれた勘三郎を見守り、ふとしたうわごとを聞き、奇跡が起こってくれと願い続けた人間野田秀樹の錯綜した思いを、できるだけ整理整頓を行わず、謎に包まれた阿国とその一座の行方に託したのが『足跡姫』であった。
親しい友人ふたりが、六十歳にも満たない年齢でこの世を去った。ともに芝居を作ってきた野田秀樹にとってどれほどの喪失感だったことか。決して取り戻すことのできない「肉体の芸術」は、新しい肉体で再び舞台を埋め尽くすしかない。そんな決意が籠もっていた。『足跡姫』を感傷的に観るのはたやすいが、喪失感のなかに、一筋の希望を持ち、舞台芸術の連続、舞台に立つ役者の魂を信じる姿勢が際立っていた。
勘三郎と三津五郎のよい供養となった。などと真面目にいうと「しゃらくせえ」と野田は混ぜっ返すだろう。東京芸術劇場の切り穴は、世界の向こう側ではなく、東銀座の歌舞伎座花道のスッポンと地下で繋がっている。その通路をくぐって、粋でいなせな二人が、ふっと劇場に姿を現すような気がした。
三月十二日まで。東京芸術劇場。

2017年2月4日土曜日

【劇評67】三代目中村勘太郎、二代目中村長三郎の幼いふたりの門出。

歌舞伎劇評 平成二十九年2月 歌舞伎座
二月歌舞伎座は、菊五郎を座頭とした大一座。猿若祭二月大歌舞伎と題して、初代猿若勘三郎以来の中村屋の隆盛を言祝ぐ。
なんといっても見どころは、夜の部の『門出二人桃太郎』。三代目中村勘太郎、二代目中村長三郎の幼いふたりの襲名を、幹部がめでたく盛り上げる。ふたりの一挙一動が注目の的になる。染五郎の犬、松緑の猿、菊之助の雉も大活躍。ふたりの父、勘九郎と伯父、七之助の優しい気配が胸を打つ。祖父、十八代目中村勘三郎が見たらどれほど喜ぶことか。こうした感興がわき起こるのも歌舞伎見物の楽しみである。
今月は昼の部と夜の部にそれぞれ一本、江戸の風俗劇が出た。
昼の部の『四千両小判梅葉』は、黙阿弥の作でもそれほど頻繁には上演されない。けれども捨てがたい魅力がある。菊五郎が演じる冨蔵が店を持たず、おでん屋に身をやつしている風情や昔の仲間が博奕に負けてたかりにくるあたりに、いつの世もいる悪党たちの絆が見えてくる。團蔵の生馬の眼八がいかにも憎々しい。絆ばかりではなく、憎悪もまた悪党たちのあいだには欠かせない関係性なのだ。その複雑な関係性を、まるで儀式のように見せてくれるのが、第三幕第一場、伝馬町西大牢の場で、秩序立った人の配置と、貢ぎ物や折檻をみているうちに、これは現在の会社組織でも、あまり変わらないのではと皮肉な気持になる。菊五郎の台詞回しは、さらさらとして作為を消し去っている。藝境がさらに淡々と澄み渡っているのがよくわかった。
夜の部は『梅ごよみ』。近年は、玉三郎、勘三郎によって演じられてきた仇吉と米八を、今回は菊之助と勘九郎が演じる。羽織芸者といわれて粋でいなせな深川の花柳界、染五郎の丹次郎をめぐった恋の達引きが縦糸。さらには御家の重宝をめぐる忠義が横糸。練りに練った仇吉と米八のやりとりを、基本を守りつつ、おもしろく見せて、肩がこらない。染五郎は女性からはだれからも言い寄られる色男を演じてなるほどと納得させる。菊之助は、仇っぽい芸者は本役ではないだろうが、すっきりとした色気がある。勘九郎は父譲りの口跡で、裏切られた女のくやしさを見せる。ああ、こんなこともあるよね、と観客をうなずかせる。木村錦花の才筆が、春を迎える喜ばしい空気とともに味わえる。二十六日まで。

【お知らせ】蜷川幸雄評伝を書き終えました。

 しばらくブログの更新が滞っておりました。
昨年の九月から、一昨日まで書き下ろしに取り組んでおりました。『権力と孤独 演出家蜷川幸雄の時代』(岩波書店)です。亡くなった演劇人について書くのは、昨年二月に文春新書から出した『天才と名人 中村勘三郎と坂東三津五郎』以来です。亡くなってから間もない近しい人物について一冊書くのは、精神的にも肉体的にも厳しいものがあります。言い方が適切かどうか分かりませんが、常にその方々が頭の隅にいる、棲みついているような感触といったらいいでしょうか。ブログの更新には、気持が回らなくなり、書き下ろしに専念しておりました。
おかげさまで四百字詰め原稿用紙で、四百四十枚の文章ができあがり、入稿を済ませたところです。
まだ、あとがきは書いていないので、ここであとがきに似た文章を書くのは差し控えます。
また、今年は現代演劇、歌舞伎いずれにも偏ることなく自由な評論活動を続けていきたいと思います。気ままな更新になると思いますが、どうぞご愛読くださいますように。