いてう散り あなた踊りし所作みがく
ーー勘三郎を遠く思って
歌舞伎座で所作台をみがく仕事の青年が、ありし日の勘三郎を思い出している。そんな感じで作りました。
劇場は変わったけれども、所作台は変わらない。人だけが変わってしまった。
まっすぐに取れば、道成寺や鏡獅子のような当たり狂言を受け継ぐ立方の素直な気持ちにもなります。
2016年12月6日火曜日
2016年12月4日日曜日
【閑話休題59】日の入らない書庫に、一日中いる
図書館については、いつも考えをめぐらしている。自分自身については、近所の区立図書館と勤務先の大学図書館には、きわめて頻繁に行く。以前、住んでいた場所は、真砂中央図書館が至近だったし、今も巣鴨図書館が5分以内で行ける。図書館については、若い頃からヘビーユーザーだった。中央大学の講師になってからは、無料のコピーカードが、研究用に支給されたので重宝した。日の入らない書庫に、一日中いるのは、苦痛でもなんでもなく、当たり前のことだった。
60近くになってからは、新しいことを調べる機会は半減して、すでに知っていることをもう一度、調べ直すことが多い。それでも、図書館の空気を吸っているだけで、幸福感がある。図書館と共に、生きてきた実感がある。
このごろ、文芸家協会の会報で話題になっているのは、大書店でピラミッドになるようなベストセラーについてである。このようなベストセラーを何十冊か図書館が買って、順繰りにどしどし貸すと、出版社や筆者としては書店やネットでの売り上げが上がらないので、何ヶ月かしてから図書館での大量仕入をしてほしい。即時は止めてくれ。そんなルールを作って欲しいとの意見がある。
ベストセラーの売り上げがあってこそ、出版社は多額の利益が見込めない、あるいは大概、赤字になってしまうような一般書(たとえば私の書く硬い批評を集めたような本)が出せるのだという論理を、あるベストセラー作家が展開していたのには、いささか鼻白んだ。その通りかもしれないが、結局、出版はばくちで、ピラミッドだけがベストセラーの唯一の道ではない。まったく売れないと目されていた本が、意外な結果をもたらしたことも少なからずあるだろうと思う。
学校へ行きたくない、いや、行くことがいやになってしまった子供に対して、鎌倉の図書館が夏休みの終わりに呼びかけをしたのが話題になった。図書館にはさまざまな機能があって、人によって使い方はずいぶん違うと思う。資料の公開と保存、大衆化と専門化はかならずしも合致しないが、人類の長い歴史とともに歩いてきた図書館が、悪い方向にいかないように見詰め続けたいと思う。
60近くになってからは、新しいことを調べる機会は半減して、すでに知っていることをもう一度、調べ直すことが多い。それでも、図書館の空気を吸っているだけで、幸福感がある。図書館と共に、生きてきた実感がある。
このごろ、文芸家協会の会報で話題になっているのは、大書店でピラミッドになるようなベストセラーについてである。このようなベストセラーを何十冊か図書館が買って、順繰りにどしどし貸すと、出版社や筆者としては書店やネットでの売り上げが上がらないので、何ヶ月かしてから図書館での大量仕入をしてほしい。即時は止めてくれ。そんなルールを作って欲しいとの意見がある。
ベストセラーの売り上げがあってこそ、出版社は多額の利益が見込めない、あるいは大概、赤字になってしまうような一般書(たとえば私の書く硬い批評を集めたような本)が出せるのだという論理を、あるベストセラー作家が展開していたのには、いささか鼻白んだ。その通りかもしれないが、結局、出版はばくちで、ピラミッドだけがベストセラーの唯一の道ではない。まったく売れないと目されていた本が、意外な結果をもたらしたことも少なからずあるだろうと思う。
学校へ行きたくない、いや、行くことがいやになってしまった子供に対して、鎌倉の図書館が夏休みの終わりに呼びかけをしたのが話題になった。図書館にはさまざまな機能があって、人によって使い方はずいぶん違うと思う。資料の公開と保存、大衆化と専門化はかならずしも合致しないが、人類の長い歴史とともに歩いてきた図書館が、悪い方向にいかないように見詰め続けたいと思う。
2016年12月2日金曜日
【閑話休題58】偶然ではなく、必然のように。すみだトリフォニーホールのコンサートを終えて。
この十一月二十九日、今年の六月頃、本格的に始動した『尾上菊之助 歌舞伎とシェイクスピアの音楽』が、無事終了した。
今回は墨田区が、すみだ北斎美術館を二十二日にオープンしたこともあり、その関連企画として、歌舞伎俳優と新日本フィルハーモニーが共演する場が成立した。
今回、私は、企画監修として関わったが、歌舞伎ファン、クラッシックファンどちらにも楽しめるようにしたかった。どちらも退屈させないための手立てを考えるところからはじまった。
もっとも菊之助さんが、この十一月末にスケジュールがあくかどうかが問題だった。もし、歌舞伎座や国立劇場の出演であれば、月末ならば大丈夫なはずだが、なにしろ南座顔見世の月でもある。十一月の末日には、顔見世の幕が開くので、決定は六月までのびた。
七月にはプロコフィエフのバレエ組曲「ロメオとジュリエット」から、第二部の指揮をするマエストロ角田鋼亮さんが、どの曲を抜粋するかを決めた。それを受けて、坪内逍遙訳をベースに八月末までに上演台本をは書き上げた。十一月のはじめまでは、それぞれが構想をゆっくり練る時間となった。
舞台の直前まで、細かい手直しが続いた。一番大きな変化は、舞台稽古が終わって、翌日、一時頃に『京鹿子娘道成寺』の「鞠唄」「恋の手習」では、地方が黒ではなく、桜の裃を着けるように急遽変更になったところだ。その前に、菊五郎劇団音楽部の巳之助さんと長之介さんは、「弁天小僧」に黒の着付けで出ているので、着替えの時間を作らなけらばならなくなった。そのつなぎの台詞を書き終えたのは午後二時。こうして刻々と上演台本は変わり、周囲のスタッフに対応をお願いしなければならない。たとえば、着替えのために、下手袖に畳敷きの着替え仮スペースを設営するなど…。いずれにしても第一部に関しては、全体を指揮していく菊之助さんあってのことでた。沈着冷静、しかも舞台がよくなることを前向きに、常に考えている姿勢は見事だった。
本番が終わった。ほっとしたのか、翌日熱が出て倒れた。さらにその翌日、すみだトリフォニーホールの担当Mさんにメールで連絡を取った。
「偶然といいますか、ここまでくると当然のように、わたしも昨日は熱を出して一日寝込んでおりました(笑)お互い大事にいたしましょう」
返事が返ってきて、思わず私も吹きだした。