2015年12月14日月曜日

【劇評31】歌舞伎の実質

  歌舞伎劇評 平成二十七年十二月 歌舞伎座 

十二月大歌舞伎は、玉三郎が中心の一座だが、重量感のある演目を並べたにもかかわらず、実質がともなっていない。
まず、昼の部の『十種香』だが、七之助の品格、児太郎の慎重で、八重垣姫と濡衣を勤めるが、義太夫狂言の厚みに乏しく、現代劇を見ているかのようだ。そんな目で見てしまうと恋を引き替えに、父謙信を裏切れという勝頼の難題が疑問に思えてくる。これは松也の勝頼の問題でもある。単に美貌だけではなく、勝頼が花作りに身をやつしている感覚が薄い。亀寿の白須賀六郎、亀三郎の原小文治は気のいい役だが、颯爽としているだけではなく、武士の一直線な生き方が伝わってきた。右近の謙信はさすがの貫目。
さて、中車を生かすために久々に取り上げられた『赤い陣羽織』。お代官(中車)とおやじ(門之助)が外見上そっくりでありながら、立場によって立ち振る舞いが異なり、なおいえば、人間としての本質に変わりはないとする戯曲の要諦を玉三郎が演出する。お代官の奥方吉弥に気品。おやじの女房児太郎にひたむきさ。木下順二作品だけに、ドタバタに傾かず、人間の本性を掘り下げたい。
『重戀雪関扉』は、常とは異なり常磐津ではなく、常磐津と竹本の掛け合いで再構成している。竹本を加えたことで重量感は増すが、その必然性となると首をかしげたくなる。ついには富本、清元へと流れる豊後節浄瑠璃の古風な調子があってこその『関扉』ではないか。関兵衛実は黒主の松緑が健闘。大きさはおのずと滲み出るものだと考えているようだ。七之助の小町姫は可憐。松也の宗貞。玉三郎の墨染実は小町桜の精。
夜の部は『妹背山婦女庭訓』の通し。めずらしい「杉酒屋」が出て「道行恋苧環」「三笠山御殿」と続く。たしかに通せば求女をいかにお三輪が慕っているかがよくわかり、「御殿」でのひたむきさ、そして「凝着の相」を顕すまでのこころの移り変わりに説得力がある。一幕目、二幕目のお三輪は七之助、橘姫は児太郎。次代を担う女形だけに、将来が期待される。昼の部の十種香などは、いずれ役柄を交代しての舞台も見てみたい。
「杉酒屋」は團子の達者な子役も見物。後家お酉の歌女之丞が芝居を下支えする。
「道行恋苧環」でも松也は求女。若衆でしかも踊りとなると難易度が高い。もっと踊り込んで身体に所作をなじませる努力が求められる。
さて「御殿」だが、さすがに玉三郎の代表作だけあってお三輪は非の打ちどころがない。松緑の鱶七実は金輪五郎も手に入ってきた。五郎となってから大きさが出てきた。   注目の豆腐買のおむら。中車には気の毒だがやはり荷が重かった。初の女形だからというのではない。歌舞伎の滋味が凝縮された役だからだ。歌六の曽我入鹿の大きさが夜の部を引き締める。